第272話 スッキリ
―――修行49日目。
昨夜の激戦を経てぶっ倒れるように眠り、いつもより遅めの時間に目覚める。窓の外を見れば日はすっかりと昇っていた。その眩しさが俺に向かってニヤニヤと薄笑いを浮かべているように感じてしまって、ああ、まだ疲れが残っているんだなと実感。一方俺の隣では、ネルが可愛らしい寝息を立ててまだ眠っていた。
今日は急ぎの用事がなかったからか、それともハルや千奈津が気を回してくれたのか、誰かが起こしに来る気配はなかった。流石にこんだけ寝た後に二度寝はできない。よって、俺はネルの寝顔を見ながら、ぼーっと横になってる事にした。ここ最近溜めに溜めたストレス解消である。時々頬を突っついたり、黄金色の髪をサラサラと弄ったり。
触り慣れた柔肌はそれでも尚、俺を頬へと指先を導く。見ているだけで幸せになれる綺麗な髪の毛は、直に触ると更に幸福に―――
「……何してんのよ?」
「嫁を堪能していた」
降伏、降伏するから突っつき返すの止めて! まだ髭剃ってないから、そんなに手触りが良いものでもないでしょ! ああっ、髪をくしゃくしゃするなぁ!
クッ! やはり、鋭過ぎるというのも考えものだな。世界で最も気を許すべき夫の前でくらい、無防備に眠れば良いものの。1度や2度の癒しで、それが中断されてしまうとは…… これもかつて、命を懸けたサバイバルで培った賜物か。
「うーんんっ……! 何だか、久しぶりに熟睡できた気がするわ。気分もスッキリしているし」
「そりゃあ昨日、あんだけ加減なしの火力をぶっ放したらスッキリするだろ。連戦に連戦続きだったから、疲れでよく眠れたと思うし」
―――ヒュン。
ポフンと、俺の顔にネルが使っていた枕がぶつかる。痛くはないけど、予備動作なしの目にも止まらぬ速さで投じられたから、少し驚く。更には良い匂いもして、尚更動揺を誘われる。
「な、何だよ?」
「次は勝つからね」
「……どっちの話なんだか、具体的に言ってくれないと分からないな。マリアとの試合か? 帰り道の口論の事か? それとも、夜の―――」
その瞬間、眼前に烈火の炎が灯った。俺は悟ったよ。照れ隠しにも限度ってものがあるんだって。ああ、今日もネルの機嫌は最高に良さそうだ。
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―――ズドガァーーーン!
いつぞやの爆発が、ネルの屋敷全体に轟音を響き渡せる。特注で特別な頑強さを誇るこの屋敷だからこそ耐えられるのであって、普通の家屋であれば一瞬で倒壊するほどのものだった。
「あらぁ~。ネル様ったら、朝から元気ねぇ」
「何て言ったって、今日が新婚生活の記念すべき一日目でしょ? それはもう猛るってものよ!」
デリスが来てからというもの、こういった爆発は頻繁に起こるようになっていた。最初こそは驚いていた使用人達も、今や順応してしまって朝を知らす鐘の音程度にしか考えていない。
「ネル様に仕えていたら、細かい事なんて気にならないものね~」
「うふふ。喩え黒焦げ状態のデリス様が廊下に放置されてても、今なら冷静に対処できるようになったわ!」
「奇遇ね、私もよ!」
―――だ、そうだ。この屋敷で働くだけあって、元々屈強な精神の素質を持っていたんだろう。ここで働けるのなら、大抵の仕事場ではやっていける。彼女らも、実はそんな猛者であったりするのだ。
そして使用人達に聞こえたこの爆発音は、当然悠那達のところにも届いていた。
「師匠達、起きたみたいだね」
「そうね。今日も朝から、デリスさんは何かやらかしたと」
