第30話

 ハチャメチャな日曜日が終わって、週の頭の月曜日。

 勿論、不登校をキメてるヤイバには全く関係のない毎日だ。

 昨夜は流石に少し疲れたし、何故か妙にトイレが近かった。そのことを朝食後に問いただしたら、イクスは食後のお茶を飲みながらあっさり口を割った。


「……そゆの、やめてくださいよ」

「いやあ、いい手じゃと思ったんじゃが」

「禁術、なんですよね? 禁忌の魔法なんですよね?」

「ま、まあ、のう。……オネショよりよいじゃろ?」

「どっちもどっちです!」


 そんな訳で、ヤイバは恐らく人類で初めて「美少女ハイエルフババァの漏れそうな尿を瞬間移動の魔法で直接膀胱にワープさせられる」という、希少かつ奇っ怪な経験をしたのだった。

 まあでも、それもいいかと思うし、そこまで怒ってない。

 こういう話はデリケートだし、おむつの強要もしたくない。

 ただちょっと、自分が変な性癖に目覚めてしまわないかだけが心配だった。

 そうこうしていると、母親のミラがスーツ姿でバタバタと家を出ていく。


「いってきまーす。ヤイバ、イクスのことお願いねー?」

「うん。いってらっしゃい」

「あーもぉ、今日も多分残業確定……あ、そうだ! 今日ね、お昼の緊急放送見てね。政府広報で全部のチャンネルが13時から緊急放送になるから」


 それだけ言い残して、ミラは慌ただしく出勤していった。

 緊急放送……政府広報?

 そういうのはちょっと、見たことがない。

 少し昔に東日本を大震災が襲って、ずっと同じコマーシャルが流れ続ける状況だったというのは、動画サイト等で見て知っているのだが。


「なんだろ、緊急放送って。……ま、見ればわかるか。イクスさん、お茶のおかわり、どうです?」

「おおう、頼むぞよ少年。ハァ、こっちの茶も五臓六腑に染み渡るのう」


 にっぽりと笑顔でイクスがお茶を飲む。

 確かにちょっと、おばあちゃんっぽい。

 だが、見た目だけはうら若き乙女なので、その違和感がなんだかおかしかった。

 そして、彼女は今日はなにをして過ごすかというと――


「そういえば少年、昨夜の車椅子はどうしたんじゃ?」

「ああ、あれですか。チイの家から借りましたけど。……あとで返しにいかなきゃ」

「ワシも足腰が弱ってしまってのう。でも、まだ杖があれば大丈夫じゃ」


 ホームセンターで買った、高齢者がよく使ってる普通の杖だ。

 魔力を増幅したり、特殊な高価を持つ杖も沢山持ってるらしいが、あいにくとこちらの世界では戦いらしい戦いは一つしかない。出歩くなら普通の杖が一番便利だそうだ。


「そういえば、伯爵の杖は随分厄介ですよね」

「んむ、あれぞ科学よ。機械仕掛けでな……ワシはああいうの苦手じゃ」

「なんであんな凄い技術持ってるのに、魔法を欲しがるんですかね」

「根本的に全く違うものの、科学はこれからの時代のもの、魔法は今までの時代のものじゃが……確かに今なら、奴は魔法を得て第二の魔王になるじゃろうな」


 とんでもなく迷惑な話だ。

 だが、そんなことはさせない。

 そのためにも、なんとしてもイクスを守らなければいけない。そして、それはそれとしてお客様なので、できるだけもてなして毎日楽しく過ごしてほしい。

 彼女はテレビのチャンネルを少し難儀して切り替えると、最近ハマってる朝の連続テレビ小説を見始めた。


「じゃ、イクスさん。僕はちょっと勉強を済ませてしまいますので」

「ん? ああ、部屋に戻るのかや?」

「ええ。午前中はなるべく自習することにしてるんで」

「……こ、ここでもよくないじゃろか」

「まあ、はあ。じゃ、ちょっとアレコレ取ってきます」


 朝の自主学習はヤイバの大事なルーティーンだが、たまには居間でやってもいいだろう。気が散るということもないし、いつもイクスはおとなしくテレビを見たり、新聞を読んだりしている。


「老眼とかは、まだないのかな」


 などと一人ごちて、自室から勉強道具を持ち出した。

 そして居間に戻ると……あまりにも耽美な光景が広がっていた。

 イクスが、泣いていた。

 その真紅の瞳から、涙が溢れ出ている。

 なにごとかと思ったが、まるで一枚の名画を見てるような気持ちで、咄嗟にヤイバは動けない。それでも駆け寄れば、気付いたイクスが両手で涙を拭う。


「どうしたんですか、イクスさん」

「少年……じ、実はのう」

「どこか痛いとこがあるとか? どうしよう、エルフって人間のお医者さんでいいのかな」

「ああ、そうではない。そうではないぞよ? ……生きておったのじゃあ」


 イクスはハンカチを取り出して、さめざめと泣いた。

 なにかと思えば、テレビドラマの話らしい。丁度、画面の中では感動の再会シーンが広がっていた。確か、戦争で死んだと思っていた恋人が、戦後に帰ってくる的な話だった気がする。

