25:トイレの太郎さん 増殖編

「さて、次は……」

「あが……こふっ……」


 口から泡を吹いて汗で顔がきらめく太郎さんは天井を見つめる……その両目からは留まることなく涙が流れ……顔色は見るからに青ざめていて……お腹の肉に引き伸ばされたアニメキャラクターの魔女っ娘が無残むざんな笑顔を振りまいていた。


 さて、止めを刺そうかな?


 私の辞書に容赦ようしゃと言う二文字は無かった。

 あれから嫌がる太郎さんの首根っこを掴んでひたすら私はユウキとの思い出を写真付きで語り、いかに私の幼馴染が格好良く、優しくて、可愛いかを説いている。


「追いかけられるのが苦手、さすがユウキ……良く調べていたのね」


 思わず私の口角が上がっていった。

 普段は馬鹿で鈍感で間抜けでデリカシーの欠片もないけど、ちゃんとやる時にはやる奴なのだ。


「ち、ちが……」

「ふんっ!!」


 ――どがっしゃぁ!!


「あああああああ!? マジカルピーチ!!」


 私は躊躇いなくリュックサックからはみ出ているフィギュアの頭を蹴り抜く!

 無残にもそのフィギュアの首はころころとトイレの出入り口まで転がり、虚ろなまなざしで私を見上げていた……ごめんね、すべてが終わったらちゃんと組み直して綺麗にしてあげるから。


 心の中で謝罪して、私は手をばたつかせてその生首を求める太郎さんを見下ろす。


「次は……誰の首が飛ぶのかしらね?」


 ……今のは私の声なのだろうか? 思ったよりも低く聞こえて自分でちょっと驚いてしまった。


「ひ、卑怯なんだな! 手も足も出ないマジカルピーチを! ぼ、僕の首を飛ばせば良いんだな!!」

「そんな事しませんよ。太郎さんが聞いてくれなきゃ誰がユウキの5年生での大事件、夏休みの宿題編を聞いてくれるんですか?」

「ひいぃぃ!? も、もうわかったんだな!! 聞きたくない聞きたくない聞きたくない!! 充実した学校生活の実体験なんて僕には必要ないんだな!!」

「それは確かに……」

南無阿弥陀仏なむあみだぶつ! 南無阿弥陀仏ぅぅ!!」


 どう見ても小学生には見えないおじさんがそのままの姿でやり直したら、別な意味で恐怖だったりする。

 そんな私の反応などどこ吹く風で太郎さんは両手で耳をふさぎ、目を閉じて私から逃れようとしていた。でもだめ、追い詰めて絶対に歯向かわない様にしないと……ユウキに危険が迫るかもしれないもの……ああ、でも。


「そろそろ、赤い警備員も倒さなきゃ……ユウキを守らなきゃ」


 止めの準備として、私は墨汁を満タンに入れてある電動水鉄砲を太郎さんに向ける。

 ……なんかこの構図だけ見ると、私がとんでもない悪人に見えるのは気のせいだろうか?

 いやいやいや、これは仕方の無い事なのだ。

 だってほら、太郎さんのうわさは本当にあって逃げると問答無用で異世界に引きずり込まれてしまうのだから……強気で追いかけたりするしかないんだもん。

 間違ってない間違ってない……。


「た、助けてなんだな……次郎」


 ……ん?


「え、今なんて言いました?」


 今なんか、聞き捨てならない言葉が太郎さんから発せられた気がするんだけど。


「じ、次郎! こ、この少女危険なんだな!! 兄弟の絆で打ち破るしかないんだな!?」

「き、兄弟!?」


 ま、まさかこんなのがもう一人……な訳ないよ、ね?

 うん、ほらこういう場合ってアニメや漫画では正反対の凸凹でこぼこ兄弟って相場が決まってるもの!!

 意外と仲良くできるかもしれない!


 なんて混乱しながら動きを止めた私の耳に、足音が聞こえてくる。


 ――ぱたん、ぱたん……


 それはまるで……まるで、サンダル? のような間の抜けた音……あれ?

