伍の肆 神田明神の生き残りと手がかり

 案の定と言うべきか、境内はモノで満ちており、凄惨な様相を呈していた。


 モノが群がっているので斬り伏せてみれば、中心にあったのは、今まさに貪り食われていた禰宜の死骸だったり。


 はらわたと片腕をすっかり食われた神人らしき者が、走屍と化して迫って来たり。


 何より、ここのモノどもの放つ瘴気は尋常ではなく、大気は腐った生物が放つあの臭いの毒に満ちていた。

 花渡と千春だから涼しい顔をしていられるが、並の人間ならここに踏み込むだけで息絶えるだろう。


 それでも、神を宿した花渡の太刀は鈍ることはない。

 千春が手助けする間もほとんどなく、剣技だけで片がつく。


 それでも何か使命を帯びている節のあるモノどもも粘ったが、花渡と千春の脳裏に去来したのは別のこと。


「粗方、モノは片付いたと思うが……生き残りの人間は……」


 微かの希望を抱いて、花渡は社務所に続く渡り廊下に目をやった。


「……とにかく、中を確認しよう」


 千春に促され、花渡は社務所の入り口の扉脇に貼り付いた。

 千春と目配せし合い、そのまま扉を開ける。


「……ふむ。待ち伏せはなしか」


「中。見てみよう、お姉さん」


 土足のまま、社務所の叩きを上がる。


 流石、江戸総鎮守の社格を与えられているだけあって、社務所の造りもそれ相応に豪勢だったが、それでも花渡の神刀を振るうのには手狭だ。


「大丈夫、モノが出たらあたしが動き止めるから」


「……期待しているぞ」


 用心しながらじりじりと、社務所を奥へ、本殿がある側へと進んでいく。


 と。


「……何か、音、聞こえた?」


 千春が早口に囁く。


「右の奥の部屋からだな」


「……やっぱりいるのかな、モノ……」


「……いないのはおかしいからな……?」


 花渡はふと違和感に気付いた。


「なに、どしたの?」


「いや、女の声がしたような……」


「え……あ」


 ばたり、ばたりと畳を叩くか擦るような音に混じり、微かな女の呻き声が聞こえた。


「……いや、人間とは限らん。開けるぞ」


 花渡は入ってきた時と同じように、襖の脇に付いた。

 片腕で太刀を構え、千春と目配せをしてから一気に押し開ける。


 いきなり開け放たれた襖の奥からは、モノが飛び出してくる気配もなかった。

 覗き込む。


「あ……」


 そこに横たわっていたのは、巫女装束の若い娘だった。

 装束の上着、千早が凝っているので、宮司の身内かも知れない。


「ちょっと!大丈夫!?」


 千春が駆け寄る。

 若い、美しい娘であっただろう。モノの瘴気に当てられて、肌が土気色をして、全身が痙攣していなければ。


「お姉さん! 生きてる、この子、生きてるよ、人間のままだ!」


 千春が信じ難そうに叫んだ。


「でも、このままじゃ……どうしよう、どこかに連れ出す訳にも」


「いや、連れ出す必要はないな」


 花渡は血塗れの懐をまさぐった。


「は? 何それ、蜜柑……?」


 花渡は脳裏に囁かれた言葉のまま、常世で入手したその聖なる果実を剥いた。


「時じく香の木の実だ。モノの瘴気に対抗するし、怪我や病を癒す」


「時じく……えええっ!? 何でそんなの持ってんの!?」


「ま、強いて言えば、親が私にくれた手土産だ……千春、その娘の口を開けさせておいてくれ」


 花渡はにやりと笑って指示を飛ばした。

 千春は訳が分からないという顔をしながらも、従う。


「……口を開けて」


 千春が命じると、明らかに意識のない瀕死の娘の口が、ひとりでに開いた。

 千春が小さな手で、その頭を固定する。


「そのまま……」


 花渡は時じく香の木の実の一欠片を、娘の口の上に持って行った。

 そのまま、指で押し潰し、果汁を口の中に注ぐ。

 爽やかで芳醇な香りがいっぱいに広がり、火事の煙のように漂っていた瘴気が浄化され消える。

 果汁が口の中に滴るや否や、娘の顔色が戻り、痙攣が収まった。


「……っ、はっ!?」


 水から上がったような声を立てて、娘が目を開ける。


「どうだ、どこか痛いか?」


 覗き込む若衆姿の美麗な女剣客と、祭り帰りのような女の子を見て、娘はきょとんとした。


「……あの……あなた方は……これは……」


「案ずるな。お前は助かったのだ。表にいるモノどもは、みな我らが始末した」


 花渡の言葉が娘の脳裏に染み込むまで、僅かの間を必要とした。

 今の今なら無理もない。


「……あっ! 父様! 父様が!!」


「父様?」


 花渡は千春とちらりと目配せし合う。


「父はここの宮司なんです! あいつらが来た時、ご神体を守ると言って本殿へ……母も後を……!」


 一瞬だけ迷い、花渡はゆっくり首を横に振った。


「残念だが、表には誰も……」


「間に合わなかった。ごめんね」


 二人の言葉に、娘が顔を手で覆う。


「あいつ……あの男が!」


 嗚咽の後に鋭く放たれた言葉に、二人は顔を見合わせる。


「……あの男?」


「男の姿のモノか?」


 それにしては変だ。

 モノを普通、「男」などという言葉で表現するだろうか?

