第2話 まさかの丸太小屋

「こちらがアディソン伯爵令嬢のお部屋でございます」


 一週間後、フェルトン辺境伯家へ到着したエラが案内されたのは、辺境伯家の城にある一室ではなく敷地内にある二階建ての丸太小屋だった。ざっと見た小屋の中は、定期的に掃除がされているようではあるが、しかし客室ではなく丸太小屋である。

 なるほど、なるほど、辺境伯家はどこまでもこちらを馬鹿にする気らしい。伯爵令嬢に対する持て成しとして、丸太小屋を客室として当てがうなど、この国の常識では到底考えられないことだ。つまり辺境伯家は、あちらからエラを招いたくせに客として扱わないと言っている。そのあまりにも酷い対応を腹立たしく思ったエラは、それを抑えるようにして深く溜息を吐いた。


「あ、あのお嬢様。どこか不備がございましたでしょうか?」


 エラを案内していた年若く頼りなさそうな侍女が、彼女の怒りを察したのか、おどおどとした様子でそう尋ねた。どこかって、そもそもこの小屋に案内したことが不備でしょうが、という言葉を済んでのところで飲み込んだエラは、微笑を浮かべいいえと答えた。

 この侍女は雇われなのだから、主人の意向に従っているだけであり、彼女に怒りをぶつけたところで、主人に忠実な侍女にただ八つ当たりをしただけになってしまうばかりか、辺境伯家との間に不用意に波風を立ててしまっては、祖父母に迷惑が掛けてしまうという一心で、エラはどうにかこの怒りを堪えてみせた。


「ところで食事はどうするのかしら。他の方はどうしていらっしゃるの?」


「他のご令嬢は、城の食堂で決まった時間に三食を召し上がられます。ですがお嬢様は参加されないと伺っておりますので、こちらで召し上がりになるのでしたら、お食事をお持ち致します」


 これまで辛うじて繋がっていたエラの堪忍袋の緒は、この侍女の一言でとうとう切れてしまった。

 一体全体どういうことだろうか。辺境伯家の方から、わざわざこちらを招いておきながら、客室ではなく丸太小屋に案内するだなんて失礼な対応をしてたうえに、まさか食事すらまともに城で取らせないとは。辺境伯家は頭がおかしいのではないだろうか。もう、そうだとしか考えられない。

 そもそもエラは、城での食事に参加しないと辺境伯家へ伝えた覚えがない。つまり使用人を通じ、辺境伯家が花嫁候補としてお前を招待してやったが、何度も言っているがそれは建前だから本気にするなよと念押ししてきたのである。評判が悪いとはいえ、いくら何でもこんな扱いをされて怒らない人がいるだろうか。いたらよほど呑気か、馬鹿かのどちらかである。


「そうなのね。では私はここで自分で食事を作るから、材料だけ持ってきてくれるかしら。できれば二日に一回は届けてほしいのだけれど。ひとまず小麦粉と卵。それからベーコンやソーセージ。それと玉ねぎ、人参等の根菜。あとレタスかキャベツの葉野菜もいただけるかしら? それから砂糖と塩に胡椒、ニンニク、牛乳にチーズ、バターとイーストも忘れずにお願いね。あ、菜種油も欲しいわ。それに果物も。出来ればジャムも作りたいわね」


 怒りで興奮したエラは、早口で色々と食材を持ってくるよう侍女に伝えた。そのエラの様子に怯えた侍女はとたんに顔を青くし、すぐにご用意致しますと言うと足早に丸太小屋から去った。

 逃げ去る侍女の後ろ姿を見たエラは、鼻を鳴らし拳を強く握った。

 ああ、そうですか。そちらがその気ならば、こちらだって礼節に欠いた行いをしてやる。普通ならば招待された家の主に挨拶するべきなのだろうけれど、こんな仕打ちをされたのに挨拶なんて誰がしてやるものですか。どうせこれ以上落ちるところがないほどに悪い評判しかないのだから、今更ひとつやふたつ増えたところでこちらは痛くも痒くもないのだ。


「さて、まずは着替えてから、この丸太小屋に何があるのかを確認しましょう」


 小屋の二階に上がると、そこには仕切りがなく暖炉と簡素なベッドとドレッサー、それから小さなクローゼットがあるだけで、まさに必要最低限の設備のみ揃えられていた。

 そっとベッドのマットレスと上掛け布団を触ってみると、簡素ではあるが硬かったり薄かったりということはなく、どうやらまともに使用できそうで、エラはほっと胸を撫でおろした。


「よかったわ。硬くて薄い寝具では、とてもじゃないけれど、ここでひと月も過ごすことができそうにないもの」


 それからクローゼットを確認すると、中にはこれまた簡素だけれど手触りの良い生地で作られたワンピースが三着とパジャマが二着、カーディガンが二着、薄手のコートが一着揃えられていた。これまた必要最低限ではあるけれど、初秋である現在から晩秋に差し掛かるひと月後まで着用をしても何とかなりそうだった。それに自宅から持ってきた下着や靴下を着用し、ひざ掛け毛布を使えば寒くて凍えるということはまずなさそうだ。


「さて次は一階ね。キッチンがまともだといいのだけれど。あとお風呂とトイレがないと困るわね」


 一階に降りたエラはまず右手にあるキッチンを確認した。キッチンにはオーブンストーブにポンプ式の水道と水洗い場、調理台と食器棚、それから保冷庫まで備え付けられており、簡素な二階の寝室と比べると設備が充実していた。また、よくよく見るとオーブンストーブと水道には魔石が嵌め込まれており、どうやら最新式のものとそう変わらない機能がありそうだ。

 それからリビングには四人掛けの食卓と人数分の椅子があり、日当たりのよい窓際には大きめのソファがあった。

 更に二階へ繋がる階段の左横には小さな部屋が二間あり、片方はトイレ、もう片方は洗面所と風呂だった。トイレは汲み取り式だと嫌だなと思ったが、こちらもキッチンの設備と同様に浄化と分解の魔石が付いた最新式のトイレだった。それならばと風呂を除いてみると、やはり風呂も最新式の給湯と浄化の魔石が付いた風呂窯だった。こうなると排水溝にも、きっと浄化と分解の魔石が付いているに違いない。

 どうやらこの丸太小屋は使用人用ではなく、辺境伯家の誰かが道楽の為に建てたようだ。そうでなければキッチン、風呂、トイレがとんでもなく高額な最新式であるはずがない。

 おそらく持ち主は、悪名高い女にひと月もこの小屋を占拠されることに怒っているだろうなと思ったが、しかしエラにとっては、こればかりは素直に有難いと思った。全てが魔石なしのアナログ設備であったならば、それはかなりの重労働であるし、ひと月も続ければどこかしら体を痛めてしまっていただろうから。初っ端から無礼で常識がない辺境伯家ではあるが、流石に最低限にも程があるけれど、ほんの少しばかりの良識はあったらしい。


「ああ、良かった。これなら食材さえあれば、どうにかひと月過ごせそうだわ」


 再び二階に戻るとトランクから、もしもの為にと持参したシャツとトラウザーを出し、窮屈なドレスから動きやすいそれらに着替えた。貴族令嬢らしからぬ格好だか、どうせ辺境伯家の誰にも会うことはないのだから、何も問題はないはずだ。それから少し肌寒いので癪ではあるが、クローゼットの中からカーディガンを拝借した。


「さあ、着替えて気分もさっぱりとしたことだし、くだらないことは早く忘れてしまいましょう」


 誰もいない寂しさを紛らわすように明るい声で独り言ちると、階下からガタゴトと音がするのが聞こえた。きっと先程の侍女が戻って来たのだろう。

 さて、あの侍女は頼んだものをきっちりと持って来てくれたのだろうか。辺境伯家の様子からして、まともな食材がないかもしれないと心配しながら、エラは一階へと向かった。

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