第50話
翌朝、ヤイバたちは王都へと馬車で向かう。
昨夜の衝撃の告白、そして隠された真実……それも今は、ヤイバの胸にしまっておく。もちろん、カホルもそのつもりでチイと並んで笑っていた。
今の彼女には多分、あれが精一杯。
同性に恋する気持ちは、その対象には打ち明けられないのだ。
心から応援の気持ちを念じていると、ヤイバの隣でブランシェが突然立ち上がる。
「お、おおー。ヤイバ、あれ。あれ、しゅごい」
小さな指のさししめす先を見やれば、王都と思しき巨大な都市が見えてくる。すでにもう、周囲を囲む城壁もなく、街道は真っ直ぐそのまま中心部へと吸い込まれていた。
周囲には草をはむ家畜たちが、緑の草原に無数に散らばっている。
王宮は立派なもので、この遠くの丘から見ても荘厳な輝きに満ちていた。
そして、空には飛空船が十重二十重。
まさしく大都会、それも近代的な工業都市の姿がそこにはあった。
「あれが王都です。ただ、我々の本部は少し郊外の方にあるんですよ」
シャリルが笑顔でブランシェの頭をポンと撫でる。ネコミミフードのダークエルフは、瞳をキラキラさせて王都を眺めていた。
だが、馬車はその王都を横目に通り過ぎてゆく。
すでに町中の工場からは、勢いよく黒煙が舞い上がっていた。
「シャリル、結社の本部では集会は」
「午後一番で始まります。ほら、あの馬車もおそらく同志たちが」
「……ぞくぞく集まってくるね」
気づけば、同じ場所へと向かう馬車が次第に増えてゆく。
徒歩や馬の者たちもいて、その数はそうとうなものだ。
そして、誰もが穏やかに挨拶を投げかけてくる。
そっとチイが、ヤイバの耳に唇を寄せてきた。
「ヤイバ君、もうすぐ正午です。皆、あの建物へと急いでいるようですね」
皆が向かう先、森に囲まれた土地に大きな建物があった。質実剛健といった雰囲気の寺院めいた建造物で、先ほど遠くから眺めた王宮に比べれば質素である。
どうやら今日は、優雅にランチを食べてる時間はないようだ。
それは周囲の者たちも同じで、中には食べながら歩いてる者もいる。そうした結社の同志たちも、決して食後にゴミをポイ捨てするようなことはなかった。
やはり、自然を愛する仲間たちは健全なコミュニティーなのか?
その謎をはらんだまま、門の前でヤイバたちは馬車を降りた。
「私は本部の会計科に寄っていきます。シャリル、お客様がたをお願いしますよ」
「はい、支部長」
「では皆様、後ほど集会場でお会いしましょう」
支部長は大きめの革袋を腰にさげて、行ってしまった。
本日はお日柄もよく、絶好の集会日和……そこかしこで明るい声が行き交っている。その会話の内容は、自分たちの活動報告と、互いを褒め称える称賛の言葉だった。
「海岸線は随分と綺麗になりましたよ。町の皆様のおかげもあって」
「それは素晴らしい。こっちの森はまだまだ……切り開いて宅地にするという業者が」
「まだいいほうですぞ? こっちはなにやら難しい機械の工場が建つそうで」
「なんにしても、皆様のご奉仕には頭が下がります」
「なに、まだまだ! 皆で力を合わせて、この星を……星の泉を守りましょう!」
ひどく建設的で、とても向上心に満ちた声だった。
チイが眉をひそめる程度には、あまりにも平和な穏やかさが怪しい。だが、本当に善良な団体だった場合のことも考慮しなければならないし、なによりイクスだ。キルライン伯爵の主催するこの秘密結社は、必ずイクスの消息に繋がっているはずなのだ。
それと、とチイは遠慮がちにうつむきながらつぶやきをこぼす。
「なんだか今日のカホルさん、その……前より少し、距離感が近いというか。妙な壁みたいな空気を感じないんです」
「ふーん、そうなんだ。打ち解けてくれたってことじゃない? ……チイも気づいてたんだ」
「ええ、クラス委員ですから。彼女、誰にも優しく親しいのに、絶対に踏み込ませないなにかを抱えていましたよね。今はそれが、ほんの少し」
まさか、チイは気づきもしないだろう。
カホルが今まで抱えていた秘密は、チイへの恋心なのだと。
それを彼女が知った時、どうなるか……それは二人の問題なのでヤイバは気にしない。気にならないのは、チイが昔から誠実で生真面目にすぎるくらいの真摯な女の子だからだ。
そうこうしていると、シャリルが「こちらです」と案内してくれる。
混み合う中で講堂のような部屋に通され、ヤイバはそっとブランシェの手を握った。
これから目にする人物がわかるかのように、ブランシェは震えている。
「大丈夫だよ、ブランシェ。もう二度と伯爵にきみを渡したりしない」
「まほう、とらなくてもいいの?」
「うん。必ず僕やチイ、カホルが守るからね」
「わかった。すこしあんしんする」
