1.人間は悪魔を知る
夢を見ている。
真っ暗闇の中にいる私。泣いて泣いて叫んで、でも誰も助けてくれなくて。不安でしょうがなくてずっと泣いてしまう。
「……キミ、大丈夫?」
声が聞こえた。不安そうに揺れた声に反応して私は顔を上げる。
そこにいたのは――
「姉さん!……起きて!」
意識を引き上げる声だった。夢はそこで終わり、私はまぶたを開いた。
「…………ふ、うと、おはようー」
「おはよう、姉さん。って、早く起きて支度して。学校間に合わなくなる!」
ずいっと時計を押し付けてくる弟の風斗。まだ眠たい頭で時間を見て――目が覚める。
「な、もうこんな時間!?アラームは……かけ忘れてる」
思い返してみれば、確かに昨日アラームをセットした記憶が無い。休み気分が抜けていないのだろうか。いや、今はそんなことどうでもいい。
「急いで支度するから、待っててね」
ベッドから飛び起きて、パジャマを脱いで制服に着替えようとする。
「っ!ストップ!すぐ出てくから、それから着替えて」
そう言って目にも止まらぬ速さで、部屋を出ていった風斗。
本気を出せばあんなに早く動けるんだ。って、そんなことを考えている暇は無い。
私は脱いだパジャマをベッドに放り、ハンガーにかかっていた制服に着替えた。カバンを持って部屋を出て、洗面台で制服にかけないように気をつけながら顔を洗う。それから玄関で待っているであろう弟の元へ向かった。
「おまたせ、行こう」
「はい、これ。お弁当とおにぎり握ったからホームルーム前に食べて」
お弁当の入った小さめのトートバッグを差し出す風斗。確かにいつもより少し重たいようだ。弟の優しさがありがたい。
「ありがとう!」
急いで家から出て、忘れずに鍵を閉める。それから駆け足で学校へと向かう。
学校との距離はそんなに離れてはいないが、ゆったりと歩いている時間はない。私はともかく、弟に遅刻という罪を背負わせる訳にはいかなかった。
「風斗、今日のお弁当何?」
「……はぁっ、それ、今……話すこと……?」
「お腹すいて、気になっちゃって」
「きょ、うは……からあげ……」
「本当!楽しみ」
登校する生徒が多くなってきた辺りで、走るスピードを緩める。周りは走る私たちを不思議そうに見つめているが、アラームかけ忘れて遅刻かもしれなかったんだ。隣で息も絶え絶えな弟は巻き込まれただけなんだ。許してほしい。
「ごめん、風斗。大丈夫?」
「だ、いじょ……ぶ」
「本当にごめんね。走らせて」
「……だか、ら。だい、じょうぶ……」
ダメそうだった。復活にはもう少し時間がかかりそうだ。背中をさすり、様子を見る。だんだんと呼吸が安定してきている。
「あっ、四織に風斗くん。おはよ」
ハッキリとしたソプラノに振り向けば、同じクラスの藤谷麻美が笑顔で駆け寄ってくる。
「おはよう、麻美」
「……ふぅ。……おはようございます。藤谷先輩」
「二人とも、朝から仲良しだね」
「うん!毎日仲良しだよ」
「ぼっ、僕もう行くよ。藤谷先輩、姉さんをよろしくお願いします」
風斗は顔を赤くして、急いで学校の方へ走っていく。息が整ったばかりだと思ったけど、大丈夫だろうか。風斗のクラスの時間割に体育がない事を祈っておこう。
「風斗くんも四織のことが大好きだよね。うちの弟は最近反抗期みたいで」
「麻美の弟くん、中学生だよね。そういう年頃だよ」
「でも風斗くん、反抗期なかったでしょ」
思い返してみると、確かにそれらしいものはなかった。いい子すぎて嬉しいような、成長過程として反抗期がないのは大丈夫なのか。……うちの弟は大丈夫か。私よりもしっかりしているし。
とりあえず反論ができなくて、笑顔で誤魔化す。
「おはよう、四織」
凛とした声が響く。誰だかすぐにわかり、私は笑顔を向けた。
「ルナねぇ、と……リク先輩。おはようございます」
