第49話

 港町ロ=ロームの支部は、それは立派な建物だった。そして、大勢の結社同志がヤイバたちを出迎えてくれる。温かな食事と寝床、何よりチイやカホルが喜んだのはお風呂だった。

 謎の秘密結社、自然を愛する仲間たち。

 警戒心を厳とするヤイバでさえ、カルト的な怪しさは微塵も感じなかった。

 だが、皆が善良で熱心な分、かえって怪しいとも思えてしまう。


「さて、どうしたものだろうか……やはり、懐に飛び込んでみなければね」


 夜、寝付けずにヤイバは海岸沿いを歩いていた。

 町の方からは、夜の賑がかすかに聴こえてくる。それも、打ち寄せる波の音にかき消されていった。静かな夜、星空は主役の月が不在でも優しく世界を照らしてくれる。

 星明りの中を歩けば、砂浜に人影があった。

 あちらも気づいたようで、こっちに大きく手を振ってくる。

 闇夜でよく見えなくても、弾んだ声が笑顔を伝えてきた。


「おーい、ヤイバっち! みてみて、潮が引いてる!」

「やあ、カホル。君も眠れないの?」

「流石に慣れろって話なんだけどねー……うん、眠れないよ、あんなの」


 海岸線は今、静かに凪いで広がっていた。

 普段は海の底にいる岩場が、そこかしこで小さな水たまりを作っている。ふと小さな違和感を感じたが、ヤイバはそれにすぐには気付けなかった。

 ただ、そこかしこで海から取り残された小魚たちが泳いでいる。

 そのなかで、カホルの金髪がさらさらと輝きなびいていた。


「少し歩こっか、ヤイバっち」

「そうだね」

「海風が気持ちいいし! いわゆる、星降る夜って感じ?」

「詩人だな」

「いいっしょ!」


 はにかみ隣に駆け寄ってきたカホルが、横に並ぶ。

 少し岩場を回って、段差ではヤイバが手を伸べた。その手に手を重ねて、カホルも軽快な足取りで歩く。夜の散歩のエスコートも、自然と歩けば再び砂浜が広がった。

 寄せては返す波に洗われ、どこまでも続く銀の絨毯。

 やはり、妙だと感じるのだが、その意味がわからない。

 だが、嬉しそうに歩きながら突然カホルが語り始めた。


「あの、さ……ヤイバっち」

「ん? ああ」

「改めて、その、あんがとね」

「いや、お礼を言われるようなことはなにも」


 砂の上で一歩踏み出て、ヤイバの前でカホルは振り向く。

 真っ直ぐ見つめてくるその瞳に、ぼんやりとしたヤイバの顔が映っていた。

 ぐっと身を乗り出してきて、見上げるようにカホルが微笑む。


「あーしのことで、その、喧嘩しちゃったんじゃない?」

「ああ、その話か。いや、うちの母親の話がちょっとね」

「ん、まあ、始まりはそこでもさ……やっぱあーしって、遊んでるイメージあるのかな?」

「言いたい奴には言わせておけば? ……って思えなかったから殴っちゃったんだけどね」


 ヤイバは割りと、短慮で短気な自分に自覚がある。

 普段はわりとぼーっとしているが、自分でも情けないくらいに沸点は低い。静かにキレるというか、たちの悪い性格の持ち主なのだった。

 だが、不思議とカホルの笑顔をみてると自分を許せてしまう。

 結果よければ全てよし、みたいな図々しさもまた若さだった。


「だいたい、よく知らないことを勝手に吹聴するのが悪いのさ」

「ん、だよねー? ……誰にも、教えてないもんね」

「なんか、カホルって少し独特な距離感あるよね。誰とも仲がいいのにさ」

「まあねー、高嶺の花ってか? にはは!」


 カホルはいたずらっぽく笑って、白い歯の光を零す。

 そうして少し前を、また歩きだした。

 黙ってついてくヤイバに、不思議な言葉が投げかけられる。


「男の子ってさ……好きな人と一緒の部屋だと、嬉しいっしょ」

「うん? まあ、一般的にはそうだろうね」

「ヤイバっちは?」

「んー、どうだろう」


 とっさになぜか、イクスのことが思い出された。

 どうしてだろうといぶかしんだが、あのゆるゆるなおばあちゃんムードが脳裏に浮かんで離れない。一つ屋根の下でしばらく暮らしたが、毎日がしっちゃかめっちゃかで割りと楽しかったのを覚えている。

 それが、彼女の最後の百年。

 老後の余生を奪ったキルライン伯爵には、少し痛い思いをしてもらいたいものだ。

 そうして彼女を救い出して……それから?

