第27話

 その夜は、とても静かな満月だった。

 母のミラは昼間の大騒ぎの後始末で、今日は会社にこもりっきりらしい。夜はイクスと二人で適当にグラタンもどきなどを食べておいた。ヤイバは家事が得意だが、一流シェフのようなこだわりはない。ざっくり雑に具材をホワイトソースとチーズでチン! すれば、それはもうグラタンでいいのでは? くらいの意識である。

 そして今、彼は車椅子を押して夜の散歩を楽しんでいた。


「イクスさん、ほら見て。今日は満月だね……あ、異世界には月がないんだっけか」


 返事はない。

 だが、気にせずヤイバは進む。

 まだまだ春の夜はひんやりとしてて、ともすれば肌寒い。

 イクスはいつもの服の上から、カーディガンを羽織っていた。

 でも、彼女の服は目立つし、その奥に隠されたトランジスタグラマーな起伏はもっと目立つ。いわゆるロリボインってやつだ。

 ただ、中身はもうおばあちゃんなのだが。


「なんか、コンビニであったかいものでも買って帰ろうか。ちょっとなら、お酒もいいね」


 ヤイバはこうしていると、自分の祖父母を思い出す。

 両親が異世界に行っていた時間は、こちらの世界では半年以上の時間が経過していた。向こうは十倍の時間が流れるので、数年はいた計算になる。

 そりゃ、仲良くなって恋人になるし、戻ってきたら結婚する訳だ。

 そこに勿論、イクスのおせっかいが働いていたことは明白だった。


「ん、そろそろかな……ねえ、そこにいますよね? 出てきてくださいよ、キルライン伯爵」


 近所の公園前で、誰もいない闇へと問いかける。

 等間隔で並ぶ電灯の光も、深夜の公園にはぼんやりとしか届かない。

 それでも、微かな星明かりの下に不穏な影が笑っていた。

 ジャングルジムの上に、大小二つの人影がある。

 そう、ブランシェを連れた怪人、キルライン伯爵だ。


「こんばんは、少年……ふふふ、実に不用心ですなあ? 優雅に夜のお散歩とは」

「いや、まあ。イクスさんだって気が滅入ってるんです。気分転換ですよ」

「イクス殿の美貌は目立つ。そうして隠しても、我輩にはお見通しですぞ?」

「まあ、そうじゃないとこっちも困るんですけどね」


 今のイクスは、上着も羽織ってるし帽子も被ってる。

 エメラルドの如き輝く長髪は、暗い夜でも目立つからだ。

 そして、案の定ヤイバの予想通り、伯爵が飛んできたという訳だ。


「一つ質問を、伯爵」

「なんなりと? 少年」

「あなた、イクスさんを探してずっと飛び回ってるんですか?」

「いやはや、我輩の苦労がわかっていただけますかな? しかし、心配は御無用」

「心配してませんけど」


 バッ! と伯爵はまとったマントを両手で開いた。

 そして、ヤイバは思わず「うわ」とドン引きな一言を漏らしてしまう。


「我輩、イクス殿ならば世界のどこにいても見つけ出す自身がありますぞ!」


 マントの裏側に、びっしり絵や写真がある。

 それはどれも、イクスのものだ。白黒の写真は目線を得たものが一つもなく、盗撮である。肖像はどれも綺麗なもので、イクスの美貌がしっかりと陰影を刻んでいた。

 ヤイバは改めて思い知らされた。

 伯爵は、生きる魔導書としてのイクスだけを求めているのではない。

 いうなれば、異世界ストーカーだ。

 イクス自身に歪んだ情愛を抱いているのである。


「伯爵、あなたはイクスさんに好意を抱いているんですね」

「好意などとそんな! 軽々しいものではありませんぞ、我輩のこの想いは」

「ぶっちゃけ気持ち悪いです」

「ハハハ、照れますな……この世で最後のエルフ、孤高にして孤独……彼女には我輩のような、星をも愛する気持ちが必要なのです」

「勝手に悲劇のヒロイン認定しないでくれますか? それと」


 そっとヤイバは、車椅子から離れて手の甲を撫でる。

 瞬時にその姿は、ファンタジーな冒険者の姿へと変身した。

 軽装で動きやすい姿は、レンジャーというか盗賊? スカウト的な?

