第2話 私の呪い

 呪いの力を目の当たりにしたのは、私が十六歳の誕生日を向かえる少し前のことだった。


「シルヴィエお姉様って、いつも幸せそうね」


 皇宮の木陰で刺繍をしていると、ロザリエがやってきた。

 

「そうですか? 刺繍が上手く縫えたので、嬉しい気持ちが、顔に出ていたかもしれませんね」 


 花の刺繍をしたハンカチを広げた。

 このハンカチは、毎日私の世話をしてくれている側付きの侍女へ贈る。

 里帰りした時のお土産に悩んでいたので、無地のハンカチを買って、刺繍してはどうかしらと提案したのだった。

 お給金は限られているけど、妹さんたちに、お土産を持って帰りたいという話だったから――


 ――私としたことが!

 

 実の妹であるロザリエに、まだ刺繍入りハンカチをあげていないことに気づいた。

 

「よかったら、ロザリエにも刺繍したハンカチを贈りたいのだけど、花と動物、どちらが好きかしら?」

「いらないわよ」


 あっさり断られてしまった。

 それも不機嫌そうな顔で。


「そうですか。残念です。ロザリエが欲しいって言ってくれるくらいまで、もっと練習して、上手くなりますね!」

「は? もうその刺繍、名人レベルじゃ……」

「え?」

「なんでもないわ! 欲しいなんて言うわけないでしょ!」

 

 刺繍したハンカチを眺め、私はうなずいた。

 ロザリエが言うように、まだまだ改良の余地があるかもしれない。

 もしかして、気に入らないのは図案?

 それとも、ハンカチの生地?


「わかりました。私、頑張りますね!」

「応援してないわよっ!」 


 レースを編んで、髪に飾るリボンでもいいかもしれない。

 私は銀髪だけど、ロザリエは金髪。

 ふわふわした髪、青の瞳をしたロザリエは、白いレースが似合うはず。


「にやけた顔をしないでちょうだい! 腹が立つのよ!」

「笑顔は人間関係を円滑にしますよ。ロザリエは可愛いから、微笑めば、きっとみんな喜びます」

「お断りよ」


 またも、あっさり断られてしまった。

 私のひとつ下の妹ロザリエは、呪われた私を敬遠することなく、気軽に話しかけてくれる。

 私たちは仲のいい姉妹だと思う。


「もうすぐ私の誕生パーティーなのよ。十五歳になるから、そろそろ私に素敵な婚約者候補が必要だなって、お父様はおっしゃっているの」

「まあ! ロザリエ、おめでとう。プレゼントはなにがいいかしら?」

「お姉様からのプレゼントなんていらないわよ。お兄様から、素敵なプレゼントをいただくもの」


 ラドヴァンお兄様を尊敬しているロザリエは、毎年、お兄様から誕生日に贈られるプレゼントを楽しみにしているようだった。


「私からもなにか考えておきますね」

「いらないって言ってるのが、聞こえなかったのかしら?」

「聞こえましたけど、私もロザリエの誕生日を一緒にお祝いさせてください。プレゼントを考えるのも楽しみのひとつですからね!」

「お姉様に祝ってもらわなくても結構よ。お父様が盛大なパーティーを開いてくださるの。お姉様は呪われているから、出席できないけどね?」


 お父様のお気に入りであるロザリエは、毎年、兄妹の中でも一番盛大な誕生パーティーを開いている。

 呪われている私は人に触れられないから、もちろん出席できない。

 呪いによって、なにが起きるかわからないからだ。

 忌まわしい皇女、呪われた皇女――私の誕生日は祝われたことはなかった。

 呪われた娘の誕生日を祝おうなんて気持ちにはなれないのだと思う。

 

「私が神から呪いを受けていると、国民や他国に知られるわけにはいけませんから、仕方ありません」

 

 もし、第一皇女が神に呪われているとわかったら、お父様に迷惑がかかる。


『皇帝の子が神から呪われるとは、行いが悪かったのでは?』

『神から皇帝陛下への忠告だ』


 そう言われ、皇帝の地位が危うくなるのを恐れている。

 だから、表向きは病弱な第一皇女として、外部に公表されているのだ。

 ヴェールや手袋は太陽の光を避けるため、パーティーなどの体力を使うものは、心臓に負担がかかるため――そんな理由をつけて、今までなんとかやってきた。

 でも、そのおかげで、呪いによって人が傷つくことは一度もなかった。


「お姉様って可哀想!」

「外に出られないのは残念ですけど、意外と楽しく過ごしていますよ?」


 上手く縫えた刺繍を指でなぞった。

 楽器、刺繍はもちろん、皇女として学ぶべき知識と作法――ただ、毎日を無為に過ごしているわけではなかった。


「それに時々、お兄様が私に欲しいものを聞いてくださるから、とても感謝しています」

「ふーん。お兄様とよく話すの?」 

「よくかどうかはわかりませんけど、毎日一回はお話に来られますね」


 ロザリエの表情が険しくなった気がした。

 でも、お兄様はお父様同様に、ロザリエを可愛がっていたし、誕生日パーティーのためにダンスの練習をしていると聞いた。

 だから、きっと今のは、私の気のせい。


「シルヴィエ。ここにいたのか」

「ラドヴァンお兄様。ごきげんよう。今日は天気がよかったので、庭で刺繍をしていましたの」


 黒髪に青い瞳をしたお兄様は、身長も高く、涼やかな目元をし、女性にも人気あると、侍女たちから聞いていた。

 華やかな美しさはないけれど、落ち着いた雰囲気があり、十八歳という年齢より、ずっと大人に見えた。

 お兄様は私とロザリエとは、お母様が違う。

 早くにお兄様のお母様が亡くなられ、側妃だった私たちのお母様が皇妃となった。

  

「今日はシルヴィエに本を持ってきた。皇宮の本を読み尽くしたと言っていただろう?」

「覚えていてくださったんですね。ありがとうございます」

 

 本を受け取ろうとした私をロザリエが、にらみつけた。


「ずるいわ! シルヴィエお姉様にだけ、本をプレゼントするなんて!」

「お前は本を読まないだろう? キャンディかチョコレートを贈ろうか?」

「子供扱いしないで! そんなの嫌! その本を私にちょうだい!」


 せっかくいただいた本だけど、ロザリエのものになりそうだった。

 ロザリエが欲しいと言ったものは、必ず譲ように言われていた。

 けれど――


「この本はシルヴィエに渡すつもりで、持ってきたものだ」


 そう言って、お兄様は私に本を手渡す。

 

「ひどいわっ! お兄様は私が嫌いなの?」

「違う。そうじゃなく、この本はロザリエには難しすぎる」

「そっ、そんなことないわ! お姉様と私はひとつしか変わらないのよ」


 私の手にある本をロザリエは乱暴に奪い取る。

 数冊のうちの一冊のタイトルを眺めただけで、ロザリエは黙り込んだ。


『帝国内の政治下における農地の変遷と歴史』

 代々の皇帝の施策によって、どんな変化がもたらされたか。

 そして、人の手が加わることで、土地がどうなったのかという興味深い一冊。


「ロザリエも興味があるんですか? それなら、読んだ後、一緒に内容を語り合いましょう!」


 嬉々として言った私を無視して、ロザリエはページをめくる。


「これ……。お兄様も読んだの?」

「ああ。読んでおいたほうが、後々、役立ちそうだったからな」


 お兄様はすでに、自分が皇帝になった時のことを考え、行動していた。

 そして、お兄様は後継者だからか、お父様はロザリエのように甘やかさず、厳しく接しているようだった。


「シルヴィエに本を返せ。読んだところで、お前には理解できない。後から、俺の側近に菓子を届けさせる。それでいいだろう?」

「な、なによっ! 私がお姉様より、馬鹿だって言いたいの?」


 ロザリエの青い瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれた。


「違う。本を読まないだろうと言っただけだ」

「ひどい。お姉様には直接、自分の手で本を渡すくせに、私には側近から渡すだけ……。おしゃべりだって、時々しかしてくれない……」


 泣いたロザリエに驚き、慌ててハンカチを差し出した。

 刺繍されたハンカチを見て、ロザリエは地面に投げ捨てた。


「お姉様なんか嫌い。大嫌いよ! 呪われて、みんなから避けられているくせに、お兄様を独り占めして!」

「独り占め? お兄様を?」


 なにを言っているかわからなかった。

 ロザリエは手に持っていた本を破ろうとした。

 それに気づき、手を伸ばして止めようとした瞬間――ロザリエの長く伸びた爪が、私の腕に食い込む。


「……っ!」


 痛みで顔をしかめた私を見て、お兄様が慌てた。


「ロザリエ。なにをしているんだ。やめろ!」


 お兄様が間に入り、私とロザリエを引き離そうとする。


「シルヴィエ。手に怪我はないだろうな?」

「ええ……。平気です。赤くなっただけですから……」


 私の腕に傷がないか、確認している隙をつき、お兄様の剣を奪った。

 気づいた時にはもう遅い。


「ロザリエ! やめて!」


 その剣先は私へ向けられた。

 本を盾にし、体を逃がす。

 避けきれず、ロザリエの剣は本をかすめ、私の皮膚をいだ。

 痛い――赤い血がパッと飛び散ったかと思うと、悲鳴が聞こえた。

 それはロザリエの悲鳴だった。


「きゃあああああ!」


 喉や胸を掻きむしり、苦しむロザリエの姿は、まるで毒を受けた人間のようだった。

 

 ――これが、私の呪いの力。


 血が原因だったのかと思ったけれど、私の血が付着したのは、ロザリエだけではなく、お兄様も同じ。

 だけど、ロザリエだけだった。

 私の呪いを受けたのは――


「ラドヴァンお……兄様……、助けて……」


 お兄様に助けを求め、ロザリエが血を吐き倒れる姿を見て、私は自分が本当に呪われた皇女であると自覚した。

 さっきまで、元気だったロザリエが、一瞬で苦しむ姿を目にしたら、認めざるを得ない。


「ロザリエっ! しっかりして!」

「くそ! すぐに人を呼んでくる。シルヴィエ。お前は自分の血を止め、他の者に付着しないようにしろ!」

「は、はい……」


 刺繍したハンカチを手にあて、お兄様にうなずいた。

 この場には、私とロザリエだけが残された。


「ロザリエ。今、お兄様が人を呼んでいますから、もう少し我慢してくださいね……!」


 ロザリエを殺してしまうかもしれない恐怖で、体を震わせていた私の耳に、狂ったような笑い声が聞こえてきた。


「ふっ……ふふふっ! これで、これでっ……お兄様は私だけを見てくれるわ!」

「え?」


 口からこぼれた赤い血が、地面に流れている。

 それなのに、ロザリエは苦しみながら笑っていた。

 欲しいものをどんな手段を使っても手に入れたいロザリエ。

 我慢せずに生きてきたから、お兄様が自分の思いどおりにならなかったことが悔しかったのだろう。

 だから、こんな真似をした。

 けれど、お兄様を手に入れた代償は大きかった。

 ロザリエの体を蝕む呪いは消えず、この苦しみが、ずっと続くことなったのだから――

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