第40話

 ヤイバが部屋に戻ると、既にブランシェは寝入ってしまっていた。

 そして、なんだか部屋の空気が妙にピリリと張り詰めている。

 その原因はチイとカホルと、部屋の間取りだった。


「えっと、とりあえず夜食をもらってきたんだけど……? な、なにかあった?」


 否、これからなにかあるのだ。

 なにがというか、多分、女の戦いが。

 小さな個室は、ドアを開ければ左右にベッドが一つずつ、その片方では既にブランシェが静かな寝息を奏でている。狭い部屋で、窓は小さなものが一つしかない。

 なるほど、とヤイバも流石に困った。

 とりあえず三人で、ややぬるいビールを飲んで少し腹に食料を入れておく。


「あーし、飲酒しちゃった……あ! ヤイバっち! 何を今更って顔した!」

「未成年の飲酒はいけませんね。まあ、緊急避難措置だと解釈すればいいでしょう」

「うう、初めてのお酒なんだよぉ……もっと雰囲気あるとこで美味しいの飲みたかったし」

「私は、甘酒程度なら飲んだことあるんですけどね」


 苦く泡立つこの世界のビールは、そこまで不味いものではない。なにより、喉越しがよくて芳醇な苦みが気分を和らげてくれる。

 だが、先程からの緊張感は続いていた。

 二人の会話を見守りつつ、ヤイバはブランシェの寝るベッドに腰掛け干した果実をかじる。ぶどうのような、あんずのような、見たこともないフルーツだった。


「さて、そろそろ寝ましょうか。ヤイバ君」

「ちょい待ち! チイたん、なんでさも当然のように」

「幼馴染ですから。小学校三年生くらいまではどこでもなんでも一緒でしたし」

「くっ、幼馴染マウント! 卑怯だし……うう、でも、それが、いいのかも……?」


 ベッドは二つ、人数は四人。

 自然と、誰かが誰かと同衾することになるのだ。

 ヤイバはそこまで考えてなかったが、ビールを飲み終えたらなんだか思考能力が低下してきた。まぶたが重くなって、怒涛の一日がもたらす疲労に眠くなってくる。

 それでも、年頃の少年少女がというのは、なにか間違いがあってはいけない。


「あ、じゃあ僕はブランシェの隣で寝るから。おやすみ」

「え、あ、ちょ、ちょっとお!? ヤイバっち!?」

「私はまあ、構いませんけど。では、カホルさん。私たちはこっちで」

「チ、チチチチチッ、チイたん! ……え、あ、んと……ええーっ!?」


 そんなに大騒ぎになるようなことだろうか?

 まあ、とりあえずヤイバはそっとブランシェの横にもぐりこむ。

 ぐっすり熟睡してるようで、自分もすぐにそうなると思った。

 チイが天井のランプを消して、衣擦れの音が密やかに響く。防具は既にしまって普段着だが、スカートと上着くらいは脱いだのだろう。

 すぐに睡魔が襲ってくる。

 かに思われたが、不思議とヤイバの頭脳はまだ考えるのを止めていなかった。


「……コノ世界の何処かに、イクスさんが。どうやって探せば」


 既にエルフは種として途絶えた世界である。

 魔王討伐から十年、厳密にはまだどこかにひっそり暮らしてるのだろうが、絶滅が確定された亜人たちをどう探せば? 

