Ep.20 歪んだ世界、ひとり

 狼谷かみや悠牙ゆうが

 俺が一週間前に出会ったあの狼耳の少年は、狼谷の実の弟。


 その事実を、俺は少しずつ受け入れつつあった。


 だが、そこへまた別の疑問が襲い来る。


「狼谷、これは……どういうことだ?」


 包帯による処置が行われた痛々しい悠牙ゆうがの身体。

 にも関わらず、その頭に装着されているのはアンブレのヘッドギア。


「アンブレ好きとは聞いてたが……ユーガ――狼谷の弟は、その……病人……なんだろ? なのになんで、こんな状態でアンブレに繋いでるんだ?」


 混乱のあまり、頭で文章をうまく組み立てられない。俺の思考が次第に収集がつかなくなっていく中、狼谷はさらに衝撃的なことを口にする。


「それは、逆だよ」

 

「逆……?」

 

「うん。悠牙は今、


 ゲームの、中でしか。

 狼谷の言葉が脳内でリフレインする。

 

「……二週間ちょっと前かな。学校の帰り道で交通事故に遭って、なんとか助かったけど、目が覚めなくってさ。病院の人たちとも話して、目が覚めないんだったら、せめて好きだったアンブレの世界に居させてあげようって……」

 

 その瞬間、アンブレの世界で見たユーガの姿が走馬灯のように流れてくる。


 あの日、俺とフレンドになったユーガ。

 それ以来、俺を兄のように慕うようになったあいつは、アンブレの世界での寂しさを埋めたかったんじゃないか。実の家族とも現実では会えない寂しさから、人とのつながりを求めたんじゃないのか。


 そんな憶測が、頭の中を飛び交う。


「ユーガ……」


 ふと、その名を呟いていた。


 歪んだ世界をひとり生きる、少年の名を。


「……彼方くん? 大丈夫? なんか顔色悪いけど……」


 立ち尽くす俺の顔を、椅子に腰掛けた狼谷が覗きこんだ。

 俺は何を言うでもなく、悠牙の眠るベッドに歩み寄る。


「狼谷、」

 

「ん?」

 

「……俺は、『狼谷かみや悠牙ゆうが』のことはまだ、よく知らないけどさ――」

 

 拳を握って、絞り出すように言った。

 

「――『ユーガ』のことなら、知ってるかもしれないんだ」

 



      ***




「そっか。悠牙は、アンブレで彼方くんと……」


 ポッキーを一本食べ終えて、狼谷が言った。

 

 他の患者もいる病室で長くなるような話をするのもはばかられたので、俺たちは病院の共用スペースの椅子に向かい合って腰掛けていた。学校で狼谷からもらったサイダーも、ついでに開封した。


「狼谷とは雰囲気が真逆だから、違うだろとは思ったんだけどな」

 

「あいつ、もともと元気なタイプだからね……。迷惑はしてない?」

 

「ああ、俺は全然」

 

彼奴あやつはわらわのことを敬っているからな。いい狼だ!』


 ようやく解放された朔夜も、会話に口を挟む。

 

「……お前、頼むから大声とか出さないでくれよ。ここ病院なんだから」

 

『ふん、そんなに何度も言われずともわかっておるわ』

 

「そうだね。さくぴはいい子だし」

 

『――! 子供扱いす……るなよばかもの』

 

「えらい」

 

「えらいぞ」


 ちゃんと抑えた、偉いぞ朔夜。


「それで……悠牙は本当に、ずっとログインしたままなのか?」


 狼谷からポッキーを一本もらって、俺は訊ねた。

 すると狼谷は、言葉を探しながらぽつぽつと答える。


「うん。植物状態……っていうのかな。脳の機能がやられて意識は戻らないんだけど、アンブレのBMIを運営?の人が協力して付けてくれて」

 

「運営が? 悠牙のためにか?」

 

「研究の一環……らしくってさ。自発的にログアウトはできないけど、脳の機能をBMIが補助してくれるし、その間は脳死になる心配もない……って。維持費も会社が出してくれることになって、ママが泣きながら感謝してたよ」

 

