ヒバル:歴史の塵(3/3)
リョースケはベルティナの人間ではない。
ここより北部の地方の出身で、恵まれた体格と好戦的な性格を主に評価され、戦場での活躍を期待されて育った。実際、闘争心と暴力性は当時の若いリョースケを表現するのに欠かせない言葉であった。
最低限、任務や目的を違えなければ暴力は正当化され、金が支払われる。リョースケが地方を巡回する戦闘集団の一員となり、その才能を見せつけながら戦果を上げる様子は、誰もが事前に予見していたことであった。
状況が変わったのは鉱物資源を用いる無人施設の建築が始まった頃であった。
漆黒の鉱物資源であるバルクが運ばれて来たと同時に、怪獣たちの襲撃が激化した。それまでにも襲撃はあったものの、都市部に比べれば小規模なものだ。だが小型怪獣の群れが大きくなり、中型や大型の出現が目立つようになったのである。
この現象は世界各地で見られるものであり、珍しいものではなかった。ただ、ベルティナに限らずこの地域は準備が間に合っていなかった。戦闘集団に休みなく救援要請が入るようになった。レスキュー隊を別途呼ぶにしても資金が足りない。
規模の小さな集落から姿を消していった。村が焼かれ、風下にいると嫌な臭いを感じる日々が続いた。力ある若者が
しかしバルクを用いた施設建築を止めるわけにはいかなかった。それは必要な設備であったし、放り出して逃げてしまえば怪獣がそれを糧にして一気に成長してしまう。それだけは避けなければならなかった。
ベルティナが中型怪獣の群れに二度連続で襲撃されたのは、バルクを持ち込むルートの一つだったからであると考えられている。リョースケはこの時、ベルティナに待機している戦闘集団の一員であった。中型怪獣に対峙したのは初めてではないが、自分の二倍以上ある大きさの怪獣に四方から見下ろされるような状況になったことはない。想定よりもこの中型怪獣の群れは大きなものだった。
この時の中型怪獣たちの攻撃は凄まじく、ベルティナの住民は船を使って海上に避難したものの、逃げ遅れの命の数は少なくなかった。
さらに追い打ちをかけたのは襲撃者たちの強奪作戦である。
戦闘集団の中にも犠牲者を出す結果となり、満身創痍のところに奴らは襲いかかってきた。狙いはバルクだけでなく、ベルティナそのものである。
港町と船を手に入れることができれば、彼らの活動の幅が広がる。海賊になる者もいるだろうし、襲撃者たちの町が一つ出来上がるとやがてそれは要塞化していき、規模が大きくなれば町や都市を相手どって活動し始める。
なんとしても負けるわけにいかなかった。
この戦いで、リョースケは高齢の有力者を救出することに成功した。その代わりに右足と腰を負傷し、左腕は繋がってはいるが動かせない状態にまで陥った。
現在もリョースケは健在ではあるが、走ることや重いものを持つなどはできない。彼は死に至ることこそなかったものの、この負傷を理由に戦闘集団からは強制的に退団させられることとなった。戦果と功績に見合う金が渡されたが、戦うことが出来なくなったリョースケには無価値な塵の山であった。
失意に沈むリョースケに見舞いの人間はいなかったが、ある日一人の高齢者が訪問した。
リョースケが救出した、ベルティナの有力者である。この有力者も足を焼かれる惨事に見舞われたが、杖をついて自力で歩き回れるほどに回復した。
それはリョースケに会うためだけにやってきたのだ。
「坊やに救われた命を坊やのために使ってやるよ」
リョースケが戦闘集団を退団することになったと聞いたその老人は、ベルティナを含む三つの町に不動産を持つ有力者だった。この地域を治めていた者が館を捨てて一族で姿を消した後、この老人の一族がなんとか取りまとめていたのだそうだ。しかし若者は都市に流れたり戦場に駆り出されたまま戻らなかった。後を継ぐ者がいなかったのだ。
「不動産? 俺に学はないぜ。諦めな」
「そこで腐るつもりかい。坊やは生きている。怪獣に襲われてもなお、精神を病むこともなくだ。ベルティナには人手が必要でね。お前さんのように頑丈で、力自慢の男手は特に必要なのだよ」
「働かせたいだけじゃねえか。悪いが俺も五体満足じゃあない。働くにしても女を抱くくらいしか出来ねえよ」
「ロクに訓練もしないのに、女なら抱けるというのかい? 子供すら持ち上げられないから、口だけ達者になっちまって情けないねえ」
言い返すカードを失くしたリョースケは代わりに睨みつけるくらいしか出来なかった。寝て過ごしている分、筋肉は落ちたがそれでもこの老人に負けるはずはないと思い込んでいる。そして思い込んでいるだけでもあった。
戦闘集団という暴力を認可する組織から外された以上、リョースケはただの怪我人でしかない。全くの不孝者だった彼の家族は勘当するも同然で戦闘集団に入れたのだ。それだけ彼は横暴で傲慢な男だった。
その過去がこの老人を警戒させていた。男性なのか女性なのかも判別できない横顔。どれだけ睨みを効かせても、その皺まみれの顔が怯える様子は全く見せなかった。むしろ、欠けた歯を見せながらニヤリと笑みを見せる。
