バラの赤と君を照らして

ハチニク

1話

 思い出というのは、何年経っても思い出してしまうものだ。ふとしたことであの子を思い出してしまう。「あの頃はよかったな」と思いながら、思い出を愛しく感じてしまう。元カノを思い出してしまう。元カレを忘れられない。そう思うことで、なんだか少し「今」を嫌いになっていってしまうことがある。



 会社で新人社員にプリンターの使い方を教えている時に、ものすごく集中してメモを取っていたその新人社員を見て、なぜか昔を思い出した。10年ほど前にもそんな人がいた。どんな感じの子だったのかはもう忘れてしまったけれど、何事にも一生懸命で、それだけで好きになるのには十分な理由だった。


 居酒屋で同僚とサシで飲んでいると、隣の席で大学生の飲み会が開かれていた。賑やかで同僚の声が聞こえないほどに盛り上がっていたその飲み会のガヤガヤした雰囲気と声、を懐かしく感じた。無理やり付き合わされた会社の飲み会は、思った通り自分には合わなくて、早く帰りたいなと周りのガヤガヤとは裏腹に楽しくなさそうな表情を浮かべていた。それは机の対角に座っていた新人社員の彼女も同じみたいだった。


 映画のヒロインを君と照らし合わせてしまう癖が抜けない。ヒロインの国籍が君と違っても、見た目が似つかなくても、君と照らし合わせてしまうのはなぜだろう。きっと映画そのものだけが原因じゃない。映画館に行くと、隣に座ってる君の顔に美しくスクリーンの光が当たっているように見えて、きっとそれを思い出してしまうから。初デートの時はスクリーンより君の顔を密かに見ていた時間の方が長かった。


 デパートで流れていた10年前の音楽を聴きながら、あの頃の記憶が蘇ってくる。10年前じゃ、まだ新曲のあの曲を初デートの帰りに、バスで隣に座っていた君と聴いていたことを未だに覚えている。有線イヤホンで、複雑に絡まりながらも、君に小さく「右」と記されていたイヤホンを渡し、僕は「左」を耳につけながら、その新曲を2人で聴いていた。「ここにある幸せに気づいたから」という歌詞が流れた時に、ふとお互い目を合わせたから、それで笑いあったのも覚えている。


 デパート内を歩きながら、通ったアパレルショップでガラス越しに飾られていた綺麗な薄い赤色のワンピースを見て、また君のことを思い出した。きっと彼女が着たら似合うんだろうなと思った。前に君が言っていた赤の色言葉は「情熱」を意味しているのを聞いて、「彼女らしい」と言ったら、また笑いあったのも印象に残ってる。今は赤色の物を見ると、すぐに君のことを思い出してしまう。


 家の浴槽にバラの匂いのする入浴剤を入れ、赤くなったお湯に入浴しているとバラが僕を包み込むように匂ってくる。バラの匂いを嗅ぐと、どうしても君に告白した日を思い出さずにはいられなかった。東京タワーの頂上で赤いバラを一本だけ彼女に渡して告白したあの日。「なんで付き合うだけなのにバラとかが必要なのよ。」と笑ってくれたっけ。微かに赤いバラの匂いがしていた一本の花を持ちながら、我に返った僕は顔をそのバラのように真っ赤にした。


 会社の昼休みに、近くのイタリアンレストランでペペロンチーノを食べている時に、もっと美味しいペペロンチーノを思い出した。そのレストランには少し失礼だが、なんとなく思い出してしまった。彼女と同棲した最初の夜、彼女の初めての手料理で作ってもらったのは、ペペロンチーノだった。もちろん美味しくて多分その場面が、より味を美味しく引き立てたんだと今では思う。全部食べた後に、彼女を少し強引に寄せながら、腰に片手を当てて、優しい口づけをした。でもお互い、口の周りがペペロンチーノでべちゃべちゃになっていたからタイミングを間違えたと後悔している。


 10年経っても未だに君のことを思い出してしまう自分が嫌いだ。10年経っても未だに君を何にでも照らし合わせてしまう僕を、君はなんて言って笑ってくれるだろう。いや君のことだから正直に、「気持ち悪い」とかって言ったりするのかもしれない。


 きっと「好き」が何かと言われると、こんなどうとでもない日常にふと君を思い出してしまうことを意味するんだろう。


 仕事が終わって家に帰っていると、帰り道にあれから君が好きになったと言っていた赤色のバラが花屋さんに何本か売っていた。僕は赤色のバラを9本買ってから、帰った。手には薄い赤色のワンピースが入った紙袋とバラの束。君を今でも五感すべてで、ずっと愛し続けたい。だから今日もまたおかえりと言ってほしい。今の出来事をまた、さらに10年後でも思い出せるような日々を君と過ごしたいから。


「ただいま。」


「おかえりー。」

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