第21話 私の評判は最悪らしいです

 事実、私のせいでアレシュ様は倒れた。

 助かったのは、近くにシュテファン様がいてくれたからだ。

 大切な人を殺されかけて、冷静でいられないのは当たり前のことで、侍女に対して怒る気にはなれなかった。


 ――レグヴラーナ帝国にいた時と同じ。まだアレシュ様が理解してくださっただけでも、私は救われました。


 だから、私からアレシュ様に申し出た。


「身支度は自分でできます。今までもそうでしたから。でも、着替えだけはいただけますか?」


 帝国の皇宮でも、年老いた侍女が一人のみだった。

 それに――


「体がなまっていたので、ちょうどよかったです!」


 侍女はキョトンとした顔をした。


「こちらに来てから、ずっと身の回りのことを侍女たちがしてしまうので、とても退屈だったんですよ」


 私はようやく自由を手に入れたのだ。

 あの大勢の侍女も兵士もいなくなり、幽閉だってされていない。

 すっと両手を広げて、日差しを浴びる。


「自由……!」


 外の空気を目一杯、肺に吸い込んだ。

 なんて空気が美味しいのだろう。


「もう最高です! では、厨房を教えていただけますか? 身支度のためのお湯か水をいただきたいので……」

「ま、待ってください! それはちょっと困ります!」


 張り切る私を見て、侍女は慌てふためき、アレシュ様に助けを求める。

 そんなにいけないことだったでしょうか……

 私も同じようにアレシュ様を見る。


「わかった。俺が着替えと食事を持ってくる」


 アレシュ様がそう言うと、侍女は顔色を変えた。


「い、いえ! そんなことをアレシュ様にさせるわけには……! 私どもがいたします!」

「いや。俺がやる。俺は一度従わなかった者に対して、同じ命令を下さない」


 信用を失ったと感じた侍女は、呆然とその場に立ちつくす。

 アレシュ様は怒らず、侍女に微笑み、優しい口調で言った。


「戻っていいぞ」


 怒られるよりも、笑顔のほうがよほど堪える気がした。


「アレシュ様、待ってください。私の着替えや食事です。一緒に参ります」

「だが……」

「ちょうど王宮内を見て回りたいと思っていました。珍しいものばかりですし、昨晩のフルーツもとても美味しくて、後から、植えてみようと、種をとってあるんですよ!」


 私の宝物となったフルーツの種を見せると、険しい顔をしていたアレシュ様が笑った。


「そんなにうまかったか?」

「ええ。オレンジの果肉、柔らかい白の果実……。甘くてジューシーで、私が育てた作物に、あれほど美味しいものはありませんでした!」


 うっとりと両手を組み、昨晩の夜食を思い出す。

 侍女は『思っていたのと違う』という顔をして、私を見る。


「わかった。だが、妻の寝間着姿を見られたくない。薄着すぎるからな。だから、王宮内を歩くのは許可できない」


 たしかに寝間着で廊下を歩くのは、はしたない。


「残念です……。わかりました。今は厨房を覗くのは我慢いたします」

「今は!? 次は厨房にまで入るつもりですかっ?」


 私のしょんぼりした姿に、侍女が激しく動揺していた。

 

「はい。できたら、庭にこの種を植えて、育てたいと思ってます!」

「な、なんのためにですか?」

「庭からフルーツがもげるんですよ? 素敵じゃないですか?」


 ――いつでも食べられて。


 その言葉はさすがに皇女らしくないと思って、喉元まででかかったのを呑み込んだ。

 

「そうだな。部屋から珍しい果実を眺めたいのだろう? 庭師に植えさせよう」

「その時は私にもぜひお手伝いさせてください」


 侍女は頬をひきつらせた。


「庭師の手伝いを? 帝国の皇女殿下がなさるとか……。偉そうだとか、無視されるって言われていた噂と大違い……」


 侍女が私を見て、なにか言おうとした瞬間、扉をノックする音が聞こえた。


「遅くなり、申し訳ありません。私一人で用意したため、手間取ってしまいました」


 長い黒髪に黒目の侍女が立っていて、青色の制服を着ている。

 私と同じくらいの年齢の侍女は、とてもしっかりした雰囲気があった。


「ナタリー! あなた、水の宮の侍女でしょ!?」

 

