四章 恩讐はよみがえる

第24話 本物と替え玉

 最初の感覚は、頬に伝わる冷たさだった。鼻を通る空気も、どこか湿り気を帯びている。

 全身がガチガチに凝っていて動きづらい。確かめるように指先を動かしながら、摩李沙まりさは先ほどの出来事を思い起こす。


 謎めいた詠唱をするバルタザール。彼が叫んだとたん白い光がはじけ、摩李沙は彼の元へと駆け寄り――


「バルタ、ザール、どこ?」

「気がついた?」


 目を開けたそこにいたのは、見知らぬ少女だ。

 初対面ではあるが、彼女が誰なのかすぐに見当がついた。


「あなたもしかして、エミリア?」

「ふうん、私の変装してるくらいだから、わかるよね。そうよ、私はエミリア・レアルデス。数日前にしくじっちゃって、こんなところに閉じ込められちゃったの」


 あっけらかんと言うエミリアは、全く憔悴しょうすいしてる様子はない。

 彼女が元気なのは朗報だ。しかし、喜んでいられる状況でもなさそうだ。


「ここはどこ?」


 窓もなく、壁にいくつかのランプが灯されているだけの、薄暗い場所。

 空間に奥行きはあるようで、ともされた火が揺れていることから、どこかから風がきているのは間違いなさそうだ。


 二人の足元には、巨大な魔方陣が展開している。その外側に手を伸ばそうとしたら、エミリアに止められた。


「だめよ。何をしてもはじかれるの。あなた、魔法を使えないんでしょ? むやみに怪我しちゃ駄目」


 急いで手を引っ込める。エミリアをよく見ると、いつもはめているはずの金の指輪が無い。おまけに、両手首それぞれに細い鉄輪がつけられていた。

 彼女が魔法を使うのを恐れた誰かが、反撃できないように小細工したのだろう。


 意識を取り戻したばかりでわからないことだらけだが、敵に捕まったことだけは確実のようだ。


「ねえ、いろいろ聞いてもいい? あなたはどうして私と同じ格好をしているの? もしかしてお兄ちゃんに無理強いされて、私のフリをしてた?」

「む、無理強いってわけじゃ」


 だがアレンダの言動を思い返してみれば――妹がいなければ摩李沙は元いた世界に帰れない、なので自分たちに協力してほしい――そう力説していた。


 やはりあれは、どうとらえても遠回しの脅しだ。


「一応、私の意思で選んだの。あなたを助けることができたら、私も元の世界に戻れるはずだと思って」

「元の世界?」


 簡潔に、自分はこの世界の住人ではないこと、アレンダがエミリアを連れ戻すために行った召喚魔法のせいで、たまたまこの世界にやってきたことを説明した。


 話していく中で、どんどんエミリアは般若はんにゃのお面のような顔になっていく。

 摩李沙もひるむほどの迫力だ。貴族のご令嬢がする表情では決してない。


 やがてエミリアは、ぼそっとつぶやいた。


「あのバカ眼鏡。無関係の子を巻き込むなんてどうかしてるわ! 帰ったらタコ殴りにして説教よ!」


 声は押さえていたが、怒気は凄まじい。本物のエミリアの口の悪さを目の当たりにして、摩李沙は感心してしまった。


(よく私、皆に偽物だってバレなかったな)

「ごめんね。バカお兄ちゃんは、一度思いついたらとんでもないことをする人だから。魔力がないのに、私のせいでこんな危ない目に合わせてしまって悪か……」

「あの、ひとつ聞いてもいい?」


 エミリアをさえぎった摩李沙は、先ほどから気になっていることを質問する。


「私が魔法が使えないって、どうしてわかったの? あなたに代わって学校へ通っている間は、誰にも疑われなかったけど」


 エミリアは、事もなげに返した。


「相手に触れたらわかるのよ。こういうことができる魔法使いは、すっごく少ないんだけどね。私はたまたま、そういう力を持っていただけ。お兄ちゃんもバルタザールも、触れただけでその人が魔力を持っているかどうかなんて、わからないわ」


 初めて聞かされた情報に、摩李沙は驚く。

 と同時に、ある事が脳裏によみがえった。


(触れただけで、相手が魔法使いかどうかがわかる……まさか)


 何かをつかみかけた時だ。ほの暗い闇の空気が動いた。

 二人はいっせいに音のしたほうを向く。


 やがて現れたのは、うなだれたバルタザールだった。


「バルタザール!」


 叫んだのはエミリアだ。摩李沙は、目に映ったものに言葉を失った。


 誰かに背を押され、一度は倒れかかったバルタザールだが、片方の足を引きずりながらこちらにきた。意識が定かでないのか、目の焦点が合っていない。口のはしからは血が流れている。頬も少し腫れていて、服には泥のようなものが付着していた。


 魔方陣の手前で、彼はどうっと倒れこんだ。

 その両手首は、背中で縛められている。


「しっかりして! 話せる? 私が誰かわかる?」


 ギリギリまで近くによったエミリアは、バルタザールに必死で声をかける。

 摩李沙はというと、少年のかたわらに立つ人物を呆然と見上げた。


「トアン先生?」

「偽物のあなたに、先生と呼ばれる覚えはないですが?」


 浮かべている笑顔はいつものトアンだ。柔和で温厚そうで、乱暴をする人には思えない。

 けれどこの状況から考えるに、バルタザールを痛めつけたのは彼だ。

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