第29話

 深夜の帰宅後、ヤイバは居間に正座させられた。

 勿論、チイやカホルも一緒である。

 そして、三人の前には腰に手を当てフンス! と怒りも顕なイクスが立っていた。既に、ヤイバが勝手に持ち出したいつもの服に着替え終えている。

 やがて、ハァと胸をなでおろすようにイクスはため息を零す。


「ふぅ、キモを冷やしたぞよ? 少年、チイもカホルも、年寄を心配させるでない」


 とはいいつつも、杖でポコン! とヤイバの頭を叩く。

 ポコン! ポコン! と、チイとカホルも順に打たれていた。

 痛くはないが、今になってヤイバも申し訳なくなってきた。上手くいくとふんでの独断だったが、かえってイクスを心配させるハメになってしまったのだ。

 そして、またも目にした。

 恐るべきイクスの魔力の一旦……やはり彼女は、偉大な大魔導師なのだった。


「しかし、伯爵……なんじゃ、あれは。ワシの写真や絵を大量に」

「ストーカーっていうんですよ、こっちの世界じゃ」

「うう、なんだか全身にサブイボがが出そうじゃ。こういうの、なんていうのかのう」


 すかさずカホルとチイが応える。


「キモい、じゃん? それって」

「キモいですね、確かに」

「ほう、キモいという表現があるのか、こっちの世界には」

「気持ち悪い、略してキモいですね」


 本当に気持ち悪い。

 ただの環境テロリストで児童虐待の犯罪者だけじゃなかった。

 キルライン伯爵の見せる執着、それはイクス自身にも向けられていたのだった。


「しかし、今夜は魔法を盗られずによかったわい。それに」

「それに」

「少年、勇気は買うが今後はこういうことをしてはいかんぞ?」

「は、はあ。その、ごめんなさい」

「まあ、子供は少しぐらいやんちゃなほうがいいがのぅ。さて」


 3,000歳のイクスから見れば、ヤイバたちは赤ん坊のようなものだ。

 そのイクスが来てくれなければ、今回はやばかった。

 正座を解いていいと言われたので、三者三様に畳の上にへたりこむ。

 明るい声が帰ってきたのは、そんな時だった。


「たっだいまー! って、ありゃ? なにしてんの? チイちゃんもカホルちゃんも、こんな夜遅くに」


 母親のミラだ。

 彼女は昼間のイベントのあと片付けて、ようやくの帰宅という感じだ。

 既に時間は10時をまわっていて、夜も更けてきたばかりである。

 さっそくミラの夕食を用意しようとして、足が痺れてヤイバはずっこけた。


「あー、外で済ませてきちゃった。あのあと大変だったのよー、もー」

「う、うん。なんだろうね、変な人が出てきちゃったもんね」

「たまにいるのよね……うちの会社、半分国際機関みたいなもんだし。もー、環境破壊が心配ならむしろこっちを手伝ってほしいって感じー。あと、ビールー、おつまみもー」


 ヤイバはなんとか立ち上がると、キッチンへと向かう。

 ワシもワシもというから、缶ビールとグラスを二つずつ出した。チイとカホルと自分は麦茶で、できあいのものを適当に小鉢にいくつか盛り合わせる。

 カホルの声がしたのは、それら全てをトレイに乗せて戻った時だった。


「でも、あの、イクスさん」

「ん? なんじゃ?」

「なんで瞬間移動の魔法が禁術なんですか? 便利でいいと思うんですけど」

「おうおう、それなあ……実は、ふかーい訳があるんじゃよ」


 ヤイバも薄々気付いていた。

 一見して地味で、しかして利便性は大きいように思える禁術、瞬間移動。

 だが、使い方を変えれば恐ろしいことが起こるだろう。

 腕組み唸るイクスにもビールを差し出し、ヤイバは語る。


「チイ、例えば……他者の体内に異物を瞬間移動させるとか、危なくないかな」

「あ、毒とか? それもそうだし、突然火山や深海に相手を飛ばすこともできるわね」

「危険な魔法だよ。ブランシェに盗られなくてよかったと思う」


 そんな話に、ぷはーっ! とビールを一口飲んでミラが混じってくる。


「なになにイクス、久々にワープの魔法使ったの? あれね、20年前はすっごい怒られたよね。やっぱり禁術だったんだ」

「あれ、母さんも知ってるの?」

「そりゃ、召喚された勇者一行だし? あの人も、ツルギさんも使わないようにしてたわよ。だって」


 だって、使い方次第では本当に危険だから。

 てっきり、そういう話がくると思ったのだ。

 だが、ミラの言葉尻を拾うイクスは、いかにも神妙な面持ちで妙なことを言い出した。

 つまり、真実はこうだ。


「ワシが600歳くらいの頃に生まれた魔法じゃよ。しかしのう……当時の海運、運輸関係のギルドが猛反対してのう。こう、誰でも一瞬で大量の荷物を運べるんじゃから」

「あ、それって」

「旅の手伝いを生業としてる者たちも怒ったのなんのって……諸王も民の意見をくんで、禁術指定になったんじゃよ。っていうか、体内に異物? 火山に放り出す? お主ら、よく思いつくのう、そんなこと。……その手があったか」