 無数のナイフを腰にさげて、防具はあくまで軽く。

 魔法の革鎧は、イクス印の加護が込められた逸品だ。

 そして、変身は仲間たちへの合図でもある。


「それと伯爵、あなたは愚かですね。でも、そんな偏愛を抱えているならしょうがないかな」

「なんと? 少年、我輩を侮辱するなら覚悟がいりますぞ?」

「僕たちがイクスさんと住んでる場所、知らないんですよね?」


 むっ、と伯爵は眉根を寄せて不快感も顕だ。

 その隣では、ぼんやりと商店の定まらぬ瞳でブランシェが立っている。瞬きすらしない、本当にビスクドールのようにただそこにあり続ける。


「僕なら、泳がせてイクスさんが帰るまで見守り、どこに住んでるか特定しますけど」

「ほう!」

「ストーカーとしては三流もいいとこですね。お陰で助かりますよ」

「なんと……少年っ! 貴様ぁ!」


 その時だった。

 夜気を切り裂き、無数の矢が飛来する。

 咄嗟に伯爵はステッキを傘にして開き、更にブランシェが魔法を展開した。

 超々遠距離からの狙撃は、チイの弓矢である。

 しかし、ブランシェが張った遠距離攻撃無効化の防御魔法が全てを弾いた。


「ははは、無駄! 無駄無駄ぁ! むっ、だあ!」

「OK、チイ。完璧だ。あとは……カホル、頼むね」


 バッ! とヤイバはイクスの全てを脱がす。

 夜空に帽子とカーディガンが舞い散り、ヤイバいつものイクスの服を丁寧に折りたたんだ。車椅子の上には今、座布団や枕だけが鎮座していた。

 思わず伯爵が息を飲む気配が伝わってくる。


「な……なんと!」

「悪いですけど、イクスさんは今日は疲れてるんです。……あなたのせいでね、伯爵」

「確かにイクス殿の匂いが、香りがした! 遠目に見てもイクス殿だった! それが!」


 伯爵は動揺も顕で、背後に近付く気配を察していない。

 チャンスだとばかりに、ヤイバは一振りのナイフを抜く。なんの魔法が込められたものかは知らないけど、これもイクスが処分がてら保管していた業物だ。


「この我輩をたばかったな! 小僧っ!」

「今だっ、カホル!」

「かしこまっ、りいいいいいいっ!」


 突然、伯爵たちの背後にカホルが現れた。

 ずっと公園に身を伏せていたのだ。

 チャイナドレス風の彼女は、ゴツい篭手の硬さに気をつけながらブランシェの手を握る。

 そのまま抱き寄せ離脱しようとしたが、流石にそこまで上手くはいかなかった。

 もう片方の手を、すかさず伯爵が掴んで引き絞る。


「あっ、こら放せっての!」

「むうう、小娘! ブランク・スクロールは渡さぬ! これは我輩の魔導書だっ!」

「そういうのマジでキモいっての!」


 ヤイバの思惑通り、伯爵とブランシェの分断に成功した。

 かに思えたが、やはり読みが甘かったようだ。

 伯爵はヤイバの想像以上に歪んでいた。そして、それは強い意思となって迷惑な救世主を象っている。彼は異世界の環境を憂うと同時に、イクスへの失礼な哀れみにも似た情愛を抱いていたのだ。

 そして、改めて知る。

 この男は、ブランシェを本当に道具としてしか見ていない。

 その証拠に、気遣い手を握るカホルとは対象的に、容赦なく腕を引っ張る。

 華奢なブランシェが千切れてしまいそうな程に、腕を軋ませねじ上げていた。


「……痛い。いた、い……いたいよぉ」


 ブランシェの顔に初めて感情が浮いて出た。

 苦痛に表情を歪めて、そのまなじりに涙が光る。

 それを見て、咄嗟にカホルは手を放してしまった。


「あっ、ごめんヤイバっち!」

「いいよ、大丈夫。僕の詰めが甘かったんだ」


 昔、時代劇で見た大岡裁きを思い出した。

 母親を名乗る二人の女性が、我が子を左右から引っ張る。痛みを訴えた子供から、咄嗟に手を放したほうをお代官様は真の母親と認めた。

 今回もそうだ。

 カホルは優しい女の子なのだ。


「フハハハハ! 惜しいとこでしたなあ? 少年っ!」

「……とりあえず、放してあげていいですか? 腕が折れてしまう」

「なに、こやつには奪った治癒魔法がありますので。気になどしませんぞ」

「気にしろよ、ほんとにもう……あ」


 その時、ヤイバは見た。

 泣き出すブランシェを、まるで物のように扱う伯爵の背後に。

 迷惑な怪人を照らす満月の中に見たのだ。


「……伯爵、よもやそこまで外道とはのう。あとワシ、そんな小綺麗な顔しとらんが」


 月夜の空に瞬く星々が、小さな影を浮かべていた。

 それは、全身に魔法の刻印を輝かせるイクスだった。

 下着姿にネグリジェの彼女の、その肢体がはっきりと見えた。

 怜悧な無表情は冴え冴えと美しく、ヤイバでさえ怯んで怯える程に怒りに凍っているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る