 緑色の制服が風の宮、青色の制服が水の宮というように、色で働く場所がわかるようになっているらしい。

 ナタリーと呼ばれた侍女は淡々とした口調で答えた。


「シュテファン様から、お話を聞きました。アレシュ様が不届きな真似をし、毒の神から罰を受けたと」

「毒の神ですって?」

「レグヴラーナ帝国の第一皇女シルヴィエ様は、他国の人間でありながら、毒の神の加護を受ける尊き身だと聞いております」

「そんなの嘘よ! ドルトルージェ王家の人間以外で、神の加護を受けるなんてあり得ないわ!」


 毒の神の加護を受けているのは間違いないけど、とても珍しいことらしく、誰も信じていないようだった。


 ――私の苦しまぎれの嘘と思われているようですね。


「私は自分が仕えるシュテファン様の言葉を信じております。風の宮の主、アレシュ様の言葉を信じられないのであれば、ここから去ってください」


 ナタリーの黒い瞳が、冷たく光る。

 その瞳に気圧されて、緑の制服を着た侍女は、泣き出した。


「主人を世話できない侍女は必要ありません」


 問答無用で、ナタリーは風の宮の侍女を部屋から追い出した。

 そして、何事もなかったという顔をして扉を閉めた。


「ナタリー、悪いな」

「いいえ。噂を聞いたシュテファン様が、私に風の宮へ手伝いに行くようお願いされました」


 私の悪い噂が、王宮内に流れている。

 シュテファン様の耳に届くほど、すでに知れ渡っているようだった。 


「ナタリーさん、着替えを持ってきていただき、ありがとうございます」

「ナタリーと呼び捨てになさってください。シルヴィエ様は風の宮の女主人になられるのです。使用人に侮られず、うまく使ってくださいませ」


 にこりともしないナタリーだったけど、私を心配してくれている。

 私を気遣う人に出会えたことが嬉しい。

 

「そうですね。私は私のやり方で、みなさんと仲良くやっていくよう努力してみます」


 ナタリーは深々と頭を下げた。

 そして、廊下のワゴンには、洗顔用のボウルと水差し、着替え、私用のブラシや鏡などを運び入れた。


「支度が済むまで、部屋の外に出ていよう。ナタリー、頼んだぞ」

「お任せくださいませ」


 アレシュ様が部屋の外へ出ると、ナタリーは手際よく私の髪をとかし、髪を結い上げる、

 持ってきてくれたボウルの中のお湯には、ラベンダーが浮かべられ、紫の小花が可愛らしい。 


「いい香りですね」

「こちらがドレスになります。いかがでしょうか」

「ありがとう。とても素敵だと思います」


 ドレスは緑の生地に白いレースとリボン、髪飾りも緑で、手袋は薄いレース。

 生地の厚い帝国のドレスとは違い、軽く風通しの良い生地で作られたドレスだった。

 肌触りは柔らかく、窓から吹きこむ風が、スカートと髪をなびかせる。

 

「動きやすいですね」

「レグヴラーナに比べ、ドルトルージェは温暖な気候です。体を締め付けることのない軽い作りになっております」

「これなら、畑仕事も簡単にできます!」

「畑?」


 ハッと我に返った。

 

 ――そうでした。うっかりいつものくせで、畑仕事をしようなんて、考えてしまいました。


 でも、捨てがたい収穫の楽しみ。

 それを使った料理の数々。

 

「皇女のたしなみとして、畑はどうでしょう?」

「聞いたことがございませんね。王宮専属の農夫や庭師がおります。なにか植えて欲しいものがあれば、彼らに命じてくださいませ」


 真顔で返ってきた答えに、そうですねと小さくうなずいた。 


「シルヴィエの着替えは終わったか?」

「あとは髪だけでございます」


 ナタリーは緑のリボンを編みこみ、髪を結ぶ。

 

