第36話

 夕闇迫る逢魔が時、ヤイバは握るナイフを焦りに震わせた。

 適当に何本かもらってるのだが、どれを使ってもブランシェの拘束を断つことができない。どれも魔法の加護が複数入り混じる業物だというのに、全く歯が立たないのだ。

 カホルも腕力で無理矢理引き剥がそうとするが、ブランシェを苦しめるだけだ。

 その時ふと、チイが弓を片手に身を寄せてきた。


「ヤイバ君、あれを使ってみてはどうでしょいうか」

「あれって……あ!」

「なんか、御札でグルグル巻きになってたナイフがあった筈です」

「あの、露骨に封印されてます感のやつね。ええと、確か」


 まだ試していないナイフがあった。

 ちらりと背後を見れば、伯爵と対峙するイクスはどうやら余裕がないようだ。着替えたミラも、二人の間に割って入れずに立ち尽くしている。

 そうこうしているうちに、ヤイバは腰の背後から例のナイフを取り出した。

 みるからに禍々しく、幾重にも呪符や御札で封印されている。アニメやゲームだったら、絶対に「使ってはいけない呪いのアイテム」だ。だが、今は躊躇している暇も惜しい。

 ヤイバはすぐに、特別な贈り物の包装紙を乱暴に破り散らかす。


「……あれ? 割りと普通のものだな」

「ヤイバっち、呪われたりしてない? 大丈夫?」

「なんか、他のナイフよりむしろ、なんでもないというか……試してみる、けど」


 切れた。

 今まで皮とは思えぬ強靭さでブランシェを締め上げていたベルトが、あっさり切れた。なんでもない、とても簡素な装飾のナイフでだ。なるほど、封印されているからには理由があるのだろうが、信じられないほど簡単にスパスパと拘束が千切れてゆく。


「凄い切れ味だ。……ん? あ、あれ?」


 ブランシェを助け出し、抱きかかえるためにナイフを一度ちゃぶ台に突き立てる。

 はずだった。

 だが、真っ直ぐ切っ先を木の板に向けて下ろせば、カツン! と弾かれ刺さらない。

 とりあえず放っておいて、開放されたブランシェをチイとカホルに任せる。

 そして、ヤイバは急いでイクスの隣に立って、前に出る。

 彼女を庇うように立てば、伯爵の傲慢極まりない声が愉快そうに響いた。


「おやおや、少年……我輩とイクスロール様の間に入るでないわあ! 子供の出る幕ではないと言っている!」

「そうじゃ、少年。下がっておれ……ワシはここで、やつとの決着をつけねばならん!」


 伯爵は当然として、イクスにも怒られるとは思わなかった。

 語気をやや強めて、もう一度イクスは「下がるんじゃ」と言葉を切った。

 だが、それでもヤイバは一歩前へ出る。

 全身の防具に備え付けられたナイフを、適当に二振り抜き放つや、逆手に構えて呟いた。


「伯爵、悪いけどイクスさんは渡せない」

「貴様、イクスロール様の価値がわからんのか? 偉大なるスペリオール、全ての魔法が収められた生きる魔導書。この世で最も美しく、我輩を魅了してやまない高貴な存在」

「イクスさんは物じゃない。……それと、伯爵。ちょっと忘れてないかな?」


 ちらりとイクスを肩越しに振り返り、ヤイバは言葉を続ける。

 そう、徐々に暗く星を並べ始めた空に今、光が立ち上がっていた。

 それは、庭に広がる魔法陣の輝きだ。


「イクスさんはブランシェを連れて、帰ろうとしてたんだ。つまり」

「はっ! そ、そうじゃ! よう思い出した、少年! 伯爵、そこになおれ……今すぐ元の世界に送り返してくれようぞ!」


 そう、今まさに伯爵の足元にそれはあった。

 イクスが帰還するための、転移魔法だ。世界線を超えて別次元の異世界へと移動したり、異世界のなにかを召喚する禁術……特に後者として使う場合は、運頼みの召喚ガチャである。異界の魔神が出るか、それとも異次元の悪魔が現れるか。

