六話 小さな恐怖に誘われ
数日後、そろそろ望緒も巫女の仕事に慣れてきた。変わらず、字を書けるほどではないが。
「お納めください」
「ありがとう」
三十代中頃の男性が一礼し、神社を後にした。
「すみませーん」
「?」
女の子の声がしたはずなのだが、望緒の前には誰もいない。周りにもいなさそうだ。なら、一体どこで声がしているのか。
「こっちです、こっち」
「……あ!」
望緒が下を見ると、女の子が台を手で掴んでぴょんぴょんしているのが見えた。
「えと、どうしましたか?」
「着いてきてください」
「えっ」
何かを買うのかと思っていた望緒は、拍子抜けな声を出した。
「あー、ごめんね。ここを離れるのはちょっと……」
今、飛希は徳彦と共に事務作業をしている。望緒がここを離れてしまうと、御守りを授与することができなくなる。
だから、この場から出ることはできなかった。
「来てください」
「うーん、でも……」
「……」
望緒が躊躇っていると、少女は彼女の目をまっすぐ見て、圧をかけてきた。それは小さな人間とは思えぬほど。
「な、なんで着いてきてほしいの?」
「…………着いてきて」
望緒がどれほど訊こうと、少女はそれだけしか言わない。困り果てた望緒は、飛希たちに相談しようと立ち上がろうとするが……
「!?」
立ち上がろうにも立ち上がれない。なぜか体が重く、完全には持ち上がらない。
横目で見ると、少女の灰色の瞳がやけに不気味に光っている。恐ろしくて、冷や汗が流れる。
「わ、わかった…………」
為す術なく、望緒はその少女について行った。
「……望緒?」
事務室から出てきた飛希は、少女に連れられる望緒の後ろ姿を見て、そう呟いた。
◇
––––どこまで行くんだろ……。
連れられてから数分、少女は止まろうとしない。ついには薄暗い森の中まで来てしまった。
そこまで来て、望緒は意地でもついて行かなければと後悔をした。
全身の震えが止まらない。今からでも帰ってしまいたいと思うも、少女が手を強く握っているため、離すことができない。
「ね、ねえ……やっぱり、心配だから戻っても––––」
そこまで言うと、少女は望緒に背を向けたまま立ち止まった。その後ろ姿はなぜかおぞましかった。
「……うん、ここまで来れば大丈夫だね」
「え……?」
望緒は自分で自分の声が震えているのを感じた。
少女はくるりと振り向くと、口角を高く上げる。
「もう気づいてるでしょ? わたしが“念”だって」
「……!」
図星、である。神社で身体が持ち上がらない時点で、既に気づいていた。にもかかわらず、ここに着いてきたのは、為す術がなかったから。
四家の生まれでない望緒は、特殊な力が使える訳でもない。抵抗なんざできるわけもない。
「わ、たしをどうしたいの」
「え、殺すだけ」
何の変哲もない淡白な言葉が、逆に恐ろしい。
「わたしね、人間がグチャッてなるところを見るのが好きなの。血がいっぱい飛び散って臭くなるのが好きなの」
常人には理解し難い所業。
望緒の腕を握る念の手が、段々と強い力になっていくのを感じた。
「っぁ……」
『離して』の言葉が言えない。恐怖は最も人間を無力にする。望緒の身体は震えて力が入らない。入ってくれない。
「ごめんね、わたしのために死んでね」
念がそう言い、彼女の首に手をかけようとしたその瞬間––––
「っあっつ!?」
念の左腕が火に包まれる。赤く揺らめく炎が、小さな手を熱気と共に焼いている。
「望緒!」
「ぁ……」
望緒が振り向くと、飛希と徳彦がこちらへ走ってきているのが見えた。飛希が望緒の肩をがっしり掴む。
「なんでついて行ったの!?」
「あ、えと……」
彼の剣幕に気圧され、望緒は何も言えず目を逸らした。そんな様子を見かねて、徳彦は飛希を引き剥がした。
「飛希! 望緒ちゃん、怪我は無い?」
「はい……ないです…………」
徳彦の穏やかな表情で、彼女の涙腺が緩み、少し涙目になった。
「危ないから、離れててね」
望緒は喉が熱くなり、鼻の奥がツンとなるのを感じた。それのせいで声が出なかったため、黙ったまま二回ほど頷く。
無言の飛希に連れられ、彼女は少し離れた場所へ避難した。
そこから見えたのは、徳彦が手から炎を出して念と戦っている様子。周りの木に当たらないよう、よく調節されている。
念は意地でも当たるまいと、必死の形相で左右に避けている。たまに、髪にチリッと当たり、歪んだ表情をした。
しかし、人間で且つ小さな身体の念は思いのほかすばしっこく、なかなか致命的な攻撃は当たらない。
「……」
二人はそれを黙って見るだけ。無理に入れば、逆に足手まとい。
念が反撃しようと力いっぱい脚に力を込め、右手を出して徳彦に飛びかかろうとする。が、その一瞬の隙を見逃さなかった。
彼は念の
すると、一瞬で念の身体が火に包まれ、塵となって消えていった。
「……何も、残んない…………」
骨も灰も、何一つとて残ることはなかった。ただ、火の粉が空を舞って消えていっただけ。
「……ふう、さ、二人とも帰ろうか」
望緒は呆気に取られながらも頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます