第17話 呪われた皇女

 結婚式が終わったけれど、私とアレシュ様が二人きりになれるチャンスは一度もなかった。


 ――はぁ、どうしましょう。

 

 私の呪いについて、アレシュ様に説明できたらと思っていたのに、お兄様の計画は完璧で、夜のパーティーまでの時間は別室で過ごし、会えるのはこの時だけ。

 一緒にきた侍女や兵士は、私がアレシュ様と二人きりになるのを妨害し続け、パーティーにはお兄様も参加し、さらにお兄様と同行した兵士と侍女の人数も増え、状況は厳しい。


 ――それだけではありません。長年のひきこもり(軟禁状態)だったから、人に酔って気分が……


 これは大誤算だった。

 不死身の皇女なんて、調子に乗っていた自分が恥ずかしい!

 

「ううっ……。不甲斐ないです」


 それでも倒れないよう懸命に意識を集中し、背筋を伸ばす。


「なんて、たおやかな方でしょう」

「まるで、風が吹けば、散ってしまいそうな儚さをお持ちだけど、それがまた美しいわ」

「病弱というお話ですもの。気を付けて差し上げなくては」


 さらに視線を集め、動悸が激しくなり、胸に手をあてる。


 ――ああ! なんて心地よい緊張感っ!


 殺されるかもとか、死んでしまうかもとか、そんな緊張感と違う。

 注目を浴びるなんて、一度もなかったから、自分がこんな恥ずかしがり屋だったとは、今まで気づかなかった。

 新たな自分の一面を発見して嬉しい。

 ありがとう、政略結婚。

 こんにちは敵国。

 顔がにやけて、笑顔が止まりません。


「まぁ! なんて優雅な微笑み!」

「銀糸のような髪に、透き通るような白い肌。青い瞳はサファイアのよう」


 でも、私は敵国の皇女。

 うっとりしている令嬢もいれば、嫌悪する令嬢もいる。


「ご覧になって。シルヴィエ様の手袋とヴェール。一度も外されないのよ」

「田舎者に触れるのが、お嫌なのでしょう」


 そんな! 誤解です!

 駆け付けて、すぐに握手したいくらいだった。

 むしろ、握手大歓迎。

 なんなら、ハグもしたって構わない。

 ハグの準備をした自分の腕がむなしい。

 広げた腕をスッと元に戻した。


「やる気は十分でも、私に触れたら、彼女たちが死ぬかもしれません」


 私が神に呪われた存在だと知らないから、警戒せずに触れ、なにかあっては困る。

 こちらの国に溶け込んで、平穏に暮らしていくためには、ここはぐっと我慢するべき……

 しょんぼりし、悲しみに沈む私を見て、そばに控える侍女たちが言った。


「シルヴィエ様。帝国の皇女として、堂々となさっていてください。下々の者に遠慮する必要はございません!」

「皇帝陛下のご威光が、私たちにある限り、見下す方はいらっしゃいませんわ」


 これまで、私に近寄ろうともしなかった侍女たちは、突然、手のひらを返したように、皇女として扱っている。

 それは、なぜか。

 私が普通の皇女に見えるようにするため。


 ――侍女たちに避けられる皇女なんて、不自然ですものね。でも、今の言葉はいただけません。


「見下されるなどと、私は思っておりません。仲良くできないか考えていただけです」


 侍女たちは面白くなさそうな顔をした。

 敵国ということもあり、お互い良い感情を持っていないのはわかる。

 でも、それを差し引いたとしても、侍女たちの悪態は目に余るものがあり、そのせいで評判は最悪なものになっていた。


「侍女のくせに、あんな偉そうにして! 帝国の侍女って感じが悪いわね」

「王宮で働いてる侍女が言っていたんだけど、シルヴィエ様のお世話は、帝国の侍女だけでやっているんですって」


 このままでは、せっかくお祝いパーティーを開いていただいたのに、雰囲気がどんより重たくなってしまう。

 なにか対策を考えなくてはならない。


 ――なにかパーティーを盛り上げる方法はない!?


「パーティー……そうだわ! 隠し芸? それとも手品? でも、鳩を仕込んでくるのを忘れてしまいましたわ」

「では、鷹なら?」


 私を笑う声がして振り返ると、金髪に緑の目、健康的な王子。アレシュ様がパーティー用の服装に着替えて、現れた。

 太陽みたいに明るく、微笑むだけで周りを和ませる。


「アレシュ様よ!」

「悔しいけど……。アレシュ様とシルヴィエ様は太陽と月のようで、とてもお似合いですわね」

「ええ。本当に。お二人とも美しくていらっしゃること」


 さっきまで、険悪なムードだった令嬢たちの顔のこわばりが解けた。


 ――あっという間に人の心を溶かしてしまう不思議な方。


「ヴァルトル、行け」


 腕を一振り――鷹が大きな両翼を広げ、広間をぐるりと回り、飾った花の中から、白い花を一輪くわえて戻ってきた。


「花をどうぞ」


 私に手渡された一輪の白い花。バラのように咲き、雪のように白く、甘い香りがする。

 この花の名はスニフ

 私の一番好きな花。

 招待客から歓声と拍手が巻き起こる。


「ありがとうございます」


 花を受け取り、見つめ合う私たち――でも、それは一瞬だけだった。


「アレシュ第一王子。シルヴィエ様は帝国の皇女。気安く触れないでいただけますか」

  

 あっという間に侍女たちが、私を取り囲み、アレシュ様の姿が見えなくなった。

 結婚式も終え、夫婦になったというのに、妻の私に指一本すら触れられない状況が続いていた。

 それどころか、会話さえ阻まれる始末。

 空気を読まない侍女たちに、不快な表情を浮かべたのは、ドルトルージェ王国の人々だけではなかった。

 各国から招待された王族と貴族が、レグヴラーナ帝国の振る舞いを眺め、眉をひそめた。


 ――これは、困りましたね。


 招待客の中にいるお兄様は、場を取り繕うどころか、口元に笑みを浮かべ、パーティーが台無しになることを望んでいるようにさえ見える。


「私からアレシュ様に、花のお礼をいたします」

「俺に?」


 雪のような白さを持つ大輪の花、スニフを両手に持ち、背をまっすぐにし、あごを引く。

 大勢の招待客がいる広間に、私の歌声が流れた。

 ざわめきが消える。


「シルヴィエ様が歌っていらっしゃるわ」

「若々しく透明感のある美しい声ですこと」 


 伸びやかな歌声が、夜の闇に響き、一曲歌い終わり、一礼する。

 拍手が起き、明るい雰囲気に包まれた。

 けれど、お兄様は私をにらんでいた。


 ――余計なことをしたと思っていらっしゃるのね。


 私の家族は嫁ぎ先での幸せを家族は望んでいない。

 望むのは、アレシュ様の死と、この国の混乱である。


「シルヴィエ。手を」


 私の前に手が差し出されていることに気づき、ハッと我に返った。

 アレシュ様の大きな手。

 手袋越しなら、平気なはず――そう思って、その手を取ると、侍女たちが大騒ぎした。


「シルヴィエ様! なにをなさっているのですか……!」

「はしたない!」


 侍女たちが騒いでも、アレシュ様は動じない。


「夫婦の語らいだ。まさか邪魔しないだろうな?」


 堂々と広間から出て、人気のないバルコニーへ向かう。


 ――やっと二人きりになれる。


 これで、私の呪いについて、お話できると安堵した。

 外に出ると、窓を閉め、侍女たちが追ってこれないよう兵士たちが、見張りに立った。

 アレシュ様が夜空に向け、腕を掲げると、どこからともなく鷹が現れた。

 闇を滑るように飛ぶ。

 鷹は高度を下げ、アレシュ様の腕に降りた。


「美しい鷹ですね」

「鷹は好きか?」

「ええ。私が暮らしていた皇宮の庭へ鳥がよく遊びにきていました」

「鳥か。この鷹は普通の鳥ではない。風の神の化身だ」

「風の神?」


 人の言葉がわかるのが、鷹は私を見て、小さく翼を動かした。


「シルヴィエのそばには銀の蛇がいる」

「まぁ! 私のそばに蛇ですか? 蛇はまだ見たことがないのです。どちらにいますか?」


 きょろきょろと周囲を見回す。

 でも、暗くてよく見えなかった。


「こっちに」


 顔を声のするほうに向けると、アレシュ様の顔があった。

 私の顔を覆うヴェールに触れて外す。


「やっと顔を見れた」


 頬を撫でた手のひらは、あたたかかった。

 そして、夏の緑のような美しい瞳。

 私に触れないでくださいと、アレシュ様に言わなくてはいけないのに、すっかり言葉を忘れてしまっていた。

 今まで私の周りにはいなかった眩しい明るさに、目を細めた。


「アレシュ様……あの……」


 慣れない至近距離に戸惑い、思考も動きも止まる。

 自分の唇に触れたもの気づき、ひゅっと息を吸った。

 息を吸うことさえ、忘れていたのだと気づく。

 でも、もう遅い。


 ――アレシュ様が死んでしまう!


 それは恐怖だった。

 なぜなら、私に触れた者は死ぬ――そう言われていたから。

 まるで、呪いのように、言い聞かされて育った。

 アレシュ様の体が傾き、私の目の前に重い音を立てて倒れた。


「アレシュ様っ!」


 私の叫び声に、異変を察した兵士たちが駆け込んでくる。


「アレシュ様! どうなさいましたか!」

「いったいなにが……!」


 兵士たちの呼び掛けにも応じず、アレシュ様は青白い顔をし、目を閉じたまま動かない。

 さっきまで、明るい笑顔を見せていたのに、口づけひとつで、こうなった。


『幸せになれると思うな』


 お父様の声が聞こえたような気がした。

 今までずっと、呪われた身でも、ささやかな幸せを探して生きていこうと決めていたのに、今の私は見つけられなかった。

 倒れたアレシュ様を見て、私は生まれて初めて絶望を味わったのだったーー

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