太陽の光を受けて輝く白髪と琥珀色の瞳を持つ女性と、同じ色をもつ男性がそこにいる。二人の姿を見て麻美は驚いたような表情を浮かべて、私の耳元で囁く。
「この人たちって、三年に転校してきた双子先輩でしょ。知り合いだったの?」
「うん。ルナねぇ達、小さい頃ここら辺に住んでたらしくて。引っ越しちゃったんだけど、最近またこっち戻ってきて――」
「それで学校で再開したの」
微笑みをたたえて、いつの間にか近くにいたルナねぇ。その優しい笑顔は、子どもの頃と変わりない。
学校で再会した時は驚いた。この町に戻ってきていて、まさか双子だったなんて。
先程と同じ位置にいる、リク先輩にも頭を下げる。数秒置いて彼も頭を下げた。双子といっても、あんまりルナねぇとは似ていないと再確認する。
「あの、名代先輩……!」
「ルナでいいわ。麻美さん。名代って呼ばれ慣れてないの」
「あ……る、ルナ先輩」
「よろしくね。麻美さん」
「はぅ」
いつの間にか麻美がその美貌の前にノックアウトしていた。そこにいるだけで、多くの人が見惚れるような宝石のような美しさ。そこに笑みを添ればその破壊力は想像がつく。
美人転校生三人はひとつ下の二年生達の間でも有名だった。ルナねぇと、リク先輩、そしてもう一人。氷の王子様と呼ばれる転校生がいた。
視線を感じて上を見る。そこにいた。
氷のようなアイスブルーの瞳を持つ、先輩。その人が私を真っ直ぐに見ている、気がする。
いやいや、自意識過剰なだけだ。アイドルのライブで視線があったとか、きっとそういうものだろう。氷の王子様が私を見てるとか、そんな都合のいい展開があるわけが無い。
「どうかしたの、四織……」
私の動きが不自然だったのか、ルナねぇは私の視線の先を見て固まった。それから直ぐに、私の顔を強制的に自分の方に向ける。いきなりの行動で、さすがに頭が着いていかない。
「ルナねぇ……?」
「ごめんなさい。とっても大きくて醜い虫がいたの。四織が見たらどうしようかと思って……」
大きい虫?大きければ気づきそうだけど、見ずに済んでよかった。怖いけれど見ちゃうというのはよくあるけれど、絶対見た後に後悔するから。
「ほら、そろそろ教室に行きましょう」
「うん。麻美もしっかりして!」
「…………はっ、私は何を。そうだとても美しいものを見てしまったんだ」
元気そうだ。よかった。
「それじゃあ、途中まで一緒に行きましょう。ほらリクも」
リク先輩は静かに頷き、ルナねぇと一緒に先を歩く。私と麻美はその後に続いていき、ふとさっきの窓をもう一度見上げた。そこには誰もいなくて、さっきのも夢だったのではないかと思ってしまう。でも確かにあの青色が記憶に残っていた。
「四織ー?」
「ごめん。ちょっとぼぉーとしてた」
改めて二人の後をついて学校に入っていく。
こうして始まった当たり前の平凡な一日は、放課後来襲したある男のせいで驚く展開をみせることになる。
授業が終わり、放課後。部活にも特に入っていない私はどうしようかと悩む。そしてさっさと帰って宿題やらなくてはと現実を見た。
いきなりクラスがザワつく。私は何があったのだろうと周りを見渡す。そして見えたのは教室の出入口にいた、王子様の姿。おそるおそる近づいたクラスメイトの智也が「だ、誰かに用ですか?初弥先輩……」と震えた声で問いかける。美人の無表情と、クラスの女子のギラギラとした視線の怖さは充分に理解できた。可哀想だ。智也と、誰だか知らないけど、これから名前を呼ばれるであろうクラスメイトが。
「市原四織さん、いらっしゃいますか」
あぁ、神様。私が何をしたというのですか。
クラスメイトの突き刺すような視線が一気に私に向けられる。もう逃げたかった。逃げても許されるような気がする。逃げようかな。
「おーい、四織!」
残念なことに智也が大きな声で私を呼んでしまったことで、逃亡は不可能になってしまったが。
