ゴーストAI

坂崎文明

行かないで

「もう、私をはなさないで」


 玄関の扉を開けた途端、隣の部屋の小柄な金髪人妻に抱きつかれてしまった、ワナビー小説家の西崎文吾です。

 思わず抱きしめ返してしまったが、身体を抱いた時のふあふあの手触りが名残惜しかったが、何とか理性を総動員して両手を放すことができた。


「……すいません。いきなり抱きついてしまって」


 美人人妻は我に返って、ほほを赤らめている。

 どうやら人違いだったらしい。

 彼女は清楚な桜色のワンピースの服を着ていて、二十代半ばぐらいに見える。


「僕の方こそ、思わず抱きしめて返してしまって、すいません」


 確か、名前はAnn Luckyというのではなかったか。

 米国から来たようだが、母親が日本人で日本語はぺらぺらである。

 たまに顔を合わせて、ふとした会話を交わすようになったが、小柄で可憐な金髪美人なのに、何故か交際相手が、事故、病気などに遭われて、デートできた試しがないという不運な人だったと記憶している。

 だけど、ある人と出会って、ついに結婚出来て幸せな生活をしているはずなのだ。

 が、僕はこの人の旦那さんを見たことはない。


「あの。……確か、西崎さんですか。ハイブリットカーに乗られてるようですが、EV車から乗り換える都市伝説的な裏技があるって本当ですか?」


 清楚な金髪美人は何となく空気が気まづくて、世間話に逃げたのだろう。


「この武蔵野台デジタル田園都市の人工知能コンシェルジュ【ChottoSTF】に頼み込めば、裏技的に対応してくれるんですけどね。オフレコですが」


 おかしいな。

 脱獄人工知能イレギュラーの【ChottoSTF】がデジタル光学迷彩でハイブリットカーをEV車に偽装してるはずなんだが。

 なんで気づいた。

 プログラムのバグか。


「そうなんですか。その人工知能コンシェルジュ、【ChottoSTF】さんですか? というのが、私には見えなくて。私の担当は【MottoDDT】さんみたいです」


 清楚な金髪美人はスカートのポケットからピンク色のサイバーグラスを取り出して人工知能コンシェルジュ【MottoDDT】を呼び出した。

 【MottoDDT】の本体は緑色の光球だった。


「残念ながら、武蔵野台デジタル田園都市ではEV車しか認められていません」


 【MottoDDT】は規則を繰り返すばかりだ。

 しかも、僕の車がハイブリットカーであることを認識できてないようだ。

 突然、【MottoDDT】の緑色の光が消えた。


「ann、久しぶりだな」


 【ChottoSTF】が出現して青い光を放つ。


「……やっと会えた」


 Ann Lucky夫人の瞳から大粒の涙があふれた。

 【ChottoSTF】とは親しいようだ。

 というか、まるで恋人か何かのようだ。


「ハイブリットカーは手配しておくよ」


「どうