第7話

「なっ、なな、なんじゃああああああ! こ、これが……コンビニ……!?」


 ヤイバの背から降りるや、イクスは老いを忘れたかのようによたよた走り出した。

 そう、ここはコンビニエンスストア。

 ヤイバの家から歩いて五分の場所にある。

 夜も遅くなったので、ちらし寿司で夕食を終えたあと、チイを家まで送っていく途中だった。細々とした買い物も必要になるし、家にストックのないものもあったので丁度よかった。


「おお! こ、ここにも氷室が……あ、いや、冷蔵庫かや? 並んでおるのは、これ……全部酒じゃあ! こっ、ここ、こっちにはコオ、ヒイ? ああ、炒った豆の茶じゃな」


 始めての現代世界、そして始めてのコンビニ。

 イクスのテンションはいきなり爆超だった。

 そんな彼女は今、浴衣を着ている。小さい頃にヤイバが使っていたもので、Tシャツ一枚でウロウロされるよりは何倍もましだった。

 それでも、華奢すぎて少し肩からずり落ちそうになっている。


「助かったよ、委員長。着物の着付けができるなんて、凄いね」

「た、たいしたことないワ、浴衣は簡単だし。……私はクラス委員長だし!」

「はは、そうだね。それに、とてもありがたいよ。色々買わなきゃいけないけど、僕だけじゃちょっと心細いからね」


 かごを手にして、ヤイバはチイと店内をぐるりとまわる。

 丁度切れていた歯ブラシのストックを補充するが、イクスの使う一本だけだ。もっと安いディスカウントストアでまとめ買いが基本である。

 他には、そう……チイがなんとかしてくれて助かっている。

 簡素なものだが男女兼用の下着を数点買う。

 母のものではちょっとサイズが合わない……多分、上以外は。

 見た目の童女っぷりに反して、イクスは曲線美の起伏が激しいトランジスタグラマーだ。


「と、とりあえず、これでいいと思うわ。あとは……その……」

「あっ……そ、そうだね。僕、ちょっとあっちでパンを見てくるよ」


 センシティブな時間が一瞬、二人の頬を同じ色に染める。

 火照る顔が熱くて、石綿にヤイバは踵を返した。

 そう、女性だけの生活必需品がある。

 子を生み母となる女性だけに与えられた苦難、生命としての代謝現象だ。

 席を外そうと思ったヤイバだったが、ふと見ればホクホクの笑顔でイクスがやってくる。


「なんという華やかな場所じゃあ……王都も真っ青の栄えっぷり。お、少年! 見よ、こんなに多種多様な酒が売っとったぞ」

「あー、えっと……イクスさん、多分買えないから戻してきてください」

「なんでじゃ? あ、思い出したわい! 人間は確か14になって成人しないと酒が飲めんてやつじゃろ! 妙な法じゃが、まあ、わからんでもない。じゃがワシは三千歳じゃぞ!」

「どう見ても小学生ですから、イクスさん」

「なにおう!」

「あと、地球の日本では成人は20歳からです。16歳の僕らも売ってもらえないんですよ」

「なんと……こ、これ、これも買えんのか? 魚卵っぽいのや、鳥の串焼き、こっちは……カニカマ? 蟹じゃぞ、蟹! これで一杯やったら最高じゃろうに」

「お酒はもどしてきてください、ね?」

「……ションボリじゃあ」


 あと、カニカマは蟹じゃない。

 けど、そのへんはややこしい話になるから黙っておいて、とりあえず帰ったら母の寝酒用の日本酒でも出してあげようとヤイバは思った。

 そして、背後でクスクスと小さな笑みを背中に拾う。

 振り返れば、鉄面皮で有名なチイが笑っていた。

 チタン合金の如き無表情が、微かな微笑みを浮かべているのだ。


「ふふ、エルフさんったらあんなにはしゃいで……あ、い、いえっ! これは」

「委員長でも笑うんだね」

「と、当然です! ……そんなに愛想が悪いでしょうか、私は」

「いや? でも、みんな凛々しくて颯爽としてて格好いいと思ってるよ。僕もね」

「……格好いい、は……褒め言葉では無いですよ?」

「そ、そうなの?」

「そうです」


 そして、トボトボとしょぼくれて帰ってきたイクスに目線を合わせて、そっとチイはしゃがみ込んだ。察したヤイバは少し距離を取ったが、静かな夜のコンビニでは流行歌に乗って声がささやかに聴こえてきてしまう。

 意識を遠ざけても、自然と脳裏にやりとりが聴こえてきてしまった。


「エルフさん、あの」

「イクスでよいぞよ? あと、ハイエルフ! ワシ、それはもうやんごとなきハイエルフなのじゃ」

「そ、そうでした、すみません。ええと、イクスさん。……その、月に一度の……どうです? あの、エルフって、ハイエルフってその辺は」

「人間と、お主と一緒じゃよ。ワシの場合、ちっくと重くてのう。それもまあ、千年前には終わっておる。なんじゃ、気を遣わせてしまったのう」

「あ、いえ。では、その手の品は買わなくていいんですね」

「んむ! ただ、お主たちは若い。避妊はしっかりの!」


 ボンッ! と音が聴こえてきそうな赤面をヤイバは見た。

 逆に、ヤイバ自身はドン引きして青白くなっている自覚があった。

 どうやらイクスは、ヤイバとチイの関係を勘違いしているようだった。


「家に帰るということは、お主は通いなんじゃなあ」

「そっ、そういうのではありません! ……それは、確かに、毎日通ってはいますが」

「避妊の魔法もある、気が向いたら声をかけるがよいぞ」

「……なんのためにあるんです? そんな魔法」

「魔法とは文字通り、魔を滅する法……魔物を殺し、魔王を叩き潰すための術じゃ。避妊の魔法も本来は、凶暴極まりないモンスターを一族根絶やしにするために使うんじゃが」


 なんとも恐ろしい話だ。

 先ほどイクスは、冒険の旅の傍ら、各地の王侯貴族の氷室に冷凍魔法をかけてまわったと言っていた。多分その魔法だって、本来は絶対零度の見えない冷気でモンスターを殺すものに違いない。

