潜入調査

いちはじめ

潜入調査

 院長室に呼び出された俺は、何事かとびくびくしていた。どう考えても呼び出された理由が分からないからだ。この病院に勤めて三年、致命的なミスもしていないはずだし、次期院長の座を巡る派閥争いからも身を遠ざけている。

 俺は誰もいない院長室の応接ソファーで、小一時間ほど身を固くして待った。

 突然ドアが開いた。入ってきたのはこの病院のトップに君臨する院長、その権力を行使する事務局長、そしてその取り巻きたち。

 弾かれたように立ち上がり、上ずった声で俺は挨拶をした。しかし誰一人として挨拶を返す者はなく、専用デスクにどっかと座った院長以外、院長の背後に横一列に並んだ。

 何の過失かは分からないが、これは死刑宣告であることは間違いなさそうだ、と俺は絶望した。


「そんなに緊張せずともよい。まあ、座りたまえ」


 院長がそう言い、顎で促すと取り巻きの一人がおもむろに説明を始めた。


「君も知っての通り、うちは政財界の重鎮たちをメインの客筋としている」


 ここには、表裏を問わず社会の権力者たちがやってくる。医療技術の高さもあるが、この病院の秘匿性が、マスメディア等からの追及を逃れたい彼らにとって、隠れ蓑としてはうってつけであったからだ。


「で、近頃その太客たちがある病院に流れている。これは当院の経営の根幹に関わる一大事だ」


 その噂を耳にしたことはあったが、まさか本当だったとは。しかし何故その話を俺に……。俺は困惑するばかりだった。


「君を呼んだのはほかでもない。その病院に潜入し、その謎を調べてほしいのだ」


 そう一方的に告げられると、質問の機会も与えられず、俺は早々に部屋から追い出された。

 彼らがこの俺に白羽の矢を立てたのは、どの派閥にも属していないので、もし俺が失敗しても誰も責任を取らされる心配がないからだろう。

 保身のための処世術が裏目に出た俺は、病院側が用意した偽の経歴を用いて、くだんの病院に医師として潜入するはめとなった。


 潜入先の病院は数年前までは慢性的な赤字に悩まされていた。ところが、ある大物議員の入院を境に収支が大幅に改善していた。その議員は重度のウィルス性肺炎だったのだが、信じられないことに十日ほどで退院していた。その後、その噂を耳にしたのか、手の施しようがない病に伏した権力者たちが押し寄せるようになっていた。その中には、うちの病院で匙を投げられたがん患者の億万長者も含まれていた。そして信じられないことに、全員が全快で退院していた。

 何をどう施したのか、密かにカルテを探っても、特別な処置・処方を行った形跡は見当たらなかった。

 それらの医療はVIP専門治療チームが担当していた。そのメンバーは普段はそれぞれの分野で医療を行っているが、VIPが運び込まれると参集していた。

 ただそのチームが設置されたのが、最初のVIP患者受け入れのほんの一か月前で、そしてそのチームの主任医師も同時に外部から招かれていることが気になった。しかもその背の高い痩せぎすの医師だけが普段の受け持ちがないのだ。

 それ以外の核心をつく情報は得られず、調査は完全に行き詰まった。

 俺は機会を待つしかないと覚悟を決めた。


 その機会は思いのほか早く訪れた。与党の幹事長が劇症肝炎で担ぎ込まれたのだ。補佐としてICUでの緊急処置に立ち会ったのだが、処置の内容に不審な点はなかった。

 だがあることが気になった。幹事長が担ぎ込まれたその日、一人の男が一泊の健康診断で入院していたが、この病院にはそんな業務はない。もしやと思い、過去の事例を調べてみると、やはり完治したVIPが入院した日には、必ずもう一人、健康診断の名目で入院していて、そしてこの病院で息を引き取ってるのだ。

 ――健康診断の後、病死? ありえない。

 さらに調べていくと、驚くことに死亡した者たちの病名が、VIPの病名と全て一致しているではないか。健康診断を受けに来る男が、VIPと同じ病気で数日間のうちに亡くなることがあるのだろうか。何かがおかしい。

 今回診断入院した男を追えば何か分かるはずだ。俺は怪しまれないように注意深く院内の動きを探った。するとICUの他に医師と看護師が頻繁に出入りしている一室があった。その部屋は地下一階にあり、俺の知る限り普段は全く使われていないはずだ。

 出入りする者達の動きが静まるのを待って、俺はその部屋に侵入した。

 薄暗い部屋の真ん中にカプセル状の装置が設置されていた。その装置にはケーブルやチューブが繋がり、ブーンという低い機械音を発していた。何より異様だったのは、部屋の床全体を覆うように、赤い燐光を放つ魔法陣のような模様が描かれていることだった。カプセルに近づくと、中に一人の見知らぬ男が横たわっているのが見えた。

 内部をもっと確かめようとカプセルを覗き込んだ時、背中に激痛が走り、俺は気を失った。


 意識を取り戻した時、俺はカプセルの中にいた。数人の医師と看護婦が俺を取り囲み、覗き込んでいる。

 背の高い痩せぎすの男が声を掛けてきた。

「色々調べていたみたいだけどご苦労さん。やっと謎に迫れたね」

 ――謎の正体だと?

「さっきの男は転移者として不適合だったから困っていたんだ。喜びたまえ、調べてみたら君は適合者だったよ。だから君を使うことにした。お気の毒だが君を送り出した病院も既に了承済みだ」

 看護婦が男と入れ替わる。

「ほら、『病』は人に移すと治るっていうでしょう。うちはVIP向けにそういう治療をしているの。ウフフ」

 俺は全てを悟った。

 彼女が何かのスイッチを入れた途端、俺は再び気を失った。

                                  (了)

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