 極めて経済的な話だった。

 瞬間移動の魔法が普及してしまえば、流通の仕組みは大きく変わるだろう。

 もはや馬車も御者もいらないし、船も水夫も必要ない。

 瞬間移動できる距離や質量は術者の魔力にもよるが、スペリオールの称号を持つイクスや父ツルギなどは、その気になれば魔王城に王国の全軍を一瞬で送り込めたという。

 ただ、それは魔王も同じなので、互いに使わぬ禁じ手とした。

 同時に、多くの民が失業しないよう、瞬間移動は禁術となったのである。


「なにそれ、そんな理由なの!? なんか、もったいないしー」

「でも、確かに大変な話よね」

「どこでもドアがあれば、タクシーも鉄道も、あらゆる交通機関がいらなくなる、と」


 そう、13の禁術の一つ、瞬間移動にはそんな事情があったのだ。

 イクスは他にも、12の禁術を保有している。

 全身に刻印された紋様の中でも、身体の中心線に縦に並ぶものがそうだ。


「まあでも、イクスが瞬間移動で手伝ってくれたら、あたしの会社も楽なんだけどねえ」

「なんじゃ、いかんぞ? 禁術はみだりに使うわけにはいかぬ、ミラ」

「でも、今日使ったんでしょ? なに、まさかヤイバ……危ないことした? チイちゃんもカホルちゃんも、あんましやんちゃしちゃ駄目だよん?」

「いやなに……ついついワシが冷静さを欠いてしまったのじゃ。カッとなってのう」


 あの時のイクスは、正直怖かった。

 いつものふわふわとした、好々婆のような雰囲気は微塵もなかった。

 凍れる殺意、静かなる憤怒に冷たく燃える炎のようだった。

 実際、ブランシェとの魔法戦闘では圧倒的にイクスが強かった。

 氷の魔法も直接ブランシェに当てにいくのではなく、あえて避雷針として使うことで盗まれないようにしていたのだ。そして、瞬間移動の禁術まで使って、一時はブランシェを確保した。

 だが、やはり今日も結局は逃げられてしまったのだった。


「さて、ワシは疲れたから寝ようかのう。あ、その前に」


 イクスは静かにチイとカホルの間に立って、二人と手を繋ぐ。


「こんな夜分じゃ、ワシが送ってってしんぜよう」

「えっ、いえイクスさん。軽々しく禁術を使っては。というか、私はヤイバくんに送ってもらえれば」

「っ! そ、それなー! チイたんの言う通りだし。イクスん、疲れてるんで――」


 瞬間、三人は消えた。

 二本目のビールを飲みながら、ミラだけが「おーおー、行った行った!」と大道芸でも見てるかのように楽しげである。

 そして、数十秒でイクスは一人で帰ってきた。

 二人を家に送り届けてきたという。


「どれ、そういえば玄関の靴を忘れておったわい。ちゃっちゃと飛ばして寝るかのう」


 一度封印を破ったからなのか、随分気安く使ってくれる。

 その後、チイとカホルの靴をそれぞれの家に飛ばして、イクスは寝室へ引き上げていった。

 母のミラには色々と詮索されたが、適当にごまかしておく。

 ミラも少年少女のアレコレには深煎りしないらしく「あ、そう」とビールをあおった。

 放任主義なのもあるが、ミラはこれでもヤイバたちを信用してくれてるのだ。


「前にもね、異世界で一回だけイクスは使ったなー、瞬間移動」

「へえ、そうなんだ。20年前、なにが……?」

「あたしがダンジョンで、でっかい蛇に噛まれてね。それも毒蛇! ガブッ! って。あ、ほら、まだうっすら傷が残ってる。見る? 見ちゃう? ママの勝利の勲章的なもの」

「あ、それはいいです。それで?」

「解毒魔法がきかない、新種の毒だったの。解毒魔法は、その時点で術者が知ってる毒しか治せないのね。それでイクスがダンジョン攻略を一旦中止して」


 一瞬で街までもどったそうだ。

 ヤイバも、その英断は正しかったと思う。今日もそうだ。

 彼女は決して、魔法の使い方を間違わない。故に禁術を含む全ての魔法を任されたのだろう。それは酷な呪いでもあるが、イクスの生来の善性が信用されているのだろう。


「あとにもさきにもそれっきりよ? でも、禁を破ってでもあたしを助けてくれた」

「やっぱりイクスさん、優しいんだね」

「そうね……でも、ちょっとかわいそうなのよね」


 ミラもヤイバと同意見のようだった。

 ともあれ、日曜の夜だしと二人も軽くシャワーを浴びてそれぞれの床についた。

 その夜、突然の尿意に襲われヤイバは何度かトイレに目覚めた。あとから発覚したが……オネショ防止のために、イクスが自分のそれをヤイバに瞬間移動で押し付けていたことが発覚するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る