 私にはよくわからないんだけどね、と狼谷は力なく笑う。


「でも……今日二人の話聞いて、ちょっと安心した」


 狼谷は俺と朔夜を交互に見て、言った。


「彼方くんとさくぴみたいな人がそばにいるなら、悠牙も寂しくないよね」


『ふん、あったりまえだ。なぁ、カナタ?』

 

「……ああ。そうだな」


 朔夜の言葉に頷いて、サイダーを口にする。

 だが、口に出してみて、疑念が生まれるのは必至だった。


 皆がゲームとして楽しんでいる《世界》を、ユーガはただ一つの拠り所として生きているのだ。俺たちも含めた他のプレイヤーがログアウトしていく中、自分だけはNPC同然に《世界》に取り残される。


 家族や友達とも、会えないまま。


 それを「寂しくない」なんて決めつける権利は、俺には――

 

「あ、そろそろ17時だね。面会者わたしたちは帰らないと」

 

「……そうだな。遅くなるのもアレだし」

 

『アレってなんだ?』

 

「知らね。電源消すぞ」

 

『お主なぁ!?』


 気が緩んで怒鳴りかけた朔夜の声を遮断して、スマホをポケットに仕舞った。サイダーも一気に飲み干して、自販機横のゴミ箱に投げ入れる。


 受付に面会カードを返却して、俺と狼谷は病院を出た。

 意外にも、まだ外は明るかった。


 そこから今度は客の増えたバスに乗り、途中で狼谷とは別れた。学校でバスを乗り継ぎ、道中コンビニに寄って最終的に自宅マンションまで戻ったのは、18時を過ぎた頃だった。




      ◇◇◇




『今さらだが、今日はあんな寄り道をしていてよかったのか?』


 自室のPCの前で晩飯を食っていると、朔夜が唐突に切り出した。暑くて先に風呂に入ったせいで、晩飯は19時までズレ込んでしまっていた。


 といっても、コンビニ弁当だが……


『普通に考えて、二日後には決闘なのだぞ? 危機感はないのか?』

 

「普通に正論言うなよ……飯が不味くなる」


 耳が痛くなるような正論を、そのあと朔夜は続けた。

 

 たしかに今日の寄り道は、決闘の二日前としては時間の使い方が適切でなかったと言わざるを得ない。そもそもの話、狼谷に最初に「今日は予定がない」と言ってしまった俺が戦犯なのだ。


 食べ終わった弁当の容器を、ゴミ袋に突っ込む。

 それからしばらくして、俺は朔夜の正論に反駁を試みた。

 

「……でも、悪いことばかりじゃなかっただろ」

 

『? どうしてだ?』

 

「今日あの病院に行ったおかげで、ユーガの抱える事情を知れたんだ。今日狼谷についていかなかったら、俺はずっと、何も知らないままあいつと接してたと思う」

 

『……それの何が問題なのだ?』


 俺の予想に反して、朔夜はそんな疑問を呈した。

 内心少し驚いた俺は、思わず朔夜のほうを見返す。


 画面の中の彼女の表情は、至って真面目で神妙だった。

 俺をからかうつもりで言っているわけではなさそうだ。


「何がって……それは、ユーガだって、自分の事情を俺に理解されないままだったら悲しいだろ? 自分があの世界でしか生きられないって、知られないままだったら……」

 

『そうなのか? では彼奴あやつは、お主に理解されたくて一緒にいたのか?』

 

「それは……違う、だろうけど」

 

『じゃあその考えは、お主の勝手な想像だろ』


 何気ない口調で、朔夜はそう言い放った。

 反論する言葉がでなかった。


 ユーガは俺に理解されたがっていた――なんて考えは、俺の想像で。

 他でもない、俺の主観エゴ……。


彼奴あやつはお主にあのことを理解されなくとも、明日も変わらずわらわたちのところへやってくるだろ。お主の無知は、べつに罪ではないということだ』


 ふわふわと画面上で浮遊しながら、朔夜は言葉を並べる。

 彼女にしては、やけに合理的な理論に思えた。


 それが少し、怖かった。


「なんだよ、お前……」

 

『ん?』

 

