第20話 約束の花

 私とアレシュ様が、ゆっくり話している時間はなく、治療を受けるため、パーティーを途中で抜けた。

 そして、自分が不在の間に、私が帝国に奪われないようにと、今までの部屋ではなく、アレシュ様が住まう風の宮と呼ばれる場所へ連れてこられた。

 読みかけの本、異国の香炉から、木の香りに似た爽やかな香りが漂う。


 ――この香りを私は知っている。


 昨日着ていたアレシュ様の立派な上着は、椅子に放り投げられたまま。 

 肌触りの良い薄手の寝間着に、たっぷりのお湯、涼しい風が回廊から吹き込み、天蓋の薄布が柔らかく揺れる。

 そんな部屋で一晩、一人で眠った結果。


「快適すぎて、熟睡してしまいましたっ……!」


 がっくりと寝台に手をついた。

 呪えるのなら、自分の寝つきの良さを呪いたいっ……!


「こんな待遇がよくていいのでしょうか!? クッションはふかふかだし、夜食のフルーツは珍しいいものばかりで、うっかり食べ過ぎました……」


 アレシュ様は医療院に泊まって、治療中だというのに、私ときたら、もてなされ、のんびり一夜を過ごしてしまった。

 それに、くつろいでる場合じゃない。

 

「帝国側がなにも言ってこないなんて、おかしいですね」


 一夜明け、太陽が昇っても帝国側の侍女たちが、大騒ぎせず、兵士たちの足音もなかった。

 暗殺計画の要であった私を失い、パーティーは中断。

 パーティーの主役である私とアレシュ様がいなくなったら、なにか起きたと思うのが自然の流れである。

 回廊から足音が聞こえてきた。

 その足音が誰のものであるかわからなくて、寝台の天蓋の布から、顔を少しだけ出して、そっと覗いた。

 

「ああ。起きていたか」

 

 誰もおらず、アレシュ様、お一人だった。

 顔色もよく、元気そうな姿にホッと胸を撫で下ろした。


「アレシュ様の体調はいかがですか?」

「もう平気だ。毒も残ってない」


 陽の光と同じ色をした髪と夏の空に似た瞳をしていた。

 昨日と違うのは、明るい場所だったのと、ヴェールがなかったから、しっかり見えた。

 私と世界を隔てていたものが、いつの間にか、なくなっていることに気づく。

 ヴェールと手袋がなくなり、またアレシュ様を傷つけるのではと不安になって、距離を置く。

 その私の様子にアレシュ様は苦笑した。


「もしかして、俺が怖いか?」

「いいえ。また傷つけてしまうのではないかと思って、気を付けています」

「ああ、そういうことか。シルヴィエが俺を怖くないと思っているなら、大丈夫だ」

「怖くはないです」


 アレシュ様は人懐っこい笑みを浮かべ、安心したように息を吐く。


「昨日は驚かせて悪かった」

「いいえ。それより、アレシュ様。呪いを受けて、なぜ平気でいられるのですか? それに私を連れに、帝国の侍女が来ないのですが……」

「帝国の人間は、全員帰った」


 ――私を置いて逃げたのだ。


 アレシュ様は帰ったと言ってくれたけど、本当は違う。

 暗殺計画の失敗を悟り、全員が私を捨てて逃げた。


「そうですか……」

「よほど慌てていたのか、荷物も持たず、着の身着のまま帰っていった」


 自分の命を帝国が狙っていたと、アレシュ様が気づいていないはずがない。

 私の罪を問わないために、わざと逃がしたのだ。

 

「よろしかったのですか?」


 あえて言葉を伏せた私の問いに、アレシュ様は余裕の笑みを浮かべた。


「二度目はない」

「はい」


 怒っていないわけではなく、今回だけは見逃すのだとわかり、私はうなずいた。

 