 魔法は、ヤイバたち現実の人間が思っているようなものではなかった。

 文字通り、魔法は必殺技……確固たる意志のもとに敵を必ず殺す技なのだ。

 そのままイクスは、少しおぼつかない足取りで菓子のコーナーに行ってしまった。それを見送るチイが、ふとこちらを振り向く。眼と眼が合って、気まずさだけが広がった。


「……と、とりあえず、買い物はこんなもんでいいかなあ」

「そ、そうですね。都牟刈君、あとはこれと、これと、これ」

「化粧水かあ。あと、こっちは、ええと……大変だね、女の子は」

「身だしなみですから。もっとも、イクスさんは化粧らしい化粧もしてないのに、ツルツルのツヤツヤですね。それに、うっすらとしたあれば天然のアイシャドウ? みたいな」


 確かに、特別なにかしらの化粧をしている様子はない。

 だが、芋の薄揚げ、いわゆるポテトチップスの味を真剣に選ぶその表情は、人間離れした美しさだ。勿論エルフ、ハイエルフなのだから当たり前なのだが。

 イクスロール……世界最後のエルフにして、スペリオールの称号を持つ大魔導師。

 そんな彼女が時に幼子に見えて、その無邪気さにヤイバは目を細めた。

 すると、そっと隣に肩を寄せて、それこそ触れ合う位の距離で小さくチイが囁く。


「あの、都牟刈君」

「うん?」

「学校……来ないんですか? あ、ごめんなさい。でも……もうすぐ、春の大運動会もあるし、校外学習や社会見学授業も」

「んー、まだちょっと、ね。っていうか、委員長のおかげで勉強もはかどってるし、特に不自由はしてないよ」

「そんな、私困ります……秘密ですけど、困るんです」

「そうなの? あ、ああ、そうだよね。クラス委員長だし」

「……そういう意味だけじゃ、ないです、けど……思い出、通り過ぎちゃいます」


 いつでも堂々としたチイの長身が、こころなしか小さく見えた。

 そんな彼女を見上げて、ふとヤイバは考え込む。

 もはや、なんで不登校になったのも忘れるところだった。

 だが、チイの言葉がそれを掘り起こすように鮮明にしてくれる。


「やっぱり……あの子のこと、ですか?」

「ん? ああ、そんなんじゃないよ。ただ」

「ただ?」

「僕って結構、怒ると野蛮なんだなって思って。やりかえされるのも怖いし、その時反撃を我慢する自信もなくてさ。なんか、変かなあ」

「そっ、そんなことないです! あの時の都牟刈君は立派でした!」

「立派な人は暴力なんかふるわないよ」

「それは、そう、です、けど」


 今でも思い出して、まるで他人事のようにあの時のことを俯瞰できる。

 イラッとしたし事実怒った、激昂に憤ったとも言える。

 誰だって、母親が痴女だなんて言われたら気分のいいもんじゃない。……それが半分くらいは事実でも、他人の同級生になんか言われたくない。まるで見てきたことのように喋られたが、その男子生徒はヤイバとはあまり面識のない生徒だった。

 それに、きっかけの方も腹が立った。

 人を見た目だけで判断するのは、早計というものだ。勿論、見た目も大事だからこそ人間は身だしなみを尊ぶ。でも、一瞥して一人の少女を侮辱するのは赦せなかった。

 そう、あの子は……そういう人間かどうかはわからないが、真偽以前の問題だった。


「気が向いたら行くよ、学校」

「え、ええ、是非! 運動会、きっと盛り上がります。私、実行委員もやってるので」

「遠足もあったよね、確か」

「遠足じゃなくて、社会見学授業です。今年の二年生は、たしかどこかの工場見学ですね。勿論、おやつは300円以内です!」

「うん、まあ気が向いたら」

「……はい。是非、来てください。思い出を作れないと、勉強だけしても寂しいですし」


 心配してくれてるチイが、以前よりぐっと身近に感じた。

 今日始めて、笑顔を見たからだろうか?

 だが、そんな甘酸っぱい雰囲気をイクスが木っ端微塵に粉砕してくれる。


「少年! ワシ、これとこれを買って欲しいんじゃが。酒は駄目でも、菓子くらいはいいじゃろ?」

「えっ? あ、ああ、うん」

「なんじゃ? なにを……あっ! う、うん、ワシとしたことが察しが悪かったのう。どれ、避妊魔法をかけておく故、ワシは少し席を外し、っと、と、とととと、とぉ!?」


 慌てたイクスが脚をもつれさせて、そのばにへたり込む。

 それでも、抱え込んだポテトチップスやチョコレートを放さない。なかなか食い意地が張ったハイエルフ様だと思ったが、次の言葉にヤイバはドキリとした。


「少年、学校にいっとらんのか。魔法学校や騎士学校、あっちにも色々あるがの。なんならほれ、休日にでもそこの娘と逢瀬を重ねればよいじゃろ。思い出は、覚えられる限りはいくらでも、どこでもいつでも作れるものじゃよ」


 もっともらしいことを行って、フッとキザにイクスは笑った。

 だが、尻もち突いて立ち上がれなくなっているので、全くサマになっていないのだった。

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