第41話
夢にまどろむ中、ヤイバはその人に再会していた。
齢三千年のハイエルフ、イクスロール。
異世界最強の魔導師にして、両親の恩師、そして突然の来客で我が家に訪れた貴人だ。若々しく麗しい見た目に反して、もうすぐ天寿を全うする老人を自称するおばあさん。
その姿を追って、ヤイバは異世界にやってきた。
目覚めてその姿が消えると、代わりに胸のうちに小さな女の子がいる。
ベッドの中で今、ヤイバはブランシェに抱きつかれて眠っていた。
「……あったかい。も、もう少し、寝て、よう」
昨日は色々あって、その疲れがぼんやりと意識と肉体をかげらせている。
まぶたも重くて、ぼんやりとした視界を再び静かに覆って隠した。
だが、ヤイバの耳は敏感に二人の少女のやりとりを聴いていた。
どうやらチイとカホルは既に起きているようだ。
「カホルさん、お湯とタオルをもらってきました。ヤイバ君が寝てるうちに」
「んあー、ふあああ……おはよ、チイたん。マジ助かるしー」
「はい、おはようございます。……その、昨夜の私の寝相ですが」
「あー、全然OKだし! あーしも抱き枕とかにしがみついて寝るしさあ」
ヤイバは完全に起きるタイミングを逸してしまった。
これからなにが起こるのかを考えると、狸寝入りを決め込もうと思う。
今も朝日が差し込む窓の外は、雲の海。
静かに揺れながら、捕竜船ミネアポリントン号は進んでゆく。
二度寝を決め込もうとしても、自然と二人の会話に鼓膜は敏感だった。
「あー、サッパリする……ホントはシャワーかお風呂がいいんだけどさあ」
「真水は貴重だそうですよ、船の中では」
「それな! ……つーかさあ、チイたん」
「はい?」
寝起きでどうやら二人は、身体を拭いてるらしい。
ますます起きれない状況になってしまい、かといってもう少し寝るのも無理そうだ。
「チイたん、肌すべすべ! え、なに? ちょっと凄いんだけど」
「私、別になにもしてませんよ? メイクだって化粧水を使う程度で」
「うっそー、ちゃんとケアしなきゃ駄目っしょ。仮にもJKなんだし。そ、それに」
「……? カホルさん、大丈夫ですか? 顔が赤いですけど……熱でもあるんでしょうか」
どうやら音だけを聴いていると、チイは長い黒髪を三つ編みに編み直しているようだ。
カホルもせっせと身体を一通り拭いて、お湯に浸したタオルを絞る音が聞こえる。
「はあ、サッパリしたあ! 次は冷たいミルクかコーラが怖い!」
「まんじゅう怖い、でなにか出てくるような場所じゃないですね。客船じゃないですし」
「つーか、昨日の夜のビール……あれ、ちょっと美味しくね? 大人ずるーい」
「あ、実は私も……その、労働後の一杯が最高というのを、身を持って知ってしまって」
「異世界、最高かよ! ……てかさあ、チイたん」
カホルがちらりとこちらを見る視線を感じた。
ヤイバはとりあえず、寝たふりでブランシェをそっと抱き締める。
はやく服を着てほしいなと思いつつ、一生懸命に意識を飛ばす。
さりとて、ヤイバも年頃の男子……ついつい耳で二人の会話をあまさず拾っていた。
「チイたん、チイたん、あのさ」
「はい、なんでしょう?」
「……もちょっと、普段から丁寧に処理したほうがよくね?」
「は?」
「いや、ちょっと無駄毛が……あ、いや! 忙しいとなかなかね! でも、夏も近いし」
「はあ。……でも、誰に見るというものでもないですし。ちょっと最近忙しくて」
「意外じゃん、チイたんってもっと女子力高いと思ってた」
「そ、そうでもないんですよ? お料理とか、あまり得意ではありませんし」
「わはは、好感度あがるー! そかそか、チタンの女も弱点があるのかー」
年頃の女の子も大変だなー、などと他人事のように二人の会話を遠ざける。
それでも、ついつい意識してしまって戸惑っていた、その時だった。
むくりと突然、ブランシェが起き上がった。
「あら、ブランシェさん。おはようございます」
「おはー! これであとはヤイバっちだけだね。そろそろ起こす?」
「あ、ちょっと待ってくださいね。ブランシェさんもこちらに」
「あはは、寝癖すごっ! ブラシとかないんだけど、ちょっと髪型整えよっか」
半分寝ぼけた様子で、ドスリ! とヤイバを踏んでブランシェがベッドを降りる。またしも起きるタイミングを奪われ、今度は二人がブランシェの世話をし始めた。
そっと盗み見れば、ブランシェは素っ裸にされて肌を吹いてもらってる。
その柔らかさが先程まで手の中にあったので、ついつい意識してしまった。
だが、ブランシェはまだまだ子供、人間で言えば10歳前後だろうか。ダークエルフなので実際の年齢はわからないが、恐らくまだまだ若く幼いのではないだろうか。
そんな彼女の髪を湯で整え、タオルで全身を拭いていく。
一通り終わって、三人とも服を着たのを確認してからヤイバも身を起こした。
「……おはよ」
「おーう、おはようヤイバっち!」
「おはようございます、ヤイバ君」
