第44話
地方都市ながらも、イ=ツェルの市は活況の真っ只中にあった。
民族色豊かな装束の者たちが行き交い、様々な品が売り買いされてゆく。スパイスと脂の匂いが屋台からたゆたい、並ぶ野菜も初めて見るものばかりだった。
とても異国情緒、異世界情緒があって、流石のヤイバも呆気にとられる。
なにはともあれ、まずは一同の服を何とかすることにした。
「ん、これならダークエルフってわからないかな。肌は隠しようもないけど」
手近な古着屋に入ったが、まずはブランシェの下着を数点と、あとは上からかぶるフード付きのポンチョを購入する。こうしている間も、チイとカホルはあっちの奥で各々の着衣を物色していた。
ちょっと、男のヤイバがいないほうが買い物しやすいと思って二手に分かれたのだ。
そして、眼の前でフードを被って、ブランシェがにこりと笑みを浮かべる。
「猫さん、だぁ……猫さんのフード。うれしい、はじめて、服、かってもらった」
「うんうん、似合ってるよ」
「うれしい。猫さんと、いっしょ」
フードをかぶると、そこにはネコミミがついている。
こっちでもそういう文化があるのかなとも思ったし、単純におしゃれだと思ってデザインされたものかもしれない。
さて、とヤイバは改めて売り場を見渡す。
この先、どんな地域を歩いて回るかはわからない。
まずは大きなリュックサックを買い、大小四人分のマントを買う。いざ野営となっても大丈夫な、夜は寝具を兼ねるもの……そして、追加で毛布をニ枚。
それからようやく、ヤイバは自分の服を選び始めた。
「……ユニクロとかがあれば便利なんだけどね。さて」
イクスの魔法のおかげて、手の甲の刻印で瞬時に防具に着替えることができる。とはいえ、普段この異世界を歩いて旅するには、あまり目立つ格好をしてはいけない。
なにより、上下スゥエットの部屋着では、寒いし少し心もとない。
適当にズボンとシャツを選び、その上から着るジャケットを選ぶ。
この辺はちょっとアメリカンスタイルっぽく、ジーンズ生地のようなズボンに革のジャケットだった。
「次は靴かな」
今気付いたが、庭に出るためにいつもつかってるサンダルをはいていた。
それはかなりまずい。
早速安全靴のような、頑丈で走破性の高いブーツを選ぶ。ちゃんと店主に声をかけ、履いてみてサイズも確かめた。新しい靴だから、慎重に選ばないと靴擦れで旅程が滞る。
ひとしきり選んだら、ブランシェがパチパチと手を叩いてくれた。
彼女にもしっかりした靴を選び、今まで着てたものを店主に処分するよう頼む。
店主はヤイバの世界のサンダルに興味津々で、これは200ティンで買い取ってくれた。
「じゃーん、どうよどうよヤイバっち! あーしのセンス爆発しすぎでしょ」
「あ、あの、カホルさん……選んでくれるのは嬉しいですが、ちょっとスカートが」
どうやらあちらも買い物を終えたようだ。
その姿を振り返って、ほうほうとヤイバは思わずフラットな真顔になってしまう。
ちゃんと二人共、旅しやすいように考えてのコーディネイトだった。
ただ、ちょっとスカートが短いかなと思うし、チイは恥ずかしげに俯いている。
しかも、二人共色違いのおそろいコーデだった。
「なんか、このへんは昔の冒険者が着てたものだって。10年前に戦いが終わって、大量に在庫が市場にナントカって、難しい話してた!」
「なるほどね。ゲームでもいらないアイテムは売るだろ、カホル。そういうことだよ」
「ああ、そっか! ヤイバっち頭よくね? ふーん、そういうことね」
かつて、魔王と闇の軍勢が跳梁跋扈していた時代、人間たちは冒険者となって世界の脅威と戦った。エルフやドワーフといった亜人たちも一緒だった。
それがもう、10年前。
平和という甘美な果実は、10年で世界を変えてしまう。
魔法は消え、亜人たちも滅び、人類は産業革命を迎えていた。
「あ、あの、ヤイバ君……す、少しおかしくないでしょうか」
「そんなことないよ、似合ってる。靴もちゃんとしたもの選んでくれたんだね」
「モチのロン! あーしもわかるよ、長い旅になるかもしれないって」
あとは細々としたものを買って、次は雑貨を扱う露店を覗いた。
女性陣のために櫛と基本的な化粧品を一式買い、チイとカホルが説明を聞いているうちにヤイバは他の品を物色する。
探し物の一つ、地図があった。
だが、世界地図ではない。
あくまでもイ=ツェルの周囲、せいぜいオウラ王国全土だけの地図だ。
北に向かえば王都があるので、まずはそこを目標に旅するつもりである。
「お、これは方位磁石っぽいな。それとランプと、他には」
少し楽しくなってきた。
小さい頃、まだ父ツルギが生きてた時には、よく家族三人でキャンプをしたものである。火起こしのための石も買って、あとは薪は現地調達。
そして、陳列された品々が無言でこの世界の科学技術を伝えてくる。
物凄く高い値段だが、ラジオがある。
ランプを買ったが、懐中電灯と思しきものも売っていた。
食器も鉄製のものがあったり、しかも同じ形の者が大量に量産されていた。工業化は確実に進んでいるし、科学の発達も目覚ましい。
