第9話 理不尽と一触即発
授業の後、
次の授業もこの講義室だそうだから、皆の視線を避けるためにもこのまま伏せていようと思った。
しかしお約束どおり、なのかはわからないが、リーゼラ達のからかう声が上から降ってくる。
「あなたを心配して言うのよ? まだ学校を休んだほうがいいんじゃない? あと一か月くらいは」
そうそう、と取り巻きたちがはやし立てる。
「さすがにねえ、
「まさか魔法のこと、全部忘れちゃったんじゃない?」
雨あられのように降ってくる嫌味に、摩李沙は心の中で全力で叫んだ。
(忘れてるんじゃないのよ。元から知らないの!)
理不尽な状況のせいなのか、様々な思いがぐるぐると頭をかき回す。
突如異世界に来た心細さ。家へ帰れるのか、という不安。
危険が伴うかもしれないが、エミリアの替え玉となるべく、それなりに努力した。
そうだ、摩李沙はそこそこ頑張っているのだ。
なのに――
「こんなささいな間違いをするなんて。全然あなたらしくないわ。自分の家名に対して、恥ずかしいと思わないの?」
「……一体私の何を知ってて、そんなに馬鹿にする訳?!」
がばっと立ち上がり、モヤモヤを真っ向からリーゼラにぶつけた。顔をあげた勢いで、片耳につけたイヤリングがゆれる。
我慢してきた諸々が、リーゼラの嫌味が起爆剤となりはじけたのだ。
「確かにあれは基礎中の基礎の知識よ。間違えたのはとんでもなく恥ずかしいわ。けどね、人間どんなに気をつけたってどこかで間違うことはあるのよ。今回は私がたまたま間違えただけ。それをしつこくつついて楽しむなんて、理解できないわ。あなただって、覚えてないだけで過去にたくさん失敗してきたでしょ? 失敗は
一気にまくしたてたせいか、無様な程に息が荒い。
あっけにとられていたリーゼラだが、なぜか満足そうに
「あら、いつものエミリアじゃない。やっぱりそうでなくちゃね」
(嘘でしょ。毎回こんな調子なの? 身が持たないよ)
呆然とした摩李沙とリーゼラの間に、前触れなく球体の風が入り込んできた。中心から爆ぜ、消える。摩李沙の前髪が逆立った。
「わあっ」
「ちょ……どうせあなただと思ったわよ、バルタザール」
講義室の入り口には
「彼女を
「そうね、受けて立とうかしら。あなた、そこそこ魔法の才能あるものね。相手にしたら楽しそう」
リーゼラは右手を空中へと広げる。香水用の
摩李沙以外の生徒たちは講義室の隅に集まり、無責任にはやし立てた。摩李沙の耳に、近くにいるクラウスとリックの会話が飛び込んでくる。
「クラウス、これはリーゼラが有利だろ。あいつは水も植物も操れるんだからさ」
「わからないぞ。バルタザールは風の魔法だけど、隠し玉がいくつかありそうだし」
「あー確かに。エミリアを目立たせるためにわざと手を抜いているんじゃないかって、よく噂されてるもんな」
固まっていただけの摩李沙は、あることに気づいた。即座にリーゼラの前に立ち、両手を広げて立ちはだかる。
「どうしてそいつをかばうんだ?」
「あら、下僕が負けるのがそんなに嫌?」
「そうじゃない! さっきから先生が、こっちを楽しそうに見てるの!」
その場の全員が、バルタザールの後ろへと注目した。
そこにいたのは、見た目が十歳くらいの少年だ。浮いた教科書の一冊に、使い魔と思われる白い小犬が載っている。
その犬がワンと吠えた直後、生徒達はすみやかに着席した。
「そうか、止めちゃうのか。残念だなあ。もうちょっと見ていたかったのに。って、僕が言うのはダメだね。えーと……そうだねえ」
小犬を抱き上げ肩に乗せながら、少年――キール先生はのんびりと言った。
「どうしてこうなったのかを、詳しく聞かせてほしいな。この騒ぎの原因になった人は、後日僕の手伝いをしてもらいますね」
摩李沙とバルタザールは、ほぼ同時にうなだれた。
(魔法使いの先生の手伝いって、何させられるんだろ?)
◆◆
放課後、摩李沙はトアンの研究室へ向かっていた。
いろいろあったせいで体じゅうに疲労物質がみっちり詰まっているが、ここでさぼるわけにはいかない。
研究室まで数メートル先まで来たところ、扉が開いて女性が出てきた。摩李沙達とは反対の方へ歩いていく。
ついてきてくれたバルタザールがなぜか、眉をしかめた。
「アダリリィ先生だ」
「どうしたの?」
バルタザールは言いよどんでいたが、結局は説明してくれた。
いわく、魔法史担当のトアンと光魔法担当のアダリリィは、校舎内でよからぬことをしたとの噂があるらしい。目撃証言もいくつかあるそうだ。
「え、先生同士でいちゃついてたってこと? それ本当?」
「どうなんだろうね。アダリリィ先生の一方的な片想いだとも言われてるけど。真実はさておき、誤解を生むようなことはするべきじゃないのに」
生真面目なバルタザールらしい反応だ。気を取り直して、研究室の扉を叩く。すぐに返事があった。
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