 確かに「人間の男に似た姿形のモノ」というのは存在するが、それを指して人間のように「あの男」とは言うまい。


「人間の……男がいたんです! 本当です、あの男がモノを引き連れて……!」


 花渡も千春も、一瞬唖然とした。


「ちょっと待て、人間の男がモノを率いていたというのか?」


「それはないよ、多分、人間に似ているモノだよ」


 恐らく、モノの大群の襲撃に怯えて、人型のモノが本当の人間に見えたのだろう。

 しかし娘は、そんな二人の予想をあっさり否定した。


「違うんです、あれは人間でした。ボサボサ頭の、大きくてもさい中年の男で……その、貴女の刀くらいに長い、木刀を持っていて……」


 神刀を指す娘に、花渡は怪訝な顔を向けた。


「モノにも得物を持つやつはいる。多分、その類だろう」


 しかし、娘は更に激しく頭を振った。


「違うんです、自分で名乗ったのが聞こえました、自分は武士だって! 人間が来たぞって!」


 思わず、花渡の口が開く。


「まさか……」


「ね、そいつ他にも何か言ってなかった?」


 信じられない花渡を尻目に、何かを掴んだらしい千春は真剣な表情で問いただした。


「ご神体はもらうって……自分も武士だから、武士の神である将門公を悪いようにはしないって……言い様に、持っていた木刀で……!」


 何か凄惨な光景を思い出したらしい娘を、花渡が背中を擦って落ち着かせる。


「辛いだろうけど思い出して。そいつ、自分の名前か何か言ってなかった?」


「……いえ」


 娘は鼻をすすった。


「ただ、早く持って行かないと、あの方にどやされる、とか何とか……仲間がいる感じでした」


 花渡は唖然としたまま、これはどういうことか考えた。

 モノに混じった人間。

 仲間だか主だかがいるような。

 花渡が先程抱いた、モノが組織だって動いている裏付けが取れてしまった。

 しかし、人間がモノと一緒にいるのを、どう説明するべきか。


「他は? 何でもいいから思い出して、他にどんなこと言ってた? あなたのご両親の仇を取るのに大事になるかもなの」


「ごめんなさい、私、すぐに倒れてしまって……」


 娘は辛そうに上品で整った顔を歪めた。

 千春は、何度か頷き、こちらこそごめんねと口にした。


「その、モノを率いていた男の人相風体だが……もっと詳しく聞きたい。この騒ぎの下手人を見定められれば、この太刀で斬り捨てるのも難しくはなかろう。これでも、境内のモノはほとんど私が斬った」


 事実だけを告げる言葉に、娘は自ら意味を見出だし、力を得た。


「歳は多分、五十絡みくらいで……体はかなり大きかったです。貴女様よりも上背があったと思います。ごつくて、蓬髪で、身なりからすると、禄のある武家ではなく、浪士としか」


「目鼻立ちの特徴は? 目が大きかったとか、口が大きかったとか」


「……そんなに近寄った訳ではないので、詳しくは……ただ、ギョロ目なのが分かりました。達磨みたいな感じ」


 ふうむ、と花渡は唸った。

 勿論、見知らぬ顔である。


「ありがとう。これから、ご神体を改めに行ってくる。もし本当に奪われていたら、我らが奪い返す。ついでに境内を浄化して、モノが入れない措置を施すから、この騒動が収まるまで、境内の外には出ないでくれ。しばらく分の食料は蓄えてあるか?」


 花渡の言葉に、娘はごくりと唾を飲んだ。


「はい、米と野菜と干物が少し……あの、貴女様方は一体……?」


 流石に怪訝な顔だ。無理もない。

 どこの馬の骨とも知れぬ女剣客と子供が、ご神体を奪い返し、更には境内を浄化するのだと言い張るのだから。


「あはは! あたしたち、ちょっとだけ、修行した身なんだよ! ね、お姉さん!」


 千春が、ここぞと口を開く。


「詳しいことは話せぬが、モノと戦っているとだけは言える。案ずるな、何とかする。貴女は、ご自分の身を守ることだけ考えていれば良い」


 花渡は神刀を持って立ち上がり、娘に晴れやかな笑みを向けた。

 まさに花が咲くよう。

 何があっても大丈夫だと、無条件に思える笑み。

 娘の頬が染まる。


「行こう!」


「あっ! あの……!」


 立ち去ろうとする花渡と千春を、娘が止めた。


「ん?」


「あの、せめてお名前を……私は宮司の娘、相馬翠そうまみどりと申します」


 将門公は、新皇となって以降は相馬姓を名乗ったはず。

 同姓であるということは、恐らく将門公の後裔なのだろう。

 翠が助かったのは、果たして遠い祖父・将門公の加護があったからなのか。


「私は花渡。佐々木花渡と申す」


「ええい、言っちゃおう! あたしは時塚千春!」


 二人は次々と名乗った。

 花渡は殊更気楽に笑う。


「なに、間もなく全て片付く。早まらずに待たれよ……ああ、これでも、腹が減ったら食べてくれ」


 花渡は新しい方の時じく香の木の実を、ぽんと翠に渡した。


「大概の怪我や病なら治る、神物だ。貴女はモノの瘴気に長い時間曝されて体が弱っているかも知れない。疲れたと少しでも思ったら、それをつまんで精を取り戻してな」


 本当ならさっきの一欠片で回復には十分なのだが、これだけの目に遭った娘を一人残して行くのに、腹ぺこで放り出すのは忍びなかった。


「よ、よろしいのですか……? そのような貴重なものを」


「物は何でも使い時が大事だ。私が抱えていても、腐らせるだけだしな。使ってやってくれ」


「ありがとうございます……本当に……」


「じゃあ、無理せずにな」


「このゴタゴタが一段落ついたら、寺社奉行所から誰か来るはずだから、それまでの辛抱ね!」


花渡は千春共々、感動に目を潤ませる翠を置いて、社務所を出た。

 翠は見送りしようとしたが、またモノが来たら危ないからと、そこに留めた。


 二人の前に、再び戦場が広がった。

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