見せられないよ

 ベンチに座ってすぐ、ちょっと待っててと言って、白熊さんは一人ショーケースの方へ戻る。若干俯きながら眺めていると、何やら忙しなく動き回り、手に何かを持って僕の元に来た。


「ご飯屋さんと言えば、まかないだよね」


 白熊さんの手には丸いお盆が。その上にはおにぎりが三個に、紙コップが二個乗っている。

 遠慮しようとしたら、まあまあいいからと先回りして言われ、僕の横にお盆が置かれた時、わりと大きな音が出ていた。


「店長命令、まったりしよう」


 はい、と紙コップを渡される。程好い温もりに肩の力が抜け、中を覗くと──味噌汁特有のにおいが鼻に届く。

 この店では、朝の慌ただしい時間以外、味噌汁の販売もしていた。紙コップ一杯、百五十円。とろっとろに柔らかくなった玉葱入り。箸やスプーンがなくてもいいように、小さめに切られている。

 何も考えずに喉へ流し込むと、身体が急速に温かくなっていった。


「あざらし君の家ではさ、味噌汁の具材は何を使っているの?」

「……そうですね」


 今の家で味噌汁が出ることは滅多にない。やたら手の込んだ野菜スープばっかりだ。その前は……何だったか。作ったり作ってもらった記憶があんまりない。お湯で溶いて飲むインスタントの味噌汁が、食卓に置かれていただけで、それすら面倒がって使わずにいたら、溜まりに溜まって怒られたんだ。

 続きをなかなか口にしない僕を、白熊さんは待ってくれた。味噌汁の残りを一気に嚥下してから、うちでは味噌汁は出ないんですと、やっと返事をした。


「久し振りだから、余計に美味しいです」

「あざらし君が来る時間帯は、味噌汁、出してないもんね。休憩時間中に好きに飲んでもいいよ。お客様の分は残してほしいけど」

「……いいんですか」

「いいよ」


 ほらほらおにぎりも食べなよと促され、紙コップを置いて一個手に取る。炒飯だった。ラップを外して噛みつくと、卵の味が口内に広がり、咀嚼するごとに葱のシャキシャキ感が伝わってくる。やっぱり白熊さんのおにぎりは、一瞬で手の中から消えてしまう。

 いつもなら性急に次を求めるのに、味噌汁を飲んだせいか、もう少し口内に残る炒飯の味を楽しんでいたかった。


「頑張れそう?」


 白熊さんが訊いてくる。休憩前なら頑張るしかないです、とか口走ってたかもしれないけれど、今は、頑張りたいですと心から言えた。


「無理そうだったら──君の好きなやつ、見せてあげようかと思ったけど」

「えっ」


 勢い良く白熊さんに視線を向けると、ちょうど、白熊さんの口角が上がる瞬間を目撃してしまった。


「反応がいいね。君は本当にこれが好きなんだね」


 自分の顔の隠れた左側を指差しながら、苦笑混じりに白熊さんは言う。


「……その」

「珍しい子だよ、君を雇って本当に良かった」

「……っ」


 今日、駄目な所しか見せていないのに、何でそんな、嬉しくなるようなことを言ってくれるのか。

 真意を探りたくて顔をじっと見ているのに、白熊さんからすれば、左側を、左目の周囲にいる蝶を求めているように思ったのかもしれない。

 白熊さんの指が、そのまま自分の前髪に触れる。少しだけずらされると、蝶の羽がほんのり見えた。


「──せっかくだから見る?」

「……その」


 見たい。……見たい、けれど、いいのか。そんな簡単に見せてもらっていいものか。正直、頑張る為に見るのではなくて、頑張った後に見せてほし……いや、何を言っているんだ。

 そんな風に葛藤しながら、綺麗な蝶の一部から目を逸らせないでいる。何も言えないでいたら、白熊さんの指が前髪から離れ、蝶は姿を消した。


「冗談。お客様に見られると、ちょっとね、良くないから」

「……そう、ですか」


 残念。

 そんな風に内心で考える自分が恥ずかしくて、誤魔化すようにお盆のおにぎりを頬張る。塩むすびだった。シンプルイズザベスト。これだこれ。


「味噌汁のおかわりいる?」

「……」

「どうする? まだ余裕あるから、二杯でも、三杯でも、いいよ?」

「……え」


 遠慮しますと、いつもみたいに言おうとしたけれど、そう告げるには、味噌汁は久し振り過ぎた。

 日本人と言えば、米と味噌汁。

 米派の自分に嬉しいものが、ここにあるし、その上……白熊さんの味噌汁は美味しい。


「いや……お、お願い、します」

「分かった」


 言われるがまま、空の紙コップを白熊さんに渡すと、あっという間にくしゃりと丸めて、白熊さんはショーケースの方に行く。

 戻ってくるまでに、最後に残ったおにぎりを食べようとして、まさに噛みつくその瞬間、


「──こんちわー」


 人鳥が来た。

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