第140話 岩竜ボガ

 ―――朱の大峡谷・剛黒の城塞


「ゴアアァァーーー!」

「落ち着け、ボガ! ただの掠り傷だ!」


 騎乗者の声が届くことはなく、狂乱の岩竜が駆け出した。行く先はジェラールとサバトらが守護する黒き城塞の門前。その巨体からは想像もつかぬ俊敏さで見る見るうちに距離を縮めていく。


「うーむ、リオンらの攻撃で激昂したようじゃの。冷静さを欠いておる。いや、アレックスの剣を受けて五感を幾ばくか奪われたのか……」

「ジェラール殿、どっしり構えるのは良いが敵がすぐそこだぞ!」

「あの不思議な光も効いていないようだし、俺たちがやるしかないぜ? 悪いが、あれ以上の遠距離攻撃なんて気の利いたもんはねぇけどな!」

「そうじゃのう……」


 ゴーレム達がガトリング砲による集中砲火を岩竜に浴びせているが、逆上した岩竜がそれによって止まる気配はない。岩竜の騎乗者も抑えることを諦め、竜の装甲を盾にしながら特攻する決意を固めたようだ。サバトやアッガスが迎撃の体勢に移る中、ジェラールは大剣を肩に担ぎながら前に歩みだした。


「撃ち方止め、要撃陣形!」


 ジェラールの号令にゴーレム達は一斉に動き出す。上空の竜を攻撃する対空砲撃班はガトリング砲を撃ち続けながら後方へと下がり、その正面を地上砲撃を中止したゴーレム達がガトリング砲を背中に収納し、横一列に並んで両手で長槍を構える。一連の移行の流れが恐ろしく機械的であり、誰一人として列を乱す者はいない。


「こ、これで迎撃するのですか?」

「いや、これはどちらかと言えば他の竜を抜けさせないようにする為の対策じゃな。あの大物がいる限り砲撃は意味がないからのう。まあ地上はエフィルとリオンらが大方片付けたことじゃし、要らぬ心配だとは思うのじゃが」

「ちょっと! 他を気にするよりもまずは岩竜ッスよ! もう来るッスよ!?」

「戦場で焦るでないぞ。アレはワシが止める。その隙にお主らは竜に乗る兵を倒せ」


 歩みを終えたジェラールは戦艦黒盾ドレッドノートを地面に突き立て、その場で腰を深く落とす。ゴーレムが並ぶ更に前方にて、一人迎撃の体勢を取る形だ。


「そんな無茶な……」

「おい、ジェラール殿の指示通り、ワシらは竜に乗る人間を狙うぞ」

「ええ…… だ、大丈夫なんスか?」

「ジェラール殿に宿る闘気を見ればワシには分かる。彼もまた我らとは一線を画す実力者だ。実力で劣る我らが心配したところで仕方がないだろうよ」

「りょ、了解ッス」

「無駄話はここまでだ、来るぞ」


 グインが意を決して前を向く。先頭に立つジェラールの10メートルも向こうにはいきり立つ岩竜の姿。ここまで近づけばその形相がよく見える。前のめりの姿勢でこちらに走っている為、正確な全長は測り切れないが、そこいらの城壁を軽々と超える大きさはあるだろう。全身がゴツゴツとした岩の鎧で覆われ、模様も灰色が重なり曲がったものだったので今まで気がつかなかったが、よくよく目を凝らせばその両手には翼らしきものまで付いている。まさか飛ぶことも可能なのか、と嫌な考えが頭を過るが、今は深く考えないように努めた。巨体を支える両足も屈強なもので、この脚力により岩竜は機敏に走ることができるのだと感じられる。ただの体当たりでも岩竜にかかれば必殺に成り得るだろう。


 概していえば、でかい・重い・速いの3拍子である。


(……いやいや、無理っしょこれ!)


 グインの心が挫けるのは思ったよりも早かった。彼が背を向けて逃げ出そうとした正にそのとき、地鳴りと衝撃が全員に襲い掛かる。ジェラールと岩竜ボガが衝突したのだ。


「ぐっ……!」

「こんなに、離れているのに……!」

「あべしっ!」


 その身に衝撃を受けたサバトは堪えようと耐え忍び、脅威の光景を目の当たりにしながらも目に焼き付けんとする。顔面から転倒してしまったグインは何が起こったのか理解できなかっただろう。ゴマと仲間の冒険者二人は互いを支えながら、またアッガスは剣を地面に突き刺しながら心から賛辞を贈っていた。


「グゥルルア……!」

「ば、馬鹿な…… ボガの捨て身の一撃を、食い止めただと!?」 


 ジェラールの戦艦黒盾ドレッドノートが軋み、頭から突っ込んだ岩竜が呻く。互いの両足は乾き切った地表に裂け目を作り出し、今にも陥没せんとしている。そんな拮抗する両者のせめぎ合いが数秒の間続いたが、岩竜が一歩、また一歩と退く。ジェラールが押し始めたのだ。