嫌だ行きたくない。ニコニコ笑顔の王子様とか絶対に嫌だ帰りたい。なんで人の名前を呼んで笑顔になるんだ。私の名前そんなにおかしいだろうか。永遠に現実逃避していたい。
しかしそんな訳にも行かず、私は意を決して先輩の方へ向かう。
「私が市原四織ですが、何か用ですか?初弥先輩」
氷の王子様――初弥ユキ先輩は笑顔を崩さずに「お話があります。ついてきて貰えませんか」と更に地雷を落とす。
二人っきりで、お話。それはつまり、少女漫画的なアレでは?私以外にもそう考えている人が多いようで。チラリと後ろを確認すれば、ジェラシーを燃やす人と、キラキラと憧れを向ける人で、だいたい半分になりそうだ。
私はため息を飲み込み、笑顔で応戦する。
「分かりました」
「それじゃあ、着いてきてくださいね」
そうして着いて行った先は校舎裏。少女漫画というよりは、少年漫画で登場しそうなスポットだ。あまり来たことはないが、日陰でジメジメしている。今後もお世話になることはなさそうだ。
くるりとこちらを振り向く初弥先輩。その表情は先程までの王子様スマイルとは違い、王様のような自信満々な笑顔。自分の目を疑った。目を擦りもう一度みる、がやはり変わらない。
彼は私の方に迫り、そしてそのしなやかな手で顎を掴み持ち上げる。俗に言う顎クイだ。強制的に初弥先輩の顔を見させられる。薄暗い中でも薄い青色の瞳は美しかった。
「市原四織、俺のものになれ」
さっき教室で聞いた時よりも低く思い声。今度は耳を疑った。この雰囲気に乗せられてはいけない。直感的に感じた私は、真っ直ぐに見つめ返す。
「い、いきなり呼び出して、自分のものになれとか……ふ、ふざけてるんですか!?」
「ふざけてなどいないさ。四織、お前はただ頷けばいいだけだ」
近づく顔と囁く声に、頭がクラクラした。酔っぱらうというのは、こういう感覚なのだろうか。顔が火照る、これが現実か私の空想か区別がつかない、心臓がうるさい。
どうすればいいのかわからない。混乱する頭を冷静にさせたのは大きな音。
「うぉおおおーーー!!」
いや、咆哮だった。
どこから聞こえてきたのか、私はすぐに気づき上を見る。青い空の中にある大きな影。それが声の主だと直感的にわかった。
わからないのは、一般的な人の倍はあるだろう生き物?が空になぜ浮かんでいるのか。大きさだけではない。しっかりと観察すれば、それには角や羽が生えていて、カバと豚の中間のような見た目をしている。わたしの成績は平凡なものだが、きっと高名な学者でも、あれには匙を投げるだろうというのは容易に理解できた。
「邪魔が入ったか」
冷気を感じる声だった。怒っている。彼の言うとおり邪魔をされたから、なのだろうか。
「そこの人間をよこせ」
禍々しく恐ろしい音が場に響く。さっきの咆哮と同じものから発せられている音。そこでその生き物の狙いは、私だということに気づいた。
「やらん。お前程度の奴には」
庇うように前に出る初弥ユキ。体格差は明確で、やめてという思いは声にならなかった。
「なら力づくで!」
迫る大きなもの。彼は迫ってくる方に手をかざす。
そして一言。
「氷の槍よ、目の前の敵を貫け〈アイシクル〉」
「ぐぁ……!」
その瞬間、迫ってきた何かは串刺しになる。頭が思考が追いつかなかった。辛うじてわかるのは、大きな体に刺さるそれは冷気を帯びていること。
大きな何かは真っ黒に染まり、霧散してしまう。残されたのは私と、おそらく今の何かを倒した、初弥ユキという男。
「あ……なんなの、あれ」
「悪魔だ」
零れた言葉に彼が振り返り答える。
悪魔、人を堕落させ悪へと導くと聞いたことがある。それが、あれ?そもそもなんで私を狙っていた。
「…………改めて自己紹介をしよう。俺は初弥ユキ。お前を狙う悪魔だ、末永くよろしく」
出来れば末永く仲良くはしたくない。そんな本音が口から出ることはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます