ロックナンバー:未知への挑戦(7/7)

 段差や広さで入室に手間取っているバオを、ヒバルの部下たちが支援した。遅れてやってきた彼は話が動いていないらしいことに声もなく腹を立て、筆談用のスケッチブックを投げつける。どうにも、このバオという男性は短気がすぎるようだ。


 スケッチブックはリエンに直撃する前にヒバルがキャッチした。そして寸間。思考を巡らせる眼差しをしていたヒバルはバオのことも理解したらしい。難しい顔をしてスケッチブックをバオに手渡す。


「生き残ってるのは俺だけかと思ってたぜ」


 バオはガシガシと乱暴に文字を書き、ヒバルに見せる。

『勝手に殺すな。イキがるな。残ったのは三人だ』


「そうか。……そうか」


 リエンとバオにとっての戦友がヒバルであることはどうやら確実のようだ。この三人は北方の地域の特徴的な名前を有している。何か事情や経緯があるようだが、今はそんな昔話に花を咲かせている段階にはない。


 ヒバルは噛み締めるように目を閉じていた。次に目を開いたときには、普段に見せる意志の強い眼光を見せていた。


「ふざけるのもここまでだ。お前たちの属するのは鉱物研究のイスクスで合ってるな?」

「ああ。そうだよ」


 リエンもここに来たらもう悪ふざけをするつもりはないようだ。彼女はイスクスの制服に留めていた団員証明のカードをヒバルに見せた。顔写真。社員番号。イスクスのロゴを添えて、彼女が正規の団員であることを示している。ヒバルはそれを手に取ったところでリエンは言葉を続けた。


す、く。並べ直してイスクスさ。まあ歴史の浅い団体だが、よろしく頼むよ」

「写真の修正……」

「してないよ!!」


 リエンはひったくるようにしてヒバルからカードを奪い取る。ロックナンバーはその視界の端でこっそりとバオのスケッチブックがこちらを向いたのを見た。


『修正なんて誰でもやってる。くだらない』

「とにかく、これで滞在許可を出してもらえるね? 怪我人たちを放っておくこともできないし、医薬品も足りない。イスクスの開発した薬品の許可も欲しいんだがね」


「俺の一存で全てが決まるわけじゃあない。他の奴の賛成も必要だ。イスクスは知名度もないからな。医療側は認知しただろうから、そこからじっくり取り組もう」


 ロックナンバーはあの会議室の様子を思い出していた。このベルティナという港町は他の町や村などのように、強力な権力を持つ一人の一声で物事が動くことはないようだ。様々な業種のリーダー格がいて、そのリーダー格が集まったのがあの会議室のメンバーなのだろう。


 どん、とロックナンバーの膝下にバオの足がどついて来た。明らかに故意でぶつかって来たのだ。ガスマスクのしたから鋭い視線を向けたのち、サラサラとスケッチブックにペンを走らせる。


『用件を済ませろ。戦闘員は戦うだけで金が貰えるなんて思うな。役割を理解しろ』

「あ、ああ……。ヒバルさん」


 呼びかけにヒバルがこちらを向く。そうしている間にもバオは文字を書いている。少しの間を置いて、彼は再び字面を見せて寄越した。


『昔話は後だ。白い霧。未知の怪獣。この町が本当に安全だと思っているのか』


 返事はなかったが、ヒバルの眉間にシワが寄っている。明らかにバオの言葉を受けての反応だろう。バオの視線がリエンに向く。そしてロックナンバーを見て、再び文字を書き出した。

 驚いたのはロックナンバーだ。


「白い霧のこと知ってるのか? 今も見えてる?」


 バオは手を止めてロックナンバーを見たが、それ以上のことはせず文字を書き続けている。代わりにリエンが言葉を添えた。


「最初に気がついたのはバオだよ。こんなに霧の出る中でなんで生活してるんだ、って言うからさ。

 その時は私にも見えなかった。意味がわからなかったよ。ゴーグルが汚れてるのか、変なものでも食べたのか……って。

 違ったね。バオは自発的な呼吸もできないから呼吸補助のマスクをしてるんだが、そのおかげで最初からずっと白い霧が見えてたみたいなんだ」


『薄気味悪いと思ったんだ』

 バオの言葉はそんな一言から始まっていた。


『こんなところにリョースケが長居するのか? この町の海には怪獣がいるという話だった。実際に襲われた人間がいる。なのに、そいつは無傷で生還している。おかしすぎるだろ。なのにお前らは』