 ヤイバは毎朝見てるわけではないが「まあ生きてるだろうな」くらいの気持ちだった。

 でも、心底ドラマに感情移入するあまり、イクスは感動で泣いてしまったようだ。


「うう、よかったのう。ずっと心配じゃった、先週から気になっておったわい」

「それはまあ、よかったですね」

「うんうん、本当によかった……ちと、昔を思い出してしまったわい」


 ヤイバがテッシュの箱を差し出すと、そっと手に取りイクスは鼻をかむ。チーン! と元気よくすっきりして、ようやく彼女は笑顔を取り戻した。

 だが、昔を思い出したと聞いて、流石にちょっと気になる。

 はたして、3,000年生きているという人生は、どれだけの別れを経験してきたのだろう。

 それを聞くのは野暮かなと思ったが、不思議とヤイバは気になった。

 イクスの過去が、少しだけ知りたい。

 世界を救って、世界に居場所のなくなった最後のエルフ……そんな彼女の人生は、物語というレベルを通り越してもう、神話みたいなものだろう。


「昔、ツルギやミラを呼んで魔王を討伐するより、ずっと前……大きな戦争があったのじゃ」


 ふと、イクスの目が遠くなる。

 ――魔導戦役。

 それが、遠い過去の悲劇の名だ。

 魔法という技術が世界中に行き渡った時、人間たちが最初に始めたのが戦争だった。そして、魔法は戦争のありかたを根本的に変えてしまったのだ。


「当時はのう、新しいオモチャを手に入れた赤子のように人間たちははしゃいでおった」

「……身につけたからには使いたくなる、ってやつですかね」

「そうじゃな、少年。傷も魔法で癒せるなら、怪我を恐れず戦うようになる。炎は敵を焼き、雷は城塞を粉々に砕いた。それはもう、見るも無惨な大戦争でのう」

「ああ、じゃあ……その、魔法の黎明期は大変だったんですね」

「んむ」


 穏やかなイクスの横顔に、寂しい微笑が浮かぶ。

 こちら側の人類だって、文明の歴史は戦争の歴史でもある。

 いきなり魔法という便利な力を得た時、人がなにを企てるかがヤイバにもよくわかった。

 あのキルライン伯爵の執着を見ると、妙に実感できるのだ。

 今でも、魔法を復活させれば世界を変えられると思っている。

 変わり終えた時代を巻き戻そうとしているのがあの漢なのだ。


「ワシは弟子をあまり取らんたちでな。じゃが……ツルギの前に何人か、兄弟子がいるにはいたのじゃ」

「へえ、じゃあ……あ! まさか」

「誰一人帰ってはこんかったよ。戦争じゃもの、なあ」


 当時から高レベルのハイエルフだったイクスの魔法は、それはもう物凄いものだった。その時点で彼女は全ての魔法を習得していたが、数千年かけて生み出された全ての呪文を身に刻み、スペリオールと呼ばれるのはもう少しあとの話である。

 そんなイクスの下に、教えを請いに集まる者たちはあとを絶たなかった。

 基本的に断っていたが、何人かは見込みがあるので教えを授けたという。


「力は人を変える。良くも悪くも、のう」

「魅入られれば、伯爵みたいにもなるってことですね」

「そうじゃ。はは、馬鹿弟子どもめ……人間の寿命は短い。その貴重な時間を戦争ですり減らし、時にはワシの弟子同士で戦い殺し合って……誰一人天寿を全うできなんだ」


 そしてイクスは、弟子を取るのをやめた。

 人との関わりも、数百年ほど経ったという。

 その間にも何度か動乱があって、魔法が学術的に体系化した時点で……絶対に使ってはならない13の禁術が指定された。それも全て、イクスの肌に刻み込まれたのである。


「そのあとはの、嫁いで夫婦になったこともあったが……ワシには妻も母親も務まらなんだ。っていうか、エルフは基本的に夫婦生活が淡白でのう」

「あー、なんか潔癖というか、凄く清廉潔白な折り目正しい生活というか」

「それもやめて、人間との結婚生活もやってみたぞ? その時は何人か子をなしたが、人間もハーフエルフも寿命が短い。結局また、一人になるのじゃ」


 そんな中で、ゆるやかにエルフたちは衰退していった。

 それなのに、同じ種族であるダークエルフを迫害し、滅ぼしてしまった。

 魔王が現れたのはそんな時で、数少ないダークエルフたちは救いを求めて魔王の軍勢に参加した。人間に乱獲されたり、貴重な甲殻や鱗のために狩られるモンスターたちもだ。

 そして、イクスは初めて禁術指定された禁忌の術、転移召喚魔法を使ったのである。


「我が最後の弟子、ツルギ。その妻、ミラ。なんじゃろうなあ、一年にも満たぬ旅のほうが、何千年も前の夫婦生活や戦争時代よりよく覚えておる。楽しかったんじゃな」


 ようやくイクスは「つまらない話をしてしまったのう」と笑う。

 悠久の刻を生きて生き抜き、もうすぐ生き終えようとする老婆の笑みだった。

 見た目の可憐な若さが、少しだけヤイバには翳って見えたのだった。

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