「フンッ!」

「なっ!?」


 それを隙と見たジェラールは岩竜の顎目掛けてのかち上げを行う。盾越しに放たれた一撃は岩竜の顎を正確に捉え、その巨体を僅かに宙に浮かす。ボガは己の力に並ばれたこと、あまつさえ軽々と超えられたことなど考えもしていなかった。それは騎乗する大隊長も同様であり、心の揺らぎ、動揺と言う名の波紋が広がるばかりであった。


「幾らなんでも、隙があり過ぎじゃろうて…… 肉体を過信するのも考えものじゃのう」


 ジェラールはそんな気など御構い無しに浮かんだ岩竜の頭に掴みかかる。戦艦黒盾ドレッドノートを外し、知らぬ間に左手をフリーにしていたようだ。ガッチリと掴んだボガの頭部が、大地へと叩きつけられた。最早強度が限界に達していた朱の大峡谷の道は、ボガの巨体を巻き込んで陥没。幸い両脇の壁に支障はなかったようだが、道の境目に大規模な穴が出来上がってしまった。


「ほれ、サバト殿」

「あ、ああ……」


 岩竜の頭を押さえつけるジェラールに呼ばれ、我に返るサバト一行。そうだ、彼らは観客などではない。サバトにはサバトの役割があるのだ。


「サバトっ! いくわよ!」

「ッ! 俺より先に行くんじゃねぇっていつも言ってるだろ!」


 最も早く動き出したゴマに続き、サバト、アッガスと他の者達も穴の中へと侵入する。狙うは岩竜の突起した鱗の影にいる敵の指揮官である。


「あれはガウンのゴマとサバト! やばいぞボガ、抜け出せるか!?」

「グゥルルゥアアーーー!」


 メキメキと頭を押さえつけられるボガが痛みを無視し、全力で巨体を起こそうと奮起する。だが、ジェラールにより固定された上半身は微動だにせず、抜け出せる気配は微塵も感じられない。焦燥感に駆られる大隊長と岩竜とは対照的に、ジェラールが汗ひとつ落とす素振りも見せないことも尚更彼らを焦らせた。


「グゥガァアアーーー!」

「ほう……」


 突如、岩竜が大地をその手で掘り始めた。何の力が働いたのか、押さえているはずの頭部も穴の表面に沈みかかっている。


「『土潜』のスキルか。見た目の割りに中々多芸じゃのう」

「そうだボガ! そのままそいつを引き摺り込んでやれ! そこはお前のテリトリーだ!」

「お前(貴方は)は逃がさないけどな(ね)」


 大隊長の両耳に聞こえる男女の声。


「なっ……! まだ、距離はあったはず―――」


 突き刺さるサバトの剣と、左胸を陥没させるゴマの拳。


「見誤るんじゃねぇよ。あの程度の距離、もう戦闘圏内じゃねぇか」

「でも、収穫はあったわね。竜は別にしても、指揮官クラスでB級冒険者程度の実力――― 兵を相手するだけなら私達も貢献できそうね」


 獣人としてトップレベルの力を持つサバトらにとって、俊敏さ、特にその瞬発力は最高の武器である。本気を出した彼らはA級に恥じぬ実力を持つのだ。ただ、最近はその比較対象が少しばかりアレなだけなのだ。


「うおっ!」


 大隊長を始末したはいいが、岩竜は未だ健在。ボガは今も地中に潜らんと巨体を揺らしていた為、サバト達は振り落とされそうになる。


「で、こっからどうするんだ? 正直、俺らじゃこいつにダメージを与えれそうにないぞ?」


 ガンガンとサバトが剣を突き刺そうとするが、岩の装甲はビクともしない。装甲の層もかなり厚いようで、可動部の隙間も同様であった。


(うーむ、王からは古竜を極力殺すなと言われているしな……)


「こら、止まらんか」

「グゥルァァウガァアアーーー!」


 手に篭める力を更に加え、岩竜を牽制するも変化はない。そうしている間にもボガの体の三分の一は既に地中へと埋まっていた。


「聞いておるか? このままじゃとお主を殺らねばならなくなるのじゃが―――」


 岩竜の下半身は完全に埋もれてしまった。地中に逃がせばそのままパーズに向かう可能性もある。ジェラールは最後の警告を発した。


「―――止まらんか」

「!?」


 それは明確な殺気。漆黒の大剣を竜の首元に当て、頭の装甲には鷲掴みにした指が減り込むほどの力を加えられた。それ以上抵抗するのならば、ここで殺す。怒りで視界を真赤にしていたボガの理性に、問答無用で注ぎ込まれる危険信号。後に感じるのは畏怖の念のみだった。ガクガクとした震えは装甲越しにも伝わり、岩竜は生まれて初めて恐怖を感じたのだ。


「と、止まったのか?」

「何か俺、背筋に冷たいものを感じたんスけど……」

「その感覚を覚えていた方がいいな。生き残る為に必要なものだ」


 ジェラールがずるずると無力化した岩竜を地中から引き抜くを間近で見ながら、サバト一行は何とも言えぬ気持ちを整理するのであった。

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