 むしろ逆に、キルライン伯爵を探す線で進めたほうがよさそうだ。

 あの環境活動家、という名のテロリストは、こっちの世界でも有名だとありがたい。

 そんなことを考えていると、小さな声が耳元に忍び込んでくる。


「あ、あのさ、ヤイバっち。……起きてる?」

「ん、寝てる」

「起きてるじゃん! ちょ、ちょっとさ」

「どしたの? あ、場所代わる?」

「それは駄目! いや、なんていうかさ」


 カホルもどうやらまだ眠れないらしい。

 それで、ヤイバは幼少期のことを思い出した。


「ヤイバっち……チイたん、さ。めっちゃ抱きついてくるんだけど」

「うん、知ってる。小さい頃から寝ると抱きつき癖があるんだ」

「物凄い力でひっついてくるんだけど! ちょ、ちょっと、あーし、その」

「まあ、湯たんぽみたいなものだと思って寝るといいよ」

「無理! 絶対無理! だ、だって……」


 チイは昔から、一人寝を嫌がる子供だった。

 それでいて、一緒に寝ると必死になって抱きついてくる。抱きつくというよりは、しがみついてくる。小さな頃から何度も、ヤイバは抱き枕扱いを受けてきたのだった。


「チイの家は両親が共働きでね。しかも、海外で長期間家をあけるから……僕の家にいることも多かったよ」

「そ、そうなんだ。……ねね、もっとチイたんのこと教えてよ」

「それは本人に聞けば」

「だっ、駄目だって! ……恥ずかしいじゃん」


 ちょっとなんだか、よくわからない流れになってきた。

 密やかに行き交う囁きの中で、カホルがこっちを向いている。その背中に、べったりとチイが張り付いていた。三つ編みをほどいた彼女は、バッチリ眠っているらしい。

 半ばッ拘束されるような形で、カホルは暑いのか頬を赤らめているのが見えた。

 小さな窓の星あかりが、闇の中で狭い部屋を照らしている。


「チイの家はなんか、割りと厳しい感じだったんだよね。厳格なご両親で」

「えー、でも親はどっちも仕事に全振りなんでしょ?」

「うん。でも、悪い人たちじゃないと思うけど」

「それでチイたん、ヤイバっちの家に入り浸りだったんだ……なにそれ、ギャルゲ?」

「いやまあ、そんな感じ。母さんも好きで面倒見てて、兄妹みたいだったよ」

「逆っしょ、姉弟じゃない?」

「……そ、そうかも」


 チタンの女、鋼の学級委員長……言祝チイ。

 クラスでは男子に人気ながらも、誰一人として鉄壁の態度に萎えてしまう。アタックした強者もいると聞いていたが、あまりにも平然と冷静に断られてショックをうけてしまうらしい。

 少々堅物で規則に厳しいが、割りとヤイバの前では砕けた別の顔を見せることもあった。

 そんな彼女が我が家にやってきたのは、何歳の時だったか。


「やっぱそうだよねー……チタンの女、かあ。ふふ、なんか格好いいじゃん?」

「とにかく、昔から律儀でルールにうるさかったからね。真っ直ぐ過ぎるのかな」

「そう! そうなの! チイたんさ、毅然としてて格好いいし」

「まあね」


 もしもあの時、あの瞬間……チイがいてくれたら、止めてくれただろうか。

 ガキっぽい女性への侮辱に対して、ヤイバはさらに子供じみた手段で報復した。

 カッとなって殴ったのである。

 自分でも驚くくらい、力いっぱい殴った。

 それ以来気まずくて、学校には行っていない。

 でも、毎日チイが来てくれるし、勉強だって遅れを取ってはいなかった。

 寝返りをうったブランシェから少し離れて、ベッドの隅でヤイバは考える。


「あ、あのさ……ヤイバっち。もしかして、もしかしてだよ?」

「うん」

「喧嘩したの、あーしが原因? あ、ほら、あーしってばこういう見た目だし。不良? ではないつもりなんだけどー、JKって色々忙しいっしょ」

「……僕はただ、根拠のない噂が赦せなかっただけだよ」

「あーしが男遊びの激しい、その、ビ、ビッチ? な女だって?」


 カホルはハワイアンとのハーフで、今風に言えばダブルってやつだ。褐色の肌に発育のいい肉体、金髪に勝ち気な美貌の持ち主である。ヤイバの記憶では、いかにもギャルギャルしいが悪い娘ではないと思っていた。

 授業もよくサボるし、誰とでも仲がいいが決して打ち解けたりはしない。

 見えない壁で自分の領域に、絶対に誰も踏み込ませない印象があったのだ。

 今はそれが、ほんの少しだけ和らいでいるように思える。


「そりゃ、あーしは不真面目で、チイたんとは真逆で……き、嫌われても、さ。しゃーないじゃん? まあ」

「そうでもないんじゃない? チイは昔から、うわべで人を見ないやつだよ」

「そ、そっかな。ねえ……あのさ。友達として、とか、幼馴染だからーとかじゃなくて」


 突然、カホルが小さな声をさらにひそめた。

 小さな隙間を挟んだ向こうのベッドで、彼女の青い瞳が輝いて見えた。


「ヤイバっち、チイたんのこと好き? てか、好きっしょ」

「……んー、ノーコメントで」

「それなし! 秘密にするし、誰にも言わないし! ……ねね、あーしにだけ教えてよ」

「姉気取りの妹がいたとして、それが恋愛対象になるかなって話なんだけど」

「……そゆもんなの?」

「そゆもんですよ。さあ、そろそろ寝よう。明日から異世界大冒険だしね」

「あ、ちょっと! ヤイバっち!」

「おやすみ、カホル」


 友達といてじゃなく、幼馴染でもなく。

 そうやって外堀を埋めた上で問われたら、答えようがなかった。

 ただ、眠りに身を委ねても、カホルの問が脳裏でグルグル回っていた。

 恋愛対象として見たことは、実は一度もない。

 チイはどちらかというと親友で、家族だ。

 あっちがどう思ってるかはわからないが、少なくともヤイバにとってチイとはそういう存在なのだ。生真面目な姉貴面を気取ってるが、妹のように思える少女。


「まあ、嫌いじゃないのは当たり前として」

「なに! なになにヤイバっち!」

「なんでもないってば。おやすみって言ったでしょ」

「あ、あーしはいるよ、好きな人……だから気になってんじゃん」

「それは素敵なことだね。さ、いい子だから、もう、寝、て」

「ちょ、ちょっと! ヤイバっち! もぉ、ばかー!」


 ようやく睡魔が仕事をしてくれたらしい。

 ヤイバは静かに意識が夢へと落ちてゆくのを感じた。

 そのまま眠れば、久々に幼少期のチイとの暮らしを夢に見るのだった。

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