第9話 途切れる声

 龍太郎が二階の廊下を歩いている。


 「信子。舞子の声が聞こえるぞ。舞子は戻っているのか? 信子? ノブコ! どこに居るんだ」

 「ママ、パパが呼んでるわよ」

 「パパは居ないわ。アナタが着いた日に家を出て行ったわ」

 「ウソ・・・。二階を歩いてるじゃないの」

 「二階? 二階なんて無いわ。家は潰れてしまったの」

 「え? ママ、私は家に居るのよね」

 「勿論よ。舞ちゃんは、ちゃんと家に居るわ。ママはいつもアナタを見てるわ」

 「ねえ、ママ、私をこの家から出して。舞子、外が見たいの」

 「だめよ。アナタはまだこの部屋が見えてるでしょう。部屋が見えなくなったら外に出られるわ」

 「え? ママ、どういう事?」

 

舞子は杏奈の『あの手紙』を思い出した。


 『なぜ? だって道が無くなってしまったんだもん。みんな途中で切れちゃうの。こんな家に居てもしょうがないジャン。もう二度と戻らないし戻れない。だからこの手紙はさよならの手紙』


信子が階段から、


 「そうよ、家を出たら二度と戻れないのよ」

 「え!? ママ、私の心が読めるの?」

 「何言ってるの。アナタ、今喋ったじゃない」

 「喋った?」


信子は笑って頷く。


 「そんな・・・。私、今、二階に上がったの。あの時ママ、私の後ろに居たわよね」

 「二階には誰も居ないわ。アナタはそこに寝てるじゃい」

 「ウソ! 私は起きてるじゃない。ママと話してるじゃない。ここに寝ているのは私よ! 私は夢を見ているの? ママの姿も夢? もう、この家は無いの? このソファーも無いの? 私はこの家には居ないって云う事? ねえ、ママ。ママは本当に居るの? 私を一人置いてママ。私はどこに帰れば良いの」


信子は優しく笑いながら、寝ている舞子を見ている。

信子が何か喋っている。


 「ち・・・な・・・み・・・たの。 ・・な? ・・・ら・・でしょ」


信子の言葉が消えている。

室内の灯りが点滅する。

龍太郎の声が二階から聞こえる。


 「おい! い・・・加減にし・・れ。・・じゃ絵・・・描け・・・ないか」


舞子は不思議な部屋の中をもう一度見回した。

部屋は万華鏡の様にクルクルと回っている。

突然、雨音が屋根を叩く。

雨音が何か喋っている。

とぎれとぎれの雨音と杏奈の声。


 「舞子。遊び・・・来たの。ここ・・・開けて。一緒・・浜へ行こう。素晴ら・・・景色よ」


舞子は階段を見た。

部屋の中の灯りが点滅しながら信子を消して行く。

信子を呼ぶ龍太郎の声も消えて行く。

雨音の中に杏奈の声がはっきりと聞こえて来る。


 「舞子! 遊びに来たの。ここを開けて。杏奈と一緒に浜へ行こう。素晴らしい景色よ」


舞子は急いで玄関に向かう。

玄関をノックする音。


 「コ~ン・・・コン・・・。 コ~ン、コ~ン・・・」


風の悪戯(イタズラ)か、ドアーに何かが当たる様な音が。

背後に誰かが見てい様な気がする。

振り返る舞子。

居間の鏡に私が映っている。

奇妙な舞子の姿。

舞子が振り返って居るのに、鏡の中の私は後ろ向き。

見ているのは舞子。

何処からかまた杏奈の声が聞こえて来る。


 「舞子、海は綺麗よ。ほら、こんなに可愛い貝。早く、早く。あ! 舞子、先に行かないで。杏奈を置いて行かないで」


ドアーをノックする音が続く。

杏奈の声も続く。


 「舞子、開けて。会いに来たの。杏奈よ。開けて」


舞子は急いでトイレに向かう。

トイレの窓を開けて外を見た。

コバルトブルーの海原にカモメとカラスが喧嘩している。

浜辺に打ち上げられた「壊れたヨット」。

あの時と全く同じ景色。

太陽も動いていない。


 『時間が止まっている』


舞子は叫んだ。


 「杏奈! 私はここよ。アンナ~!」


トイレを出て急いで玄関に向かう。

ドアーを開ける。


 「え! そんな・・・」


ドアーを開けると、そこにまた部屋が在る。

急いでその先の部屋のドアーを開ける。


  私が居た。


信子の声がする。


 「舞ちゃん、仮の退院よ」


龍太郎が二階で叫んでいる。


 「灯りを何とかしてくれ。絵が描けないじゃないか。舞子の声がするぞ。戻って来たのか。信子! おい、ノブコ!」

                          つづく

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