 そんなことが急に胸の奥から溢れ出しそうになった。

 だが、ヤイバの言葉を待たずに突然カホルが告白する。


「あーしはさあ、ダメなんだわ。もうギリ限界って感じ」

「と、いうと」

「……好きな人との異世界旅行、さ。楽しいけど、ちょっと……その、心臓バクバクになっちゃう。キョドっちゃんだよね」

「つまり」


 えっ? とヤイバは自分を指差す。

 だが、肩越しに振り返るカホルは「ちげーし、バーカ」と笑った。

 確かに、そんなことはないだろう。

 どういう意味なんだろうと思った、その時だった。


「あーしさ……昔からなんか、男子のことがどうでもいいっていうか。気になるのはむしろ、女子なんだよね。……キモいから誰にも言ったことないけど」


 突然の衝撃に、思わずヤイバは足を止めた。

 その気配に気づいて、カホルも少し前で立ち止まる。

 だが、振り向いてはくれない。

 震える声音が少し、彼女の緊張を伝えてきた。


「よくさあ、オタクくんたちは『百合に挟まる男マジ勘弁』とか言うじゃん?」

「そ、そうなの?」

「そうなのっ! でもさ、ヤイバっち……しっかり間に挟まっててね? ガチでよろしくだし」

「つまり」

「チイたんとさ、こんなに毎日距離が近いなんて……って、言わすなー! もぉ!」


 唐突に理解した。

 カホルは多分、チイのことが好きなのだ。

 乙女に恋する乙女なのだとわかった。

 だが、そこに疑念も嫌悪もない、些細な違和感さえなかった。

 彼女が誰に対しても見えない壁を持っているのは、これが理由だったのだ。自ら誰にも親しく接して、それ以上を許さない。近寄らせないために踏み込んで、ここまでだと線を引いてきた少女。

 その真実に、以外にもヤイバは驚かなかった。


「好きな人がいることって、素晴らしいんじゃないかな」

「ヤイバっち……さてはおめー、恋してるな? ヤイバっちもさ、好きな人がいる」

「それはわからないんだけど、なぜだろう。その人のために今、僕は大冒険してる」

「そっかそっか。……フフ、なんでヤイバっちには話せちゃうんだろうな。秘密だったのに。チイたんにさ、嫌われたくないんだ。でも、毎日一緒で嬉しいけど、怖くなる」


 そっとカホルは、自分の肩を抱きしめる。

 微かに震えながらも、彼女は星空を仰いて笑った。


「あーあ、もっとあっさりさあ。今夜は月が綺麗ですね、みたいな? スマートな告白、チイたんにしたいけど……迷惑かけたくないしさ。チイたんって多分」

「あ、それね。夏目漱石、そんなこと言ってないらしいよ」

「ちょ、マジ?」

「うん。月が綺麗ですね、を愛の告白だと訳したのは……あ! そ、そうか、これか!」


 突然の気付きに襲われた。

 それで思わず、手の甲に念じて紋章が光る。

 あっという間に冒険者の姿になったヤイバは、カホルが驚く中で一振りのナイフを抜いた。例の、魔法がかかった対象のみを切り裂く、対魔法用の必殺剣である。

 そして、そっと夜空を切り取るように振り上げる。

 星空をかき混ぜるようにぐるぐると頭上で振り回す。


「ちょ、ちょっと、ヤイバっち?」

「おかしいと思ったんだ。潮が引いてる……つまり、潮の満ち引きがある。ということは」

「ということ、は? ――あっ! ちょ、ちょいまち! あれって!」


 ヤイバの手で、魔法がかき消されてゆく。

 そう、今回魔法の加護を受けているのは……この世界そのもの。理由はわからないが、一種の見えないカーテンがこの異世界を覆っている。

 イクスは確かに、こちらの世界には月がないと言っていた。

 そう、今は見えない……見えなくなっていたのだ。

 今、斬撃の軌跡が重なる先に、巨大な月が現れていた。


「部分的に魔法をはがした。またすぐに戻るだろうけど」

「お月さま、あるじゃん! ね、ヤイバっち!」

「……隠されていたんだ。誰かの魔法によって」


 見慣れた月夜は、ゆっくり霞んで消えてゆく。

 また魔法の力で覆われ、まったく見えなくなってしまった。

 だが、見えなくてもその存在はなくならない。だから、月もないのに潮が引くのはおかしいし、逆説的に言えば月があるということになる。

 ただ、疑問は残り続けた。


「どうしてかな、なぜ月を魔法で隠さなきゃいけないんだろう」

「……だめだ、あーしの頭じゃまったくわかんねー!」

「とりあえず、カホル。このことはまずは二人だけの秘密にしとこう。なにか大きな理由が隠されているような気がするから」


 カホルはきょとんとしたが、すぐにニヤリと笑う。


「あーしと秘密を共有しちゃう? わりと面倒だよー、あーしって女はさあ」

「深い意味はないし、カホルはいい奴だよ。ただ、チイには心配かけたくないし、まずは結社の本部に行くことを優先したいだけさ」

「まーた、ド正面からそういうこと言う! かなわないにゃー、ニハハ」


 そうして二人は、今夜の寝床へと戻った。

 チイとは今日はベッドが別なので、同室でもなんとかなるっしょ、とカホルは笑っていたが……彼女の眠れぬ夜は、このあともちょっぴり続くみたいだった。

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