止め処なく明るい話を

第1話


 ありふれた話かもしれない、と最初にその話を聞いた時に、私はそう思った。


 よくある話なのかよくわからない。けれども、この学校では最近よく噂になっている怪談話があるという。よくテレビとかゲームとかだったら、七不思議という言葉で、不思議とも思われるオカルト話を七つ重ねて話されるようなものだけれど、今回の場合は一つの怪談話。ましてや、それも信憑性もない、途方のない話。


 特別教室棟、本来勉学をいそしむ場所とは異なって、実験やら、美術やら、音楽とか、まあ、言ってしまえば副教科といっても差支えないものを学習する、少し学校とは切り離されているように感じる場所。


 その、特別教室棟の最奥の方、音楽室の……、隣の教室。音漏れが結構激しいと感じる、第二音楽室で。


 顔がない、幽霊が出るという話。


 その幽霊は、誰かが来るのをずうっと待っていて、誰かが来訪してきたときには、ただひたすらに話しかけてくる、というような、そんな怪談話。





「……で、その結末は?」


 私がそう返すと、理沙は私に首を傾げて「さあ?」と答える。なんか、拍子抜けだ。


「でも、本当にいるらしいんだよ?実際に見に行って、顔の見えない幽霊がいたー、って隣のクラスの女子が廊下で話してたし」


「それなら、オチがあるべきじゃないの?」


「や、結局本当にいたらしくて、怖くて逃げたんだって。なんか、なんとも言えないよね」


 しようもない、という顔をして、口をつんととがらせている。まあ、実際にそういう現場に出くわしてしまえば、私だって逃げるかもしれない。


 幽霊が存在するかどうか、なんてことは私たちにはわからない。いてほしい、という気持ちも半分くらいあるし、半分くらいの気持ちで、現実を見ているような俯瞰的な考えも存在している。


「そういや、天音は霊感があるとか、昔言っていなかったっけ?」


「その話はやめてよ……」


 思い出したくもない過去だ。黒歴史、というやつだ。


 なんか、中学校の頃には、何かしらの特色のあるキャラクターがあったほうが人と関わりやすい、と思ったから、適当にオカルトについて調べて、そのことをどや顔で話していただけであって、それが霊感につながったことは一切ない。無駄に都市伝説については詳しくなったけれど、それについては、どことなく恥を感じることの方が多いから、あまり触れないでおいてほしい。


「でもさ、気になるよね」


「……本当にいるかどうか?」


「うん!」


 とびきりの笑顔で理沙は答える。


「というわけで、放課後暇ならさ、一緒に行ってみようよ」


「嫌だよ」


 私はそう返したけれど、理沙は聞く耳を持っていない。


 いつもこうだ、彼女は都合のいい耳をしていると思った。





 放課後、夕焼けの存在が湿度を上げている午後五時ごろ。


「なんでいちいちこんな時間まで残らなきゃいけなかったんだろう……」


 他者のための独り言を吐く。理沙は「そりゃ、幽霊を探すなら夜ごろでしょ」と返す。それはそうかもしれないが。


 完全な放課後となる時間帯は六時と決まっている。夏だから、標準である五時という時間は、日の伸びに比例して変わって、いよいよ夏だな、と実感せざるを得ない。なんなら、こんなイベントも夏らしいと感じてしまう自分がいる。


「本当なら夜に忍び込みたかったけれどね」


「それは、絶対にダメ」


 私がそういうと、理沙は口をとがらせてぶーぶー言っている。これは彼女の悪い癖だと思うけれど、こうするときは、だいたい心の中で納得しているときだから、深くは突っ込まない。


 もし、本当に深夜に侵入するとして、そして学校を探索したとして、誰にも見つからなかったなら、いいかもしれない。


 でも、もし見つかったら? というか、そもそも両親に対して、夜遅くに外に出かける口実を用意することも、私には難しい。


 私の両親は過保護だ。理沙のご両親は、適度、という感じに放任主義だから、家に止まりに来なよ、と声をかけられたことがあるけれど、お父さんに反対されて、結局行くことはかなわなかった。それくらいに、私にとっての両親の存在は、絶対だ。


 だから、許されている放課後の時間まで。それなら、少しくらい家に帰るのが遅れても、学校の事情だなんだと、言い訳を連ねることができるから、なんとかなるだろう。


 音楽室の隣にある第二音楽室は、音楽室が時間割の都合上で使えないクラスが、合唱練習に使うことがあるくらいで、その中身はほとんど存在しない。第二、といえども音楽室なのだから、少しくらいは楽器が用意されていればいいと思うのだが、そこには、黒板と、生徒用の机、それくらいしか本当にない。


 そして、最近はご時世柄、というか、合唱をすることも推奨されていないから、第二音楽室を使うこともそうそうなくなってきている。なんなら、音楽室でさえも。そんな中でやる音楽の授業は、ただひたすらにクラシックの音楽を聞いて、感想やら想像を書くだけで退屈だった。


 だからこそ、そんな第二音楽室に怪談話だとかいう噂が流行ったんだと思う。誰が考えたのかはわからないけれど、正直、くだらないな、とそう思った。


 廊下を歩ききって、最奥にたどり着く。目の前に音楽室の扉があるけれど、私たちの目的はその隣に、垂直に位置している第二音楽室だ。


 扉は、開きっぱなしだ。


 廊下からでも、中の景色を見ることができる。無駄に暗くしている遮光カーテンが第二音楽室を彩っている。夕焼けの頃合い、ということもあってか、教室は前に見た時よりも特段に暗闇が染まっている。雰囲気的に、人の気配は感じないけれど、暗いからそのあたりの判断はつけづらかった。


「しっつれいしまーす!」


 能天気に理沙は声をあげながら中に入る。その声の大きさに、私は少しだけびくりと身体を震わせたが、その明るさにつられて、私も中に入る。


「……暗いね」


 理沙は、扉近くにある電灯のスイッチをかちりと鳴らした。


 ……、世界は暗いままだ。


 おっかしいなー、と理沙は何度かカチカチとしていたけれど、それでも明るさがこの空間にともることはない。


 理沙も、それに飽きて、まあいいや、と声をあげたところで。


「無駄だよ」


 ──静かな空間に響く、確かな男の声。


 生気を感じない、どこか死んでいるような声だと、思った。喉の底深くから出るような声に、理沙は電灯のスイッチから手を離して身構える。その焦りが伝達するように、私も身体が動かせない。


「ね、ねぇ。ほ、本当に……」


 理沙の、声が、震えている。


 焦りは、現実を認識し始めて、あまり感じたことのない身近な恐怖へと変換される。


 どうして、来てしまったのだろう。こんなにも易々と。


 自分たちの行動に後悔が伴い始める。


 ──本当にいる。本当にいてしまった。


 それなら、その先はどうなってしまうのだろう?よく見るホラー番組、よく見たホラーゲーム、よく漁ったオカルトな情報。


 嫌な想像が、冷や汗を生む。


「──逃げよっ!」


 私は、動けなかった身体を無理矢理に電気を流すように理沙の手を引っ張って、中との明暗のギャップに視界を惑わされそうになりながら走っていく。


 視界がおぼつかない。立ち眩みしたみたいに、どこか揺れている情景の中、理沙の手を握りしめて、廊下を走った。


「──……って」


 第二音楽室から聞こえる声を、今は無視して、私たちは逃げた。とりあえず、落ち着けるところまで。



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