【KAC20245】真・くのいち弁当

鈴木空論

【KAC20245】真・くのいち弁当

 深夜。会社からの帰り道。

 電車から降りて自宅のアパートへ歩いていると、いつもなら真っ暗な建物に明かりが点いていた。


 はて、と私は思った。

 ここはもう何年もシャッターが閉まったままだから空き家なのかと思っていたんだが新しくできたんだろうか。

 しかもこんな夜中だというのに営業しているらしい。


『くのいち弁当』


 看板にはそう書かれていた。

 どうやら弁当屋のようだ。

 店内の様子はわからないが、ドアには『OPEN』と書かれた札が掛けられているし美味しそうな匂いも漂ってくる。


 ちょうどいいな、と私は思った。

 今夜はここで買っていこう。ここ最近買い置きのカップ麺ばかりで正直飽きていたし、くのいち弁当なんて変わった名前の店だから話の種にもなるかもしれない。


 私は店のドアに手を掛けて中に入った。


「いらっしゃいませ~」


 店内に入るとカウンターに立っていた女性が声をかけてきた。

 だが私は女性の姿を見て思わずギョッとした。


 ――うお、本当にくノ一がいる!


 カウンターの女性は桃色の忍者衣装をまとっていた。

 頭部もすっぽり頭巾で隠れていて目元しか見えない。


 これがこの店の制服なのだろうか。

 あまりの物珍しさに私は思わずまじまじと女性を見つめてしまった。


 ただ、思い返してみれば小学校のとき見学に行った給食センターのおばちゃんも同じような恰好といえば同じような恰好だった。

 そう考えると、忍び装束というのは意外と衛生的にも理に適っているのかもしれない。


「ご注文はお決まりですか~?」


 くノ一の問い掛けで私はハッと我に返った。

 あ、はい、ええと……と少々慌てながらカウンターの上に貼られたメニュー表に目を向ける。


 どうやらここは店名や制服の通り忍者に関係した食べ物をコンセプトにしているらしい。

 握り飯、兵糧丸、芋がら縄の味噌汁といった忍者ものでよく見る食べ物から、手裏剣(煎餅)、まきびし(金平糖)、忍術書(太巻き)なんてものもある。


 面白いな、と私は思った。

 しかし一方で大丈夫かここ、とも思った。


 私の経験則からすると、こういう奇をてらった店はインパクト優先で味は二の次なことが多い。

 それに今はもう深夜で明日の朝も早い。

 少しでも寝る時間を確保したいと考えると、さっさと食べられるものが欲しかった。


 兵糧丸は味が不明だし、縄の味噌汁は手間がかかりそう。

 菓子類は夕食としては不適当だろう。


 とすると握り飯か太巻き辺りが安牌だろうか。

 だがその時ふと、私はメニューの中に『真・くのいち弁当』というのがあるのに気付いた。


「すみません」


「はい、なんでしょう」


「あの『真・くのいち弁当』というのはどんなものなんですか?」


「『真・くのいち弁当』ですか? これはうちの自信作です。初めてでしたらこれがお勧めですよ」


「ええと、中身の具体的な内容とかは……」


「申し訳ありませんがそれはお答えできません。これに限ってはフタを開けてのお楽しみとなっております」


「はあ……」


 中身を話せないってどういうことだろう。

 私は少々不審に感じたが、値段は他の店の弁当とさほど変わらない。

 名前に弁当と付いているし、自信作とまで言うのなら多分そこまでおかしな代物でもないだろう。

 好奇心も手伝って私はそれを頼むことにした。


「ではその『真・くのいち弁当』を一つ下さい」


「承知つかまつりました~。では、しばしそこの椅子にお掛けになってお待ち下さいね」


 くノ一はそう言いながら天井から下がっていた紐を軽く引っ張った。

 するとカランカラン……と鳴子の音が店内に響き渡り、無人だと思っていた奥のキッチンから「御意!」と返事が聞こえてきた。

 そして壁や床、天井から数名のくノ一が現れてテキパキと調理を始める。