 

「えほっ」


 何だろうか、急に酢のような酸っぱい鼻につく匂いが漂い始めてきた。

 あまりの匂いに私は鼻をつまんでトイレの窓を開け放つ……しかし、そのせいでさらに匂いはトイレに充満し始める。


「な、なんなの?」

「き、来たんだな! お、お前もう終わりだからな!! ぼ、僕と弟が揃えば極悪非道な少女の一人や二人。恐れるに足らないんだな!」


 胸の奥からこみ上げる不快感に耐える私に対して、太郎さんは息を吹き返したかの様に溌溂とした歓喜の声を上げ始めた。

 

「い、嫌な予感しかしないんですけど」

「ふ、ふひひ! も、もうお前は終わりなんだな!! マジカルピーチの恨み、思い知らせてやるんだな!」


 しゅたっと、私が呆れる位身軽な動作で起き上がった太郎さん…………残念ながらその事に驚けるくらいの余裕がなくなってきていた。

 だって、足音が近づくのと比例してどんどんどんどん匂いはきつくなってきて……目に染みる物理的な脅威にまでなりつつあるんだもん。


 ここまで来たら認めるしかない、おそらく次郎さんは太郎さんの複製ふくせいだと。


 ――ぱたん


 とうとうその恐怖は……たどり着いた。

 太郎さん窮地きゅうちさんじた弟……次郎さん。

 私はスマホのライトを恐る恐る男子トイレの入り口へ向けた。


「兄上……無事でござるか」


 落ち着いた低い声とゆっくりした口調……まるで映画のワンシーンみたい。

 仁王立ちで時代劇のBGMでも流せば『雰囲気だけ』は格好いい、でも……でも…………。


「いくつか質問があります」

「何だ愛でたい程好みな見た目の少女」

「……なんで水着なんですか?」

「泳いでいたからでござる」

「なんでところどころ真っ黒なんですか?」

「廊下に墨汁が巻き散らかされている場所があったからでござる」

「なんで肩から下げているTシャツ、そんな汗臭いんですか?」

「握手会で着ていった記念のTシャツだ……一生洗わないと決めているのでござる」

「そんなに鍛えた8頭身の身体は凄いと素直に思うんですが、顔だけその努力が仕事をしていないのはなぜ?」

「遺伝子が我が努力を上回った……そう言う事でござる」

「最後です。語尾は一体?」

「我が最推しの二次元動画配信者! 忍ビ丸 蘭子らんこ様のファン! 忍友の基本語尾でござる!! にんにん! も可でござる!」


 …………あ、駄目だこれ。

 理解しようと言葉を重ねたが、情熱は素直に称賛できるのに身体に大きく書かれた『ののしってご褒美ほうび所望しょもう』の一言ですべてが崩れ去り……共存不可能の警鐘けいしょうが脳をぐちゃぐちゃにシェイクするパターンだ。

 一言でまとめるとこう。


「生理的に無理です、ごめんなさい」


 小学六年生には踏み入れてはいけない領域だと思うの。


「……は」


 私の丁寧に45度傾けた謝罪の礼に次郎さんの言葉にならない上ずった声がかけられる。

 ……ん? 奇妙に思って顔を上げると、次郎さんの顔が明らかに喜んでいた。なんで?


「はあぅっぅぅん! 小学生女子のガチ恋距離の本気謝罪でござる!!」

「良かったな! 次郎! 最推しにすら気持ち悪がられてブロックされたお前が! 夢を、夢をかなえた瞬間なんだな!!」


 胸に右手を当て、恍惚とした表情で崩れ落ちる次郎さん。

 それを涙を流して鼻をつまみながら歓喜の声を上げる太郎さん。


 字面だけ見ると、とってもとうとい兄弟だが。

 あえて言おう……無理。


「そう言えば兄上、ちまたではトイレの太郎には彼女が居ると聞いたのでござるにん!」

「ぼ、僕も聞いたんだな! だから今日は運命の日だと神様に感謝したんだな! でも、でも!! 見た目だけの可愛らしさに騙されてはいけないんだな!! 悪魔の化身なんだな!! ほら! 浮いてるし」


 そう言って太郎さんは唾をまき散らしながら私を指差す……おい、誰が悪魔だ。

 自分で言うのもなんだけど……5回くらい同級生の男の子に告白されていますが? 割と人気ある方なんですが???

 そんな私の困惑を全く気にする様子もなく(まあ、気にされても困るんですけど)……


「この少女を連れて異世界転生するんだな! だな!」


 自分本位の願いを口にする。


「兄上は何に転生したいでござるか!」

「一緒にお風呂に入っても怒られないペットが良いんだな!!」

「それは名案でござる兄上!!」


 なんだこの茶番、私に精神的なダメージはしっかりと継続けいぞくして入ってきている。

 しかも半分以上話を聞いてくれない。


「……何これ、なんか薬品でもぶちまけたの? 古いお酢の匂いがするぅ」

「夜音さぁん! この人たちなんなんですか!?」


 ふらりと、当たり前のように男子トイレに現れた夜音さんに私はすがり付く。

 その夜音さんですら鼻をつまんで私の頭を撫でながら……。


「いや、なんかもう訳わかんないし。私も話に聞いてるだけだから会うの初めてなんだよね」

「そんな所に私を追いてったんですか!?」

「ま、まあまあ……あんまり危なくなさそうだし」

「私の正気度SAN値がガリゴリ減っているんです!!」


 そもそも私はユウキと合流したいんですよ!! 私の癒しを返してくださぁい!


「あ、兄上。また童女が増えたでござる! 今日は人生最良の日でござる!」

「じ、次郎! お前はあっちのワンピースの子が居、いるんだな!! パンク姿の見るからにきつそうな͡娘はぼ、僕の守備範囲外なんだな! だな!」


 そんなどうでもいいドラフト会議が聞こえてきた瞬間、どこからともなく蹴鞠けまりが風を裂いて二人の顔面に直撃する。

 

「……私が悪かったわ。なんか違うわコレ」

「ですよねぇ」


 このままこの二人、縄か何かでも縛って私のスマホの画像をスライドショーしているだけで倒せちゃいそうだしなぁ……。


「あ、そうそう。幼馴染のぼーやが今赤い警備員から逃げてるから。合流して今夜は帰りなさい、私も用事があってここにいるから」


 そんな事を私に伝えてきた夜音さんに、太郎さんと次郎さんが反応する。


「「逃げている」」


 ほえ?

 明らかに今までとは違う反応に、私と夜音さんはくるりと二人を振り返った。

 そこには表情を消して虚空を見つめる……学校の不思議、太郎さんたちがあらわれる。


「追うのだ弟」

「追うのだ兄上」


 ど、どういう事なんだろうか?

 さっきまでの挙動不審なおじさん二人はゆらりと立ち上がり……あ! そうか!! 


「太郎さんは逃げると追いかけてきて……問答無用で異世界に引きずり込む」

「え、じゃあもしかして……」


 拡大解釈過ぎない!? 


「女の子だと恥ずかしいから襲えないけど! 男なら別でござるぅぅ!」

「リアル充実系小学生男子! 許すまじ!! なんだな!!」


 ……………………………………あ、ただ単にユウキなら勝てると逃げに走っただけだ。

 よく見たら足が二人ともプルプル震えている。

 うん、なら……。


「ユウキに、手を出すんですか?」

「「ひぃ!?」」

「おしおき、必要ですよね? 座敷童さん」

「それはそうかもね……新参者に、上下を叩き込むいい機会だわ」


 私と夜音さんは手を握り、それをもう片方の手で包み込むようにして……。


 ――ゴキッ! 


 指の骨を鳴らして嗤う。


「逃げ足、どれくらい早いか確かめてあげるわ」

 

 夜音さんが指を三本立てて、数を数え始めた。


「さぁーん」


 逃げるための猶予時間を。

 その意味を即座に理解した太郎さんたちは、背中のリュックや手に持った記念のTシャツを放り捨て……思ったより素早い動きでその場から逃げ出した。


「にぃーい」


 私も便乗して、カウントダウンに交じる。


「いーち」


 そして、夜音さんの最後の指が折られた。


「「ゼロ!」」


 さあ、追われる人の気持ちをしりなさぁぁぁぁい!!

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