 だから禁術なのだが、それを使ってイクスは帰ろうとしてたのだ。


「さらばじゃ、伯爵。先に帰って反省するがよいぞ! 第二の魔王になるなど、このワシが許さん!」


 イクスから苛烈な光がほとばしる。

 同時に、魔法陣はいよいよ輝きを増し、空へと道が開かれた。

 屹立する光の柱に、伯爵が吸い込まれてゆく。


「なんと、ぬかった! イクスロール様、お待ちを! 我輩の話を、どうか!」

「お主と話す舌など持たぬ! あーもぉ、キモいキモい、キモいんじゃああああああ!」


 嫌悪感も顕なイクスの絶叫と共に、伯爵が光に吸い込まれてゆく。

 だが、完全に転移魔法に飲み込まれたかと思われた伯爵は、まだまだわめきながら足掻いた。例のステッキが鎖鎌のように変形して、イクスへと伸びてくる。

 咄嗟に身を挺して守ろうとしたヤイバだったが、現実は逆だった。

 狙われていたのは、ヤイバの方だったのだ。


「少年、危ないっ!」


 咄嗟にイクスが、杖を構えて眼の前に飛び込んでくる。

 守るはずが守られて、これではあべこべだ。

 独蛇のようにうねる鎖が、イクスの杖に絡みつく。そして、その先で鎌首をもたげる白刃が翻った。それはあろいことか、イクスの額を切り裂く。

 鮮血が舞う中で、イクスは徐々に転移魔法の光に引っ張られていった。

 慌てて手を伸ばすヤイバだったが、両手がナイフで塞がってる。それをかなぐりすてた時にはもう、イクスは踏ん張りきれずに宙を舞っていた。


「イチチ、足腰が……っていうか、女の顔に傷をつけるなぞ、よくよく救えぬやつじゃ!」

「ああ、イクスロール様! さあ、こちらへ……その血は我が口づけにて拭いましょうぞ!」

「じゃから、そういうとこがキモいんじゃ! ……キモい、便利な言葉じゃなあ。と、ととっ、おお? あわわ、吸い込まれていきよるわ!」


 伸ばしたヤイバの手が虚空を掴む。

 そのままイクスは、伯爵と共に消えた。

 そして、転移魔法の光が細く弱くなって、最後には地面の魔法陣と一緒に消える。

 伯爵を元の世界に戻すことには、どうやら成功したようだ。

 しかしその代償として、イクスも同時に連れ去られてしまった。

 愕然として、ヤイバはその場に崩れ落ちる。

 すぐにチイとカホルが駆け寄ってきた。


「ヤイバっち! 大丈夫、イクスんは強い女じゃん?」

「今はとにかく、ブランシェちゃんを……ヤイバ君?」


 守れなかった。

 本当に守りたかった人を、救えなかった。

 あろうことか、狂気の偏愛に燃える男に渡してしまったのだ。

 恐らくイクスに命の危機はないだろう。だが、3,000年生きて初めての、人生最大の屈辱を受けるかもしれない。伯爵に辱められることを想像するだけで、血潮が沸騰する。

 思わずヤイバは、握った拳で地面を叩いた。

 あの時と同じだ。

 もはや名も忘れたクラスメイトの言葉に、あっさり暴力をふるったあの時と。

 自分の中の短慮な子供っぽさが、今にも爆発しそうだった。


「くっ、僕は! どうして、あの時! 伯爵にはわかってたんだ……僕を狙えば、イクスさんが庇うと。下がれって言われたのに、僕が前に出るから!」


 悔しさに視界が滲む。

 既に日は落ち、夜の帳が周囲を包んでいた。

 そこにはもう、祖母のように温かなイクスの笑顔がない。

 だが、涙をこらえるヤイバは突然、襟首を掴まれた。そのまま吊るされるように立てば、眼の前にカホルの瞳が燃えていた。


「ヤイバっち、そういうのいいから! 今、ヤイバっちが折れてどうすんの!」


 カホルの目もまた、涙に潤んでいた。

 その真っ直ぐなまなざしから、思わずヤイバは目をそらす。

 そう、今は泣いてる場合じゃない。

 それを一番わからせてくれたのは、カホルともう一人。


「カホルさん、手を放してあげてください」


カホルが手を放すや、再びヤイバは倒れそうになった。が、なんとかその場に思いとどまる。そうだ、今折れてはいけない……まだへたり込んでは駄目だ。

 そう思って立つヤイバの前に、入れ替わるようにチイが立つ。

 瞬間、バチィン! と夜気が引き裂かれた。

 頬が熱くて、それが痛みだとわかった時には抱き締められていた。

 カホルが悲鳴をあげたような気がしたが、ただただチイの抱擁が柔らかかった。


「目が冷めましたか? ヤイバ君」

「あ、ああ、うん」

「昔から気持ちが少し弱いですね。もっと、しゃんとしてもらわないといけません」

「よく知ってるんだね。……ありがとう」

「幼馴染ですから」


 十年以上一緒の幼馴染だったからだ。

 だから、チイには多分ヤイバへの気合の入れ方が熟知できているのだ。

 励ましてくれてるんだと思ったら、やっとヤイバは気持ちが落ち着いてきた。

 そっとチイから離れると、周囲を見渡しいつもの冷静さを取り戻す。


「チイ、カホルもありがとう。どうにかして、イクスさんを助ける方法を考えなきゃいけない。手伝ってくれるかな?」

「勿論です、ヤイバ君」

「かしこま! あーしもやってやんよー!」


 状況は絶望的だが、なにかをヤイバは忘れているような気がした。

 なにか重要な……一発逆転とまではいかないが、イクスを救出するためにいちばん大事なことを知っているような。覚えているような、忘れているような。

 しかし、まずは一件落着と見て、声をかけてきたのは母のミラだった。


「よしっ、少年少女よ立ち直れ! あと、この子になにか着せてあげないとね。裸はよくないわよ、やっぱ。女の子だし、ちゃんと服を着なきゃね」


 そう言ってミラは、気絶したブランシェを抱き上げる。

 え、それは母さんが言うの? とヤイバは思ったが、チイもカホルも同じことを思っているようで、フラットな無表情になってしまったのだった。

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