「私からも尋ねたいことがあります」

「なんだ?」


 昨晩、部屋に飾られた白い花、異国の香り――私が大切にしている思い出。

 花瓶から花を一本手に取り、アレシュ様を見つめた。


スニフの花をご存じですか?」


 緑色の瞳が優しく私を見つめた。


「約束をした。いつか、あなたにたくさんの花を差し上げたい、と」


 アレシュ様は私に近づき、あの日と同じように、私の手に触れた。


「近寄っては危険です」 

「また同じことを言う」

「呪われていますから」


 夏の木々と同じ色をした緑の瞳が、私を映していた。

 顔が近づいても、今度は怖いと思わない。

 アレシュ様は昨晩と同じように、私の唇に口づける。

 今度は倒れない。

 唇を離し、アレシュ様は私に恭しい口調で言った。


「毒の神の祝福を授かった皇女。神々の加護を与えられた尊き存在。その身は毒の神によって守られる」

「毒の神……?」

「呪いではない。これは神の加護だ」


 緊張が消え、安心感から涙がこぼれた。

 その涙をアレシュ様が笑いながら、指でぬぐう。


「私は触れても……誰かを傷つけることはないのですね?」

「もちろん」


 身をもって、アレシュ様は私が呪われた存在ではないと、証明してくれた。

 じかに握られた手は温かく、普通の人と同じように触れ、嫌悪されないことが、こんなに幸せな気持ちになること知った。

 心の中に風が吹き、私を苦しめていた呪いが消えていく。

 

「私はアレシュ様の妻になってもよろしいのですか?」

「当たり前だ」

「もっと私は毒の神のことを学びたいと思います。誰も傷つけずにすむように」

「あー……。毒を受けたのは俺が悪いんだ」


 アレシュ様は言いにくそうにしていたけど、教えてくれた。


「神の加護を受けた者は、その身に危険が迫ると、神が守ろうとする。つまり、俺が不届きな真似をしたから、反撃されたというわけだ」


 シュテファン様があきれた顔をしていた理由がわかった。

 私を守る毒の神に反撃されたと気づいたからだ。


「反撃ですか。でも、強力な毒でしたよね?」

「いや、手加減してくれたほうだ。毒の神の毒は複雑なんだ。解毒するには、通常の解毒薬では、難しいとも言われている」

「そうなのですか。神様だけあって、すごい力です……」

「まあな。でも、医療院は喜ぶだろう。毒の神の加護を受けた者が、数百年ぶりに現れたのだからな。それも他国の人間だ。全員、驚くぞ!」


 寝台の上に座っていた私を持ち上げると、目が回るくらい、ぐるぐる回ってみせた。

 落ちないよう首にしがみつき、怯えていると、アレシュ様が気づいて、私をそっと長椅子の上に座らせてくれた。


「悪い。嬉しくてはしゃぎすぎた。えーと、それで、侍女たちはいないのか?」

「侍女ですか? そうですね。できたら、着替えをいただきたいのですけど」

「昨晩から来ていない?」


 私がうなずくと、着替えも朝食もないとわかったようで、アレシュ様は表情を曇らせた。


「着替えを持ってこさせよう。それから、朝食も」


 アレシュ様は呼び鈴を鳴らし、侍女を呼ぶ。

 緑の制服を着た侍女が、一人だけ訪れた。

 侍女は気まずそうな顔で、アレシュ様から目をそらす。


「世話を頼んだはずだが?」

「風の宮にシルヴィエ様を入れると、誰も聞いていませんでしたので……」

「昨晩、俺がシルヴィエを連れて、自分の部屋へ入るのを侍女たちは見ていたが、あれは俺の目の錯覚か」

「私たちは王家に忠誠を誓っております。アレシュ様を殺そうとした敵国の皇女を世話するなど、とてもできません!」


 侍女の言葉に、私たちは驚いた。

 アレシュ様が帝国に暗殺されかけた。

 殺そうとしたのは、私であるという噂が流れていることを知ったのだった。

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