第257話 挙式
千奈津が想像していたよりも、式は普通に順調に進行していた。客人達の層の厚さに警戒するものの、最初に悠那がアレゼルに誘拐されて以降、これといったトラブルは起こっていない。
(悠那は悠那で普通に調理場にいたし、流石に心配し過ぎかな?)
この結婚式、アレゼルが取締役を務めるクワイテット商会が全面的なバックアップをしている。これは師匠のネルからの言伝なのだが、当日にはそれ専門のプロが何人か派遣され、結婚式のサポートをしてくれると聞いていた。それが彼らなのか、待合室から教会へと案内してくれたのは、城を含むアーデルハイトでは見覚えのないイケメン達だった。
「こちらでございます」
「ええ、ありがとう……」
一度会った人の名前と顔は忘れないように心掛けている千奈津がそう思うのも、ある種当然の事。彼らは大八魔第三席が貸し出した上位吸血鬼の護衛隊、そもそも人間でもなかったのだ。
(やっぱり不安だ)
その事実を知らない千奈津であるが、直感的に彼らから違和感を感じ取ってしまう。普通に順調に進んでいるように見える裏で、何かとんでもない事が起きる予感がする。
「チナツさん、こちらですわ!」
「こっちです……」
教会にはテレーゼとウィーレルが先に到着していたようだ。千奈津も手を振りながら彼女らの声に応じ、隣の席に座る。
「あら、ハルナさんは一緒ではありませんの?」
「ギリギリまで調理の監督をしているみたいでして。時間には間に合わせると言っていたので、そろそろ来る頃だとは思うのですが―――」
「ま、間に合ったぁー!」
「―――来たみたいですね」
焦り気味の悠那が教会に到着する。その割にはアレゼルに乱された髪は直っていたし、ドレスもちゃんと着れている。千奈津、ちょっと感心。
「悠那、こっちよ」
「ふあぁ、何とか間に合ったよ~。料理ぃ~」
「そっち?」
あの人数を動員して、ここまで悠那を消耗させる調理工程とは一体どんなものなのか。舞台裏の疑問は尽きない。
「調理服になったりドレスに着替え直したり、悠那も大忙しね」
「えへへ~、でも着替えはそんなに苦じゃないんだ。リリィ先輩がシュバっと着替えさせてくれたから」
「さ、流石大八魔モードのリリィさんね。姿が見えないと思ってたら、裏方でそんな事やってたんだ……」
今日は超一流の着付け師を演技っているのだろう。思う存分怠惰を貪っていただけあって、充電は十分なようである。
それからややして、いよいよ新郎新婦が入場する時間となった。アーデルハイト式の結婚では、デリスとネルが同時に教会へ入って来る事になっている。しかし、神父役がヨーゼフなのは何の皮肉なんだろうか? 尤も、本人はウィーレルに良い所を見せようと躍起になっているのだが。
「お静かにお願い致します。これより、新郎デリスと新婦ネルが入場致します」
騎士のダガノフが教会後方の扉よりそう声を上げると、シンと皆が静かになった。その様子を見回して確認すると、ダガノフは扉に手をかけ、ゆっくりと開き始める。同時に、いつの間にか教会のパイプオルガン前に座っていたリリィヴィアが鍵盤を叩いた。悠那や千奈津らは知らないが、この世界では結婚式の定番とされる曲が奏でられる。
「わぁ……!」
「綺麗……」
思わず溜息と共に感動の言葉が漏れてしまった。それは何も2人だけの話ではなく、会場にいる誰もが同じ気持ちだった。視線を一身に集めるのは、もちろんウェディングドレス姿のネル。純白のドレスを纏うネルは、普段の軽鎧姿とは一転して花嫁としての女性らしさを強調。豊かな胸元には鮮やかなコサージュが添えられ、ブロンドの髪にも同様に飾られている。ネルをよく知る者ほどまず目にしないであろう、その穏やかな表情も相まって、同性異性の枠を越えて見惚れてしまう美しさを放っていたのだ。
一方、そんなネルと腕を組み、横に並んで入場するデリスには全く視線が向けられない。デリスもデリスで新郎然とした高級感溢れるタキシードを着用しているのだが、やはり今回ばかりは比較対象が悪過ぎた。デリスをよく知る者であれば、白い服装をしているだけでネタにされるレベルで珍しい光景も、ネタにする側がネルに見惚れていては話にならない。ある意味助かり、ある意味で敗北している複雑な心境である。
デリスとネルは、主にネル側に皆の視線を浴びながら、ゆっくりとバージンロードを歩んでいく。どこかに座っているであろう大八魔の、そして悠那達の横を通り過ぎ、やがてヨーゼフの待つ教会の奥にまで辿り着いた2人は、そこで立ち止まる。
(……まさか、この私を神父役に据えるとは思ってもみなかったぞ。どんな気の回しようなんだ?)