まだまだ半分寝てるのか、ブランシェはぼんやりジト目でゆめうつつといった感じだ。
二人共学校の制服姿だが、見た目の印象もあってかなり違う。
チイは律儀にきっちり着こなしているし、カホルは着崩した様が妙に似合う。
ヤイバは毛布の中から床に手を伸べ、ズボンをひろってもぞもぞと着替えた。そのままようやくベッドを出ると、既に船はゆっくり高度を下げていた。
「あ、ぬるくなっちゃったけどお湯使う?」
「ヤイバ君、タオルをどうぞ」
二人共随分と落ち着いてるし、異世界で迎える朝に余裕の笑顔だ。
それはそれでちょっと、なんだか男として悲しいような、寂しいような。昨夜はカホルもナイーブな話をしてたが、今日は満面の笑みである。
タオルを「ども」と受け取り、思わず手が止まる。
さっきまで少女たちや幼女を拭いてたものだからだ。
だが、いちいち気にしてたら今後の旅も大変なので、割り切って一度シャツを脱ぐ。
「お、ヤイバっち結構筋肉ついてる感じ? 痩せマッチョ?」
「そんなこと、ないと思うけど」
「昔はもっと、線が細い感じでしたよね……いつのまに」
「いや、ちょっとやりにくいからあっち向いててくれない? はぁ……ん?」
小さな丸い窓の景色が代わった。
雲海の底へ降りてゆくと、そこには緑の大地と海が広がっている。
そして、遠くに小さな町が見えた。
すぐにカホルが窓にかじりついて声を上げる。
「うわーっ! 絶景すぎるっしょ! スマホ、スマホで写真撮らなきゃ」
「バッテリー、節約したほうがいいですよ? こっちの世界じゃ充電できないんですから」
「あ、そっか。そして勿論圏外だった……でも、これは映えでしょ! 異世界映え!」
みんなが窓に張り付いてるので、ブランシェを気にしつつ手早くヤイバも寝汗を拭き取る。今日はいい天気だが、まだまだ空の上なので泉質はほんのり寒かった。
ヤイバも一応身だしなみを整え、さてと今後のプランを考える。
その前に、一番最初にやらなければいけないこと、調達するべきものがあった。
そして、そのための手段を思いつくと同時に、ドアがノックされる。
「どうぞ」
「おうボウズ! お嬢ちゃんたちも、眠れたか!」
昨夜案内してくれた副長さんだ。
三人で朝の挨拶をして、タオルとお湯の礼を言う。
同時に、もうここからヤイバたちの大冒険は始まっているのだった。
「副長さん、この船はあの町に降りるんです?」
「ああ。そこで昨夜の飛竜を解体する。久々の大物だから、ちょっとしたお祭りだぜ!」
「あの、できれば手伝わせてもらえませんか? それで」
この異世界でイクスを探して、キルライン男爵の野望を阻止する。
そのための最初の一歩に、どうしても必要なものがあった。
ヤイバがそのことを口にすると、副長もニヤリと笑った。
「素人にできる仕事なんざねえよ、ボウズ」
「その素人にも、なにかできませんか? 実は僕たち、無一文なので」
「おいおい、金まで取ろうってのかい?」
「働きに見合う分でいいんです。因みにこの世界の通貨や物価は」
そう、現金、ようするに通貨だ。
「ヤイバっち、お金ならあーしがちょっと持ってるよ。ちょい待ち! ……うん、800円!」
「私のスマホにある程度電子通貨が入ってますが、そういう意味じゃないんですよね」
カホルとチイもわかってくれたようだ。
これから長い旅になるかもしれない。こちらの異世界は現実世界と時間差が倍は違う。こっちでの半年は向こうでの一年になるのだ。
だから、なるべく急いで戻るにしても、イクスの救出にはまずお金が必要だ。
副長はポケットの中からコインを出すと、それをヤイバの前に突き出す。
「こいつが1ティン銅貨だ。100枚で銀貨になる。銀貨が100枚で金貨、10,000ティン金貨だな」
「1ティンって、どれくらいの価値なんでしょうか」
「おいおい、よくそれで冒険者が務まるなあ! 1ティンでまあ、どこの町でも朝飯一人前ってとこだろうよ。三人……あ、四人か。四人で飯なら5ティンもあればご馳走さ」
即座に脳裏で計算してみて、1ティンはだいたい500円から700円くらいだろうか。
そういえば以前、イクスが言っていた。
この世界には錬金術があるので、黄金自体に価値がない。金本位制度という価値観が存在しないのだ。金貨は国家が保証する10,000ティン以上でも以下でもない。
改めて凄い世界だと思うし、そこから科学が発展して産業革命を迎えたのだ。
僅か十年でこの異世界は、剣と魔法のファンタジーを卒業してしまったのである。
「ご迷惑を承知でお願いします。僕を使ってください」
「あーしも手伝う!」
「僭越ながら私も……ブランシェさんは一人で待っていられますね?」
「うん。わたしもなにかできたら、手伝う」
ふむ、と唸ると、副長は船長に相談してみると言ってくれた。
そして、朝飯の前の忙しい時間が始まる……船は静かに着陸し、町の喧騒が四方から押し寄せてくるのだった。
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