 私は言われた通り竹製のベンチに腰掛け、半ば呆気に取られながらくノ一たちの作業を眺めていた。

 それから十数分ほどで弁当は出来上がった。


「お待たせ致しました。『真・くのいち弁当』です」


 渡されたのは黒いプラの弁当箱だった。

 箱を十字に縛っている紐の先端は房になっていて、パッと見だと時代劇の小物に見えなくもない。


「ありがとう」


 私は弁当を受け取り店を出ようとした。

 するとカウンターのくノ一が声をかけてきた。


「あ、お客さん。もしお弁当が気に入って頂けましたら、このお店のことは他の人にははなさないで下さいね。それがこの店の掟、ということになってますので」


「え? あ、はい……」


 宣伝しろではなく、話すな? どういうことだ?

 私は戸惑ったが、とりあえず頷くとそのまま店を後にした。



 ※ ※ ※



「さて、どんな弁当なのかな」


 アパートに帰った私は早速弁当を開けてみることにした。

 紐を解き、多少の期待とともにフタを持ち上げる。


 しかし、そこに現れたのは至って普通の弁当だった。

 梅干しと胡麻が乗ったご飯が面積の半分くらいを占め、残り半分には、焼き鮭に白身フライ、ミニハンバーグとスパゲッティ、煮物に漬物といった定番のおかずが綺麗に並んでいる。


「自信作と言っていた割に、ただの幕ノ内弁当と変わらないじゃないか」


 私は思わず呟いた。

 そして、ああそういうことか、と気付いた。


 『真・くのいち弁当』の『真』は本当は『しん』ではなく『ま』と読むのだろう。

 しん・くのいち弁当ではなく、ま・くのいち弁当だ。


 ま・くのいち弁当。

 まくのいち弁当。

 幕ノ内弁当。


 要するにただの駄洒落なのだ。

 予想外の下らなさに私は苦笑いしながら弁当を食べ始めた。

 しかし一口食べた途端、おや、と思った。


 自信作と言っていただけあって弁当はとても美味しかった。

 恐らくどれも手作りなのだろう。例えば焼き鮭の塩加減はちょうどいいし、煮物もしっかり味が染みている。

 なによりご飯が美味い。こんなに美味い米を食べたのはいつ振りだろうか。


 私は夢中で箸を動かした。

 そして気付けば弁当箱は空っぽになっていた。



 ※ ※ ※



 その後。


「――あ、お客さん。また来てくれたんですね。今日は何にしますか?」


「そうだな……じゃあ真・くのいち弁当と芋がら縄と……あと、手裏剣も下さい」


「承知つかまつりました~。では、しばしお待ちを」


 カウンターのくノ一が天井から下がっていた紐を軽く引き、鳴子の音とともに現れたくノ一たちが調理を始める。

 私は客用のベンチに腰掛けて弁当が出来上がるのを待っていた。




 ここの弁当の味の虜になってしまった私は、週に二日か三日くらいの頻度で店に通うようになっていた。


 常連になってから聞いた話によると、この店の人たちは社会人サークルの仲間なのだそうだ。

 忍者と料理が趣味の人間が集まったサークルで、最初は自分たちだけで創作料理をして楽しんでいたのが高じてこの店を始めるようになったのだとか。


 皆、他に本業があるので営業時間は夜間のみ。

 そしてあくまでも趣味として楽しんでいきたいため、あまり忙しくならないようにしたい。

 だから自分からお店に立ち寄ってくれた客だけを相手にする隠れ家的な店を目指しているんだそうだ。


 気に入ったら誰にも言わないで欲しい、という不思議な掟はそういう意味だったらしい。

 わかってみれば何てことはない謎だった。



 そして、私は言われた通りこの店のことは誰にも話していない。

 こんなに美味しいし面白い店なのだ。誰かに教えたいという欲がないわけではないが、そこはグッと我慢している。


 もしもその掟を破ったら、この弁当屋は忍者のようにドロンと消えてしまうんじゃないか。

 そんな気がするからだ。

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