爆発が轟いた際、悠那と千奈津は自室で朝の勉強時間中だった。昨日の帰る間際にデリスから渡された大八魔情報㊙本で、大八魔達のあんな事やこんな事までを学んでいたのだ。そこには前任の者達の情報まで記載されており、割と貴重な代物なのではと、千奈津が慎重に取り扱っている。
「本当に仲が良いよね! あの爆発音を耳にすると、私の方が恥ずかしくなっちゃうくらいだもん」
「……たまに私の感受性の方がズレてるのかなって、酷く思い悩む事があるのよね。他の人達もあっけらかんとしてるし……」
「へ? 何の話?」
「ううん、何でもないの」
どうもこの屋敷の中では、爆発=2人がいちゃいちゃしている、という千奈津以外の共通意識が広まっているようだ。そんな認識の齟齬に、ちょっと疎外感を感じてしまう千奈津。まあ、爆発後のネルは憑き物が落ちたようにスッキリとした顔をしているので、あながち間違っていないとは、少しだけ思っているのだが。
「千奈津ちゃん、やっぱり昨日の疲れが残っているんじゃない? あれから直ぐに目を覚まして安心したけど、やっぱり本調子じゃなさそうだし……」
「大丈夫、じゃなかったから倒れたのよね…… 心配掛けちゃってごめんね、悠那」
「刀子ちゃんも心配してたんだよ? やっぱりお婆ちゃんは正しかった! とか言って」
「そ、そうなの……?」
式の片付けの後、悠那と刀子は千奈津のお見舞いに行っていた。その時、千奈津はまだ眠ったままだったのだが、刀子が気を活性化させる術を使ったお蔭で、以降顔色が良くなったそうなのだ。刀子は師匠であるリリィとの反省会があったらしく、目が覚める前に帰ってしまい、千奈津と直接話す事はできなかったという訳だ。
「気を活性化させるって…… 刀子も色々できるようになったって事かしらね。それに、後でお礼を言っておかないと」
「暫くはディアーナの街で過ごすらしいから、運が良ければ今日にでも会えると思うよ。もしかすれば、リリィさんが熟睡している実家の方に来てるかも」
「……リリィさん、また元に戻っちゃったのね」
式当日を大八魔のパーフェクトリリィとして演技ったリリィヴィアは、駄メイドリリィとして怠惰に寝ているようだ。
千奈津がどのタイミングで刀子を探しに行こうかと考えていると、突如として『加護』による警報が発動する。ビクリと身を震わせた千奈津は、瞬時に立ち上がって扉の方へと向き直る。
「千奈津ちゃん?」
「予想よりもかなり早い……! 悠那、どうやら試練の時が来たみたいよ」
「試練っ!」
その言葉を偉く気に入ったのか、悠那はぴょんと飛び跳ね、千奈津と同じように扉に向かって構えを取る。嬉々として試練を受け入れる悠那に苦笑いを一瞬浮かべるも、間もなく来たるその試練に、千奈津は真剣な顔つきで臨んだ。
―――ガチャリ。
扉のドアノブが回る。次いでギギィとドアが開かれると、焦げ臭いニオイが少しだけ鼻についた。
「いたいた。2人とも、体調は万全?」
「あ、ネルさん…… と、師匠?」
姿を現したのは、妙にスッキリとした表情のネルだった。そしてその手には、首根っこを掴まれ引きずられる焦げたデリスが。この臭いの発生源はどう見てもデリスで、どう見てもネルの夫は万全の状態ではなかった。
「特にチナツ、貴女は嘘偽りなく答えなさいね。無理は駄目よ?」
「っ!!??」
刹那、今度は千奈津の脳内が酷く困惑。ネルに体調を心配された。これは何かの罠なのか、もしや試されているのか? そんな思考ばかりが堂々巡りし、刀子に心配された時以上の衝撃が全身に襲い掛かったのだ。
(もしや、私は今日死ぬのでは……?)
千奈津の苦悩は続く。
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