「それじゃあお前は……俺が、あいつの抱える寂しさを理解しようとするのは、無駄だって言いたいのかよ」

 

 やや感情的になった声色が、震えていた。

 自分でも、どうしてここまでムキになって反論しているのかわからなかった。


 朔夜がぎょっとした顔で俺を見る。


『そ、そこまでは言っておらんだろ……というかお主、怒っているのか?』


 彼女が叱られている子供のような顔をする。

 俺は咄嗟に、湧き上がってくる感情を鎮めようとした。

 

「…………いや、別に。ちょっとムキになっちまっただけだ」

 

『そうか……? わらわが何か、お主の気に障るようなことを言ってしまったのかと思ったぞ……』

 

「そんなことない。お前の方が……正しいよ」


 その一言で、自分で自分を納得させた。

 

 俺が善意だと思っていたものは、単なる俺のエゴだったのかもしれない。俺がユーガの寂しさを理解してやることであいつも喜ぶ……なんて生半可で一方的な考えは、今考えてみれば吐き気がする。


 俺は結局、自分の主観で物事を推し測っていたのか。


「あいつのために何かしてやれたらって思ってたけど、そんな考え、所詮は……」

 

『……お、おい! 急に落ち込むな! なにをどう解釈したかわからんが、わらわはお主の善意まで否定する気はないぞ! だからはやく顔を上げろ!!』


 卑屈になりかけた俺を、朔夜は言葉ですくい上げる。


『……わらわは、お主が、今まで無知でいた自分を責めているのかと思っただけだ。お主の感情までケチをつけるつもりはなんてなかったのだ……』

 

「朔夜……」


 俺にその気はなかったが、朔夜は自分の発言に反省の色を示す。こんなところで大きな行き違いを起こすのは俺も御免だったので、彼女が軋轢を避ける方向へ話を向けてくれて助かった。


『……だから、お主がこれから彼奴あやつに何をしてやるも、お主の勝手だ。わらわもそこには口出しはしない。わらわの主として恥じぬ行動をしてもらうまでだ』

 

「そうだな。……本当に、全部お前の言うとおりだ」


 これから俺があいつに何をしてやろうと、それはすべて俺のエゴでしかない……が、たしかに善意でもある。


 俺が今すべきなのは、自分の善意の振りまき方を考えることだ。

 たとえそれが、エゴと呼ばれたとしても――


(俺が、あいつにしてやれることは……)


 あいつに「共感」しているつもりの俺が、今できること。

 俺はそれを、夜通し考え続けた。




      ◇◇◇




 2027 7/10 7:57 

 カルキノス連邦領第13廃棄地区 旧一番通り

 Cafe&Diner『ENZIANエンツィアン




「おや、誰かと思ったらアンタたちかい」


 店の戸を開けてジャンヌさんが言った。

 俺の背中には、まだ眠たげな朔夜がへばりついている。


「すみません、決闘のことで手伝ってもらいたいことが……」

 

「あぁ、わかってるさ。朝早くからえらいね。上がりな」

 

「はい」

 

「ぬああ……ねむいいいいい」

 

「おめーはさっさと目覚ませ」


 昨夜深夜まで、俺が昼間に考えていた作戦のすり合わせをしていた影響だろう。朔夜はいわゆる電子生命体のはずだが、一定時間の休息(睡眠?)を取らなければこうなるらしい。


 ぼーっとしている朔夜をカウンター席に座らせた。

 朝の目覚ましにと思い、朔夜のためにコーヒーを単品で注文する。ちなみにこの時間帯は、モーニングセットがお得だ。だが今は時間が惜しい。


「……それで? その手伝ってほしいことってのは?」


 コーヒー豆を挽きながら、店長が言う。


「いつもみたいに、また“特訓”かい?」

 

「はい。今回はこいつもいますし、色々と試しておきたいこともあるので」

 

「なるほどねぇ。アタシたちならいくらでも力貸すよ」

 

「ありがとうございます。それと、あねさん――」


 俺は改まって、ジャンヌさんの目を見た。

 一瞬迷いがよぎったが、それも振り払って言った。


 

「もう一つ、俺から頼みたいことがあるんです」

 

  

 

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