これならばあと数十年もすれば、ヤイバのよく知る世界観に近づくだろう。
「そっちはどう? 他に必要な買い物はあるかな」
「あーしはオッケー!」
「ご散在でしたね、ヤイバ君。稼いだお金は半分になってしまいました」
「ま、半分も残ったんだ。ああいう仕事があったら、また稼いでもいいかな」
うんうんとブランシェが大きく頷く。
既に昼時も過ぎて、気づけば夕暮れになっていた。
どこの家からもいい匂いがして、屋台の料理もいよいよバチバチと美味しい音をたてている。周囲の買い物客も、どこか足早に家へと戻っていく者が多いように思えた。
今夜はこの町に一泊する予定である。
明日から本格的な異世界旅行の始まりだ。
その前に、このイ=ツェルにある結社の支部を訪れるつもりだ。最初から争うつもりはないし、温和に接触して情報を引き出せればと思う。
怒鳴り声が聴こえてきたのは、そんなことを考えている時だった。
「おうおう、手前ぇ! 誰に断ってここに突っ立ってんだ! 商売の邪魔だぜ!」
「チラシ配りならよそでやってくれ! ……ん、これは……製紙じゃねえか」
「ほんとだ、アニキ! 羊皮紙じゃないよこれ」
「なーるほど、結社ってのは随分金になるんだなあ? ええ?」
人混みが自然と輪を作る。
その中央で、小柄な少女が巨漢にからまれていた。
みかじめ料がどうとか言って、どうやら金をゆすられているようである。
だが、ヤイバが驚いたのはそれだけではない。
数人の大人に囲まれながらも、少女は微笑を崩さず紙を差し出す。
「盟主様のご行為で、こうした印刷物をお配りしています。よければどうぞ」
「……おいガキ、状況わかってんのか? ええ?」
「この星は今、危機に瀕しています。星の泉が枯れつつあり――」
「いいから財布を出せって言ってんだよ、ああ!」
質素な服を着て、頭に真っ赤な頭巾を結んでいる。本当はバンダナとかスカーフなんじゃないかと思うが、それがまばゆい金髪の大半を覆っている。
少女は、憤る大人たちに対して、異常と思えるほどに整然としていた。
「大自然を守るために、一人一人が小さなことから始めましょう。さあ、手を」
「……おいおい、本気かよ。ったく、やる気もうせるぜ」
「おら、さっさとどこかへ行っちまえよ! なにが環境破壊だ、余計なお世話だっての」
「行こうぜ! ったく、気色悪いったらないぜ。俺たちの工場がなにしたってんだ」
大人たちはどうやら、工場務めの工員らしい。
少女を突き飛ばすと、彼らは去ろうとする。
だが、転んだ少女は盛大にチラシを撒き散らし……懐から財布を落としてしまった。
先ほど大柄なリーダーらしき男をアニキと呼んでた、痩せた男がめざとくそれを拾う。
「うひょー、結構はいってるぜ! 見てくださいよアニキ! 100ティン銀貨もある!」
「やっぱり儲かるんだな、環境保護活動ってやつぁ。よし、今夜は騒ごうぜ!」
「あ、あの……拾ってくださって、ありがとうございます。それは私の財布で――」
思わずヤイバは飛び出しそうになった。
そんな時、頭上を影が飛翔する。
あっという間に、鋭角的な飛び蹴りが男の顔面を襲っていた。
チイがあわあわとなる中、乱入したのはカホルだった。
その場で彼女は手の甲に手を重ねて、防具姿に返信する。
「あったまきたっての! ちょっとオッサン! 大人の弱いものいじめ、超サイテー!」
「な、なんだあ? おい、お嬢ちゃん……い、今、瞬時に服が」
「そ、それよりアニキ! 鼻血が、鼻血がとまら、な、いい……」
すぐに男の一人がカホルを捕まえようと両手を伸べる。
だが、束縛の抱擁をすり抜けるように、カホルは男のみぞおちに強烈な肘鉄を叩き込んだ。そう、彼女はゲームや漫画でよくある、武道家のような戦いを選んだのだ。
勿論、技は見様見真似だし、技術というよりはやや力任せだ。
でも、イクスから受け取った一流の防具には、そのチャイナドレス風の装束には無数の魔法が付与されているのだった。
「ほら、次はどいつだ! あーしが相手になるから、かかってきんしゃーい!」
やれやれと思ったが、チイと一緒にヤイバは輪の中に出てゆく。チイが散らばった紙を拾い出したので、ヤイバはリーダーらしき男の前に立った。
「うちの連れがすみません。ですが、そのお財布は返してあげてください」
「あ、ああ、おう……」
「確かに、店の前や通りのド真ん中に立たれては邪魔ですよね。彼女には僕からよく言って聞かせます。どうか今日は堪忍してもらえれば」
「そ、そういうことなら、まあ……おう! 行くぞ手前ぇら!」
男たちは去っていった。
すぐにヤイバは、へたりこんだまま瞬きを繰り返す少女に駆け寄り、手を握る。立ち上がらせて間近に見ると、整った顔立ちが中性的で、凛々しく美麗な表情をしていた。
そして気付いた……彼女は彼女じゃなくて、彼。そう、見るも美しい少年なのだった。
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