第37話

 後片付けは深夜までおよんだ。

 ヤイバの住む都牟刈邸は、居間を中心に散らかりまくっていたのだ。

 そしてその景色に、イクスの姿はない。

 手伝ってくれるチイやカホルも、言葉少なげにもくもくと手を動かすだけだった。


「これでよし、と。……さて」


 ちゃぶ台をもとの場所に戻し、ちらりと庭を見る。

 月明かりに浮かぶその場所には、もう魔法陣も光の柱もない。

 本当にイクスは、キルライン伯爵とともに元の世界へ帰ってしまったのだ。

 ポンと肩に手を置いてくるカホルも、静かに首を横に振った。


「ヤイバっち、あーし今……同じこと考えてるよん?」

「カホル」

「勿論、チイたんもね。ただ、どうすればいいのかがわからない? みたいな?」

「それはそうだね、だって」


 ヤイバたちには、異世界へと移動する手段がない。

 禁術でもある、世界線の移動魔法はイクスしか使えないのだ。

 そう思っていた、思い込んでいた。

 だが、ふとなにかが引っかかって思考に迷いが生じる。

 それを言葉にしたのは、チイだった。


「あの、ヤイバ君。お忘れかも知れませんが……イクスさんを追って、伯爵が現れたんですよね?」

「うん。なんか、飛空艇? 空翔ぶ船に乗って」

「つまり……イクスさんの魔法以外にも移動手段があるのでは?」

「あの飛空艇は木っ端微塵になってしまったけど……あ」


 ふと、思い出した。

 それは、奥の部屋からキーパーソンたる少女が現れるのと同時だった。

 母のミラに連れられ、着替えを終えたブランシェの姿があった。

 そう、いくばくかの魔法をイクスから奪った彼女は、最初から一つだけ禁術を盛っていた。伯爵が執念と妄念をもって、異世界の隅々を調べて得た唯一の魔法だ。


「……そうか、ブランシェは異世界を行き来する召喚魔法を使える」

「ええ。彼女は身に受けた魔法を奪う体質です。異世界へのゲートを抜けたということは、彼女自身がその魔法を得ている可能性が」


 ダークエルフの少女は、ヤイバを見てきょとんと小首を傾げる。

 以前、伯爵は行っていた。産業革命と同時に環境が悪化してゆく異世界において、イクスの手でありとあらゆる魔法が消滅した。エルフたち亜人も絶滅し、人間の近代が始まっていたのである。