それでも、ブランシェは緊張でカチコチだ。
無理もない、キルライン伯爵は彼女を道具のように扱い、扱い終えたからと捨てたのだ。そうして代わりに、イクスをさらってこの世界に逃げてきたのである。
伯爵にとっては、ブランシェもイクスも魔導書でしかない。
魔法を写し取る、あるいはその全てが書き記されている……そういう巻物でしかないのだろう。それは二人にとって大変に失礼で、ヤイバでさえ怒りがこみ上げる侮辱だった。
そして、真実を知る時が訪れる。
講堂に集まった結社の同志たちの前に、あの男が現れたのだ。
「同志諸君! お集まりいただき、恐悦至極……さあ、我らが結社の集会を始めましょうぞ!」
間違いない、キルライン伯爵だ。
ヤイバが思っていた通り、この世界の結社を取り仕切っているのは、あのキルライン伯爵だったのだ。その影響力は、片田舎の町に銅像が建つくらいである。
確かに今、趣味の悪いカラーリングの礼装はそのままだが、妙な威厳がある。
権威がまさに後光となって照らしてきそうな程に、その表情は穏やかだった。
「本日は同志諸君に、よきご報告がありますぞ! さあ、イクス様をこちらへ!」
確かに言った。
その人の名を伯爵は謳ったのだ。
そして、ステージの上に見知った姿が現れる。
花嫁衣装のような白いドレスを着せられた、イクスロールの姿がそこにはあった。拘束こそされていないが、左右には頑強そうな武装した男が彼女を挟み込んでいる。
伯爵の隣で顔を上げたイクスの、その美貌は無表情に凍っていた。
「この方こそ、全ての魔法を刻み込まれたスペリオール! エクストラ・スクロールことイクス様であります。ここに今、吾輩は宣言しますぞ……魔法時代の大復活を!」
どよめきが起こった。
突然、ハイエルフの少女を出してきて、魔法復活と言われてもピンとこないだろう。なにせもう、魔法もエルフも、そして魔王も……10年前に消え去っているのだから。
だが、伯爵は大げさな身振り手振りで同志たちの動揺を余さず拾う。
「驚かれたでしょう! ええ、わかりますとも! 皆様、どうかご清聴を! ……我らが善行は星の汚れを拭って清めてきました。ですが、もうそれでは間に合わないのです!」
袈裟の下から鎧を出したな、と思った。
ついにこちらの世界でも、支持者たちの前で伯爵は仮面を脱ぎ捨てたのである。
それよりも、ヤイバは改めて見て驚いた。
イクスの額には、十字に刻まれた傷跡があった。
都牟刈家の庭で伯爵に切られた傷に、更に縦に切り裂かれた傷が重なっていた。まるで、彼女に無理矢理刻んだ罪の証のようで、率直にいって不快だ。
それでなくても、彼女は全身に禁術を含む全ての魔法を背負わされているのだから。
そのイクスだが、全く喋らず目の焦点も乏しい。
まるで人形のように、伯爵の隣に佇んでいた。
「ヤイバっち!」
「ヤイバ君」
「うん……ブランシェ、いいかい?」
「だいじょうぶ、わたし、がんばる!」
もはや我慢の限界だった。
そしてもう、ここにいたって忍耐を強いられる必要はない。
そろって冒険者の武具に一瞬で着替えるのを見て、シャリルが驚きに目をみはる。
「み、みなさん、どうしたのですか? まだ伯爵がお話を――」
「あの女性は僕たちが探していた、伯爵にさらわれた……大切な人だ」
「さらわれた? なにかの誤解では。伯爵は決してそんなことは」
だが、もはや言葉は不要だった。
それでも、親切にしてくれたシャリルに端的にヤイバは告げる。
「僕たちは異世界から来たんだ。そして、僕たちの世界で伯爵は沢山の悪事を働いた」
「そんな! どうして……なにかの間違いでは」
「君にとっては尊敬できる同志でも、僕たちにとっては違う。だから、今は行動の時だ。シャリルには感謝してるけど、もうここまで来たら黙っていられないんだ」
人混みをかき分け、ステージの上に乱入するヤイバ。
その姿を見て、微かに伯爵は驚きの表情を歪めていた。しかし、瞬時によゆうある微笑みに戻って、集まった人々に語りかける。
「おお、なんということでしょう! 我らの崇高な使命に今、暴力で異を唱える者がいます! なんて哀しいことでしょうか!」
「……そうやって、こっちの世界では結社のカリスマをやってるんだね、伯爵」
チイやカホルも続く中で、ヤイバはナイフを抜く。
あまりの怒りと憤りに、どんな効果の何属性かもわからぬ刃を握りしめていた。
そして、見る。
ヤイバたちを見た瞬間、イクスの大きな瞳から涙が溢れ出すのを。
次の瞬間にはヤイバは、床を蹴って伯爵へと切りかかっていたのだった。
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