(経費削減だ)
(は?)
(だから経費削減だって。新婚旅行や式の費用で金使い過ぎちゃったんだよ。ネルにばかり頼るのもアレだったから、カットできるところはカットしようと思ってな。ハル経由でウィーレルに頼んで、無償で受けてくれたのは驚きだったけどさ。つうか、魔法で念話飛ばしてくんな。お互い笑顔のまま会話すると鳥肌が立つだろ!)
(ふん、言っていろ。どうせお前はネルに尻に敷かれる運命だ。ようこそ人生の墓場へ。私自ら引導を渡してやろう! フハハハ、これから大変になるぞ!)
笑顔のまま静止する2人。一見表情は穏やかなまま変わりないが、その仮面の裏では般若とサタンのような精神面が形成されていた。
「「……ああん?」」
「ちょっと、声が漏れてるわよ?(にこっ)」
組んだデリスの腕の骨を軋ませ、前にいるヨーゼフにしか感じられない激烈なプレッシャーを放ち始めるネル。皆がネルに見惚れる中、デリスとヨーゼフだけは明確な恐怖を覚えてしまった。特に合図を出し合った訳でもないのだが、デリスとヨーゼフは示し合わせたかのように喧嘩を中断。その後、何事もなかったように式は執り行われ、遂に誓いのキスをする瞬間が近付いてきた。
「そ、それでは、2人をこの世の最も新しき夫婦として、神の加護を授けるものとする。この素晴らしき門出に異議のある者は、今ここで申し出るように。 ……いませんな? 皆様方、どうか2人を―――」
「―――その結婚、異議ありぃーーー!」
バタンと、教会の入り口の扉が開かれた。まさかの異議申し立てに客人達の殆どは酷く驚き、ごく一部の支配者達はマジかよと胸を高鳴らせ、とてもワクワクしていた。ドラマや映画のようなこの展開に、不謹慎ながら千奈津までもが「おおっ!」と思ってしまった。
「えっ、ム、ムーノさん……!?」
悠那は目に飛び込んだその人物は、ムーノ・スルメーニ。騎士であり、カノンの同期であり、ネルの部下であり、誰よりもネルを慕っていた若人だ。ムーノの手には白い手袋が握られており、それが意味するところが自ずと理解できてしまう。
「悩みに悩んで、何とか折り合いを付けたつもりでした…… ですが、自分の気持ちに嘘をつきたくないっ! デリス殿、どうか自分と決闘をしてネル団長に、いえ、ネルに相応しい男を決め―――」
凛々しく、真っ直ぐな言葉の投げ掛け。ムーノは決心を固めてこの場に馳せ参じたんだろう。ただ、彼の頭上にはちょうどいい感じの壺がなぜかそこに浮かんでいて、ムーノが話している最中にストンと真下に落ちていった。
結果、壺はムーノの頭に見事ヒットし、そのまま気絶。倒れ掛けるムーノの体と、砕けた壺の破片は控えていた上位吸血鬼な従業員が空中でキャッチ。掃除完了とばかりに、ムーノはそのまま教会の外へと運ばれて行ってしまった。バージンロードにゴミ1つ落ちる事なく、清潔なまま教会は元の静けさを取り戻す。
「神父さん、早く進めてくれ。さっきの異議は取り下げられたぞ?」
「……コホン、他に異議のある者は?」
「「「「「………」」」」」
いる筈がなかった。
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