「坊やの名前は?」
「……ヒバル」
「そりゃ家の名だろう。おまえさんの名前だよ」
「リョースケだよ。名前なんか知ってどうすんだ。呪ってくれるのか?」
カッカッカ、と咳をするように老人は笑った。
「それが出来るなら、あの忌々しい怪獣だの襲撃者だのをとっくに滅ぼしてやるさ。……なるほど、ずっと北の方から来たんだね。自分の名前は書けるだろう?」
「バカにしてんのかよ」
「名前が書けるなら最初の仕事ができる。初歩の初歩から教えてやるよ。この老いぼれがくたばる前に、全部叩き込んでやる。これからお前の戦場はこの港町ベルティナだ。覚悟しなリョースケ」
一般常識や教養。身だしなみ。マナーと礼節。労働によって対価を得るということ。人に仕事を与え、対価を支払うということ。土地の価値。建築に携わる多くの専門職の存在。
この世界では一度の襲撃によって町が滅ぼされてしまうことも珍しくはない。それ故に不動産という業界は消え物として見ている者も少なくない。だから複数の異なる土地を持ち管理することを推奨し、そして万が一の時には顧客を安全な所有地に移動させることも重大な責務の一つだと語った。
老人が知識を与え、リョースケが育ち動けるようになる度に、老人は寿命に近づいていった。
「この時勢でこうして安らかに逝けるのは幸せなことさ」
「気が早いぜ。晩飯にトラウトのムニエル頼んでるんだろ。ライスも準備してあったし、食う気満々じゃねえか」
カフッ、カフッと老人は笑った。咳をするような笑い方も、今やすっかり弱々しいものになった。
「死は待つんじゃない。受け入れるものだ。だから備える。夕飯も、明日の予定も考えておくのさ」
「はいはい。飽きるほど聞いたよ」
「ベルティナは重要拠点だ。リョースケのような後継を掴まえたのも幸運だったよ」
そんな働きができているだろうか。
獲物を握りしめていた手はペンを持つことを覚え、盾を構えていた腕は子供達を抱き上げることが多くなった。太い指は不器用だったが紙の束を整頓し数え、自分の名の判を押したり封蝋を用いたりするようにもなった。
有事の際にはもちろん、前線に出るが以前ほどの動きはできない。だが戦えないほどではない。戦闘技術も不動産の仕事にも、それぞれに部下を抱えるようになった。
「よくぞここまでやってきた。だが自惚れるなよ。私よりも長く生きて、より多くの人を救ったらば認めてやろう」
老人はその日、息を引き取った。そしてその翌日には、かつてリョースケが所属していた戦闘集団が怪獣の襲撃に力つき、全滅したという記事がニュースペーパーに記載されていた。それはリョースケの人生にとって新たな時代が来たことを知らせるものであった。
あの日のことはよく思い出している。それは何らかの重大な決断を前にしたときや、ベルティナに何らかの危険が迫っている時に脳裏に浮上する記憶であった。
死を運び込もうとする何かの足音。ゾワ、として毛が逆立ち、心臓や肺が急に膨らんで不安の熱を抱え込む気色の悪い感覚。
シドーを尋問した翌日の目覚めは最悪だった。あの夢はもう何度も見ているのに、慣れない寒さと薄気味悪さで汗をかく。
この日はラムラスが退院する予定の日。見舞いはいいだろう。リョースケは自分の身辺を抜かりなくチェックした。あの夢を見る時は何かが起こる。
そうして過ごして外はもう夕方。日が沈もうとしており、空がゆっくりと瞼をおろすように暗くなり始めた時間帯である。
「ヒバルさん!」
ドタドタと実際に聞こえる足音は、そんな静けさをぶち破って駆け込んできた。部下の一人が血相を変えて緊急事態を知らせにきたのだ。
「なにを騒いでるんだ」
「大変です、すみません、気づかなくって、いや! 見てたんですけど、見落としてたわけじゃなくって」
「うるせえな。おい、なに言ってんだ?」
また海の怪獣か? それともシドーとダミアンに何かあったのか? リョースケはそのどちらかを想定した。
そのどちらでもなかった。
「
積荷。なんの積荷なのかは分からないが、船からやって来たものにしろ陸路からやって来たものにしろ、中身を改めずに持ち込んだ物の中に何かが紛れ込んでいたようだ。
「ロックナンバーはなにしてるんだ? 怪我人の状況は?」
「あの戦闘集団はいま町を離れてて、いなくて……すぐ戻るらしいんですけど、あっ! 怪我人は多数出てて、でも病院は死守してるんですけど……」
当時のリョースケなら激昂したことだろう。今はため息をつくくらいの余裕がある。
「分かった。すぐに行く。お前は基本に従って動け」
「はい!」
リョースケ・ヒバルの戦場は港町ベルティナだ。相手が話し合いに応じず、武器を手にして怪我人まで出したなら、相応のもてなしをする備えがある。
爆発音。悲鳴。怒号。下品な笑い声と破壊音が聞こえてきた。リョースケはその光景をしばしの間、窓の外から冷ややかに見下ろしていた。
「行くか」
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