第2話 別れと魔導書
「ギルバート、本当にこの教会から出ていくつもりですか?」
部屋で荷造りをしていたギルバートに話しかけてきたのは、聖マリアンヌ教会でシスターをしているベラだった。
教会で一番の美人だと評判のベラは、背中辺りまで伸ばした金髪の上からベールを被っており、首から月の女神・セレーネをモチーフにしたカメオのネックレスをいつも身に付けている。
弱き者に優しい正義感あふれるシスターとして神に仕えているが、間違っていると判断した時は相手の身分が何であろうと、厳しい意見を言う事も少なくない。言い争いに発展してしまった時は、いつもギルバートが仲裁に入っていた。
「あぁ、そのつもりだ。荷造りが終わり次第、ここから出ていくよ」
生前、亡き師から貰ったボロボロの魔導書を鞄に詰め込みながら言うと、ベラは悲しそうな表情に変わった。
「どうして、抗議しなかったのですか? あの場で否定しなければ、自分は魔族だと認めているようなものです。他人に言いたい放題言われているのに、黙り込んだままだなんて貴方らしくないですよ」
確かに自分らしくないとギルバートも思っていた。けれど、朝から晩まで奇異の目で見られるだなんて居心地良いはずもなく、これから先もずっと続くと想像するだけで、ゾッとしてしまう。
「仕方ないだろう、呪いを解く方法がわからないんだから。それに、私がこのまま教会に居座れば、信者達に不安を与えてしまうと思うんだ。大司教が亡き今、私ほどの魔力を持つ者でさえ呪いが解く事ができないんだ。なら、私が出て行った方が良い」
ギルバートは荷物を詰めた鞄を持とうとすると、背後からベラが抱き付いてきた。「行かないで、ギル……」と小さく啜り泣く声が背後から聞こえてくる。
「私、貴方の事がずっと好きだったの。ここをやめるから、私も一緒に行かせて。月の女神・セレーネ様に一生仕えると宣言したのに、私は貴方を愛してしまった罪深い女なの。だから、一緒に連れて行ってほしい」
ギルバートは自分の腰に回された手に触れようとしたが、ベラの柔らかそうな手と自分の鋭く伸びた爪を見て、すぐに手を引っ込めてしまう。
この身体になってから少し力を入れただけで、物を壊してしまう事が増えた。血を流す程の大怪我をベラに負わせてしまうかもしれない――そんな悪い予感が頭を過ってしまった。
「すまない、ベラ。それはできない」
「どうして? もしかして、ギルは私の事は好きじゃない?」
悲しそうな表情に変わったのを見て、ギルバートは少し動揺してしまった。
「違うよ、そういう訳じゃない。君の事を想っているからこそ、連れていけないだけなんだ。こんな姿じゃなきゃ、私は……私は……」
ギルバートは既の所で、言いたい事をグッと飲み込んだ。
昔の習わしで、神に仕えると決めた聖職者は婚姻を結んではいけないと言われている。今はそれ程厳しくないが、信者達が認めない限り婚姻を結べないという決まりがあった。
あぁ、くそ。こんな見た目じゃなかったら、人並みの幸せを手に入れて、静かに暮らしていたかもしれないのに、どうしてこんな姿になってしまったのか――。
実はギルバートも幼い頃からベラの事が好きだった。見た目がこんな風になっていなければ、二人で生きていくという未来もあったのかもしれない。
「どうか、私の事は忘れてくれ。君だけの太陽を見つけて生きて欲しい。私は月を見る度に君の幸せを願って生きるよ」
ギルバートはベラを真正面から優しく抱き締め、優しく彼女の頭の上に手を置いた。何をするのか察したベラは抵抗したが、数秒後には足の力が抜けて、立っていられなくなってしまっていた。
「さようなら、ベラ。ずっと愛してるよ」
ベラをベッドに寝かせ、静かに部屋を出た。
次に目を覚ましたら、ベラがギルバートに抱いていた想いはなかったものになるだろう。
「さて、葬儀が行われているうちに教会を出よう。夜とはいえ、この姿で隣町に行くわけにもいかない。とりあえず、今日は山で野宿でもするか」
鞄の中に野宿用の寝袋が入っていたか確かめようとした時だった。鞄に突っ込んだボロボロの魔導書の間に比較的新しい紙切れが挟まっていたのだ。
「紙切れ? こんなの挟まってたか?」
ギルバートは不可解だというように首を傾げる。魔導書を鞄に入れた時は、こんな紙切れは飛び出していなかったはずなのだ。
「……もしかして、亡き師が私に向けて書いた手紙か?」
人間は死後、未練が残っていると自分の存在に気付いてもらうべく、あの手この手で気づかせようとしてくるのだ。今回の現象もそれかもしれないと思ったギルバートは早速、紙切れを広げてみる。
何かメッセージが書かれていると思いきや、紙に書かれてあったのは小さな魔法陣だった。一部は解読できなかったが、古語で『我を……へ導き……』と書かれている。
「初めて見る魔法陣だな。どうして、こんな魔法陣が書かれた紙切れが挟まって――うっ!?」
突然、目を開けていられない程の眩い光がギルバートを襲った。
何が起こったのか分からず、恐る恐る目を開けた瞬間、見た事もない黒と紫色の雲が一面に広がっていたのだった。
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