「まあ! ナタリー、ありがとう。とても上手なのね」

「侍女として、できて当たり前のことです」


 ふわっとしたドレス、素敵な髪に、明るい日差し。

 同じ世界のはずなのに、まるで光の中にいるように眩しい。


「……ありがとう」


 鏡を見て。もう一度、お礼を口にする。

 無表情だったナタリーが微笑んだ気がした。

 そして、ナタリーもまた同じ言葉を繰り返した。


「侍女ですから、当然のことでございます」


 さきほどより、柔らかな口調だった。


「シルヴィエ、よく似合っているな」


 扉を開けて入ってきたアレシュ様の手には、お茶とパン、オムレツ、山のようなフルーツがあった。

 銀の大きなトレイをテーブルに置く。


「緑のドレスか。ナタリー、気が利くな」

「アレシュ様の奥様になられた初日でございます。緑がよろしいかと思いました」

「色が決まっているのですね」

「これは、加護を受けた神々によって、色が決まる。火は赤、風は緑、水は青というように、神との繋がりを深め、力をより強めるためのものでもある」


 神との繋がりを深め、力を強める――そんな意味があったとは思わなかった。


「ですから、王宮内の色は、そこに住まう王族がの加護を受けた神によって異なります」


 それだけではなく、鳥のモチーフが多い気がした。

 鳥のモチーフが噴水、柱、扉などに多く使われている。

 こうすることで、アレシュ様が使う力が増幅されるということなのだとわかった。


「私を加護してくださっている毒の神様は、どちらにいるんですか?」

「今のところ、実体化したのは一度だけ。昨晩だけだ。ヴァルトルに追わせたが、途中で姿が消えた」

「そうですか……」

「がっかりしなくていい。神との繋がりを深める方法はたくさんある。そのうち、実体化できるようになるだろう」


 姿は見えないけど、きっとそばにいるはずだった。

 私を守っている毒の神は――


「差し出がましいことですが、おひとつだけ申し上げてよろしいでしょうか」

「ナタリー?」


 アレシュ様ではなく、私のほうを見ていた。

 私に関することだと気づき、アレシュ様はうなずいた。

 

「構わない。許す」

「はい。今回、アレシュ様が倒れたのは、わずかな者しか知りません。それなのに、一晩明けて噂が広まっているのはおかしいと感じました」


 ナタリーは王宮内で働く侍女である。

 日々、噂話を聞くことが多いはずで、その普段の噂と広まるスピードが違っていたと、言いたいらしい。


「つまり、誰かが故意的に噂を流したということか」

「あくまで、私の勘でございます。ただ気にかかったので、念のためご報告を」

「ナタリー。お前の勘では、誰が流したと思う?」


 言いにくそうにしていたナタリーだったけれど、アレシュ様に隠す気はないらしく、あっさり教えてくれた。


「私の勘で、名前までは口にできません。ただ、アレシュ様は人気がありますから、シルヴィエ様を貶め、妃の座を狙う方は大勢いらっしゃいます。気を付けてくださいませ」

「……わかった」


 ナタリーは深く頭を下げ、部屋から出ていった。

 私が結婚した相手は、ドルトルージェ王国の第一王子で、お父様とラドヴァンお兄様が目障りだと思うほど優秀な方。


「俺のせいだな」

「いいえ。アレシュ様のせいではありません。私が妃として、ふさわしくないと思われたのでしょう」


 帝国側の振る舞いを考えたら、そう思われて当然のこと。

 お兄様たちが逃げた姿を見て、私がアレシュ様を殺そうとしたという噂も信憑性が増した。

 まだ私はこの国に嫁いだばかり――

 

「これから、アレシュ様の妻として、認めていただけるよう頑張ります」

 

 そして、帝国での扱いを思えば、少しも辛いと感じていなかったのだった。

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