 そんな時代で、伯爵は小さな痕跡の数々を拾い集めた。

 その成果が、禁術の復活……異なる世界線へのゲートを開く魔法である。

 ヤイバはゆっくりブランシェに歩み寄ると、そっと膝に手を当て身をかがめる。


「ブランシェ、僕たちと一緒に元の世界に行ってくれないかな」

「わたしが?」

「君の自由意志を尊重したい。君が望むなら、ずっとこっちの世界で平和に暮らしてもらっても構わない。ゲートを開いてくれれば、同行しなくてもいいんだ」


 これ以上、ブランシェを戦いに巻き込むわけにはいかない。

 なにせ、ようやく伯爵の虐待から解放されたのだ。

 それなのに、その伯爵を追う旅に同行させるのは、それは酷な話だ。

 ブランシェは少し考える仕草を見せて、そして小さな口を開く。


「いい、よ? わたし、またイクスにあいたい。あわなきゃ、いけないの」


 ブランシェは平坦な小声で、もそもそと言の葉を紡ぐ。

 小さなその声音が、不思議と通りよく響いた。


「わたし、イクスにお礼しなきゃ。あやまらなきゃ、いけない」

「……そうだね。イクスさんは許してくれるし、喜ぶと思うよ」

「伯爵に言われるまま、わたしひどいことした」

「償うような気持ちはいらないさ。ブランシェが悪い訳じゃない」

「でも、でも……わたし、ゴメンナサイ、伝えたい」


 話は決まった。

 そしてもう、チイやカホルに言葉を選ぶ必要はない。

 二人共頷くと、無言で同行を申し出てくれた。

 だが、そこに口を挟む者が一人だけ。


「ちょいまち、ヤイバッ! ……異世界に行くって意味、本当にわかってる?」


 母親のミラだ。

 ブランシェには白いワンピースを着せてくれたくせに、まだ下着姿である。

 家でのデフォルトになりつつある姿だが、その表情は真剣そのものだ。


「みんなも、落ち着いて聞いて。……異世界では、あっちの世界では、十倍の速さで時間が進む。あっちに半年いれば、こっちでは五年が経過するのよ?」


 そう、現にミラが戻ってきてから20年が経過し、イクスたちの世界は200年後だった。

 父ツルギと共に、ミラが異世界に召喚されて、イクスと魔王退治の冒険をしたのが数ヶ月。それが、こちらの現実世界では数年の失踪事件となっていたのだ。

 つまり、ことと場合によっては……ヤイバたちは今という時代に戻ってこれない。


「もうすぐユグドラシル計画が始まって、人類は数年かけて月に移住するわ。マイナンバーカードの普及とかもあって、作業は迅速に進む。だから」

「最悪、戻ってきた時にはもう、地球には誰もいない?」

「そういうことよ、ヤイバ。みんなもよく考えて」


 向こうの世界で環境破壊が始まっているように、こちらの世界もまた地球は限界を迎えつつあった。大いなる生命のゆりかごは今、揺れる都度ほつれて壊れてゆく。それを止めるためには、人類はもう母星たるこの地にいてはならないのである。


「Earth Life Force……エルフたちに見守られて、何万年もかけて地球は再生の眠りにつく。そりゃ、子供が三人いる程度じゃ、地球環境には影響なんてないけど」


 ミラは躊躇ったが、慎重に言葉を切った。


「今、異世界に行けば……もう、あたしはヤイバたちに会えなくなるかもしれない。みんなも、家族や友達に会えなくなるかもしれないのよ?」


 確かに、その可能性はある。

 あちらでイクスの救出にニヶ月かけるとすれば、こちらの世界ではニ年以上が経過する。

 手間取るようなら、戻ってきた時は他の人間は全員お月さまだ。

 だが、ヤイバに迷いはなかった。


「それでも行くよ、母さん」

「やっぱ? はぁ、そういうとこは父親似なのよね、あんた。みんなは?」

「そう、チイもカホルも。こんなことに付き合う必要はないよ。勿論、ブランシェも」


 だが、即答が返ってくる。


「私も同行します。幼馴染ですので。少なくとも、ヤイバ君を一人にはさせられません」

「などと言っておりー? あーしも右に同じく? ……チイたんが行くなら、あったりまえじゃん!」


 そして、そっとブランシェが手を握ってきた。

 そんな彼女の黒い肌に、魔法の刻印が小さく光り出す。

 イクスと違ってわずか数個……だが、平らな胸に光る禁術は間違いなく異世界同士を繋ぐ魔法だった。


「ヤイバ、わたしも行く……あの世界に帰る。もう、これ以上……こっちの世界に酷いことしたくない」

「それは伯爵が。ブランシェはなにも」

「魔法は、持ってるだけで色々な人を狂わすの。この世界には、あってはならない術」


 話は決まった。

 そして今は、準備する時間も惜しい。

 急いで伯爵を追いかけ、イクスを救出しなければならなかった。


「じゃ、母さん。ちょっと行ってくるよ」

「……止めても無理なのよねえ、これ。ツルギがそうだったもの」

「ごめん、なるべく月への引っ越しには間に合うように帰ってくるつもりだけど」

「ん、そうね。ならあたしも……まあ、なるようになるかー! あはは」


 こういう時に湿っぽくならないのが、ミラという母親だった。

 彼女はポンポンとヤイバの頭をなでて、そして抱きしめる。


「気をつけて行くのよ? あたしがツルギと行った時代から200年経ってて、もう魔王もエルフもドワーフもいない。そんな異世界に、第二の魔王を生み出してはいけないわ」

「わかってる、それに」

「それに?」

「イクスさんの余生を、あんな男の自由にさせちゃいけないんだ」


 そっと母親から離れると、ヤイバはブランシェに向かって大きく頷く。

 ブランシェは庭に降りて、巨大な魔法陣を広げた。

 先ほどと同じく、光が夜空へと屹立した。


「おーし、いっちばーん! 先に行くよん? ヤイバっち! チイたんも!」

「あ、カホルさん。そんな気楽に……ふふ、かないませんで。では、私も」


 すぐに二人が輝く魔法陣の中に消えた。

 二人にも家族だっているだろうし、親しい友だちもいるはずだ。

 それなのに、戸惑い躊躇う素振りをまったく見せなかった。

 そうした感情を飲み込み、迷う時間から逃げるように旅立ってしまった。勿論、それを追うヤイバも躊躇はない。


「じゃ、母さん。行ってきます」

「はい、いってらっしゃい。ブランシェちゃんも、またね」

「うん。さ、ヤイバ……こっちに」


 ブランシェに手を引かれて、ヤイバもまばゆい光に歩み出す。

 一度だけ振り向いたが、涙を拭ってミラは笑ってくれた。

 そして、ついに異世界での大冒険へとヤイバは飛び込んでゆくのだった。

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