『それが当たり前みたいな顔をして暮らしてやがる。そんなわけあるか。食われるし、潰される。あいつらは人間を目の敵であるかのように襲って来やがる。それが一般常識だろが』


 声が出せない代わりに、激しい感情の乗った文字が続いている。もし彼が自由に動くことができ、話せるのだとしたら、ヒバルに匹敵するかそれ以上の気迫を放って吼えていたかもしれない。


 バオの訴えはロックナンバーにも分かっている。いつの間にか町の平穏さに流されつつあったが、もしそれすらも白い霧による影響ならば危険だと判断するには十分だ。ロックナンバーはため息すら控えめになり始めたことに気がついた。呼吸を控えることはできないし、手遅れなのは間違いない。それでもこの町の空気がもしそうならと思うと。


 ロックナンバーは無骨な自身の両手の指を絡めた。


「実際、バオさんだけ白い霧を認識してるなら、割と真剣に呼吸で害されてるって考えていい気がするな。ヒバルさんが町を抜けて丘に上がってやっと白い霧を認識したのに、重要なことは喋れなかったって言うのも……」


「真菌の類でも吸ったのかい、きったないねえ」


 リエンはパッパッと衣類をはたいた。砂や埃を払うかのような所作を、ヒバルはひと睨みするに留めた。苦虫を噛んだ顔をして、静かに唸りつつ俯いている。


 バオの視線がロックナンバーに再び向いた。彼は声を発さないが、その眼差しは雄弁に語っている。正しく理解できるわけではないが、それでもすべきことを促されていることはわかった。


「今更マスクするなんて、町民は納得しないだろうし、やらないでしょう。馴染みないものですからね。俺もまだ勉強不足で恐縮なんですが、白い霧やガスなんかで攻撃したり錯乱させるような怪獣って今までにいたんですか?」


 ヒバルは首を横に振った。バオは顔を背ける。言葉で応じたのはリエンだった。


「いないね! バルク系統にもエルオウ系統にも、そんなやつはいない……ってか、バルクもエルオウもぶっちゃけ色違いでしかないからね。

 でももし、第三の鉱物資源があって、その系統の怪獣だとしたら分からない。近しいものといえば毒を発する怪獣だが、あの毒は身体を蝕むものだ。思考や意思決定に影響は出ないし、視覚に異常をきたすものも報告がない。

 イスクスとしての回答とするなら、『今のところはいない』と答えるべきだろうね」


 前例のない攻撃行動。しかもそれは長期にわたっている可能性があり、どうやって発されているのかも分からない。

 考えなくては。ロックナンバーは慣れない思考回路を走り回る。見つけたものはなんでも拾い上げた。


 巨大すぎる怪獣が発見された土地は、人間の住むことができない土地と判断される。現代において、人間の技術力で怪獣の大きすぎる質量を支えることができる建築は未だかつて完成された試しがない。

 まして、そんな質量が攻撃に用いられようものなら。


 残念ながらロックナンバーにはよくある答えしか頭の中になかった。


「住民を他の港町に移住させた方がいいんじゃないんですか。港町の設備を手放すことにはなるけど……」

『違う。倒すしかない』


 バオの結論は極めて簡潔だった。

『この町が地図から消えるのか、怪獣が消えるのかのどちらかだ。未知の挑戦になるが、なおさらできるだけ情報を取得しないと次に繋げられない』


 ヒバルは黙して何も言わなかった。その沈黙が何を示しているのかは分からないが、ロックナンバーはまだ発言ができる。


「それもそうだ」


 英雄だとか、名誉だとかに惹かれたことがないとは言わない。今回は特にそれで動くことは危険だと理解している。ここで撤退するのも選択肢の一つにある。


 何を選んでも正しい気がするし、何を選んでも敗北につながる気がする。ロックナンバーはその痺れるような緊張感と吐き気のするような高揚を覚えた。無意識に得物の柄を握りしめていた。震えを感じる。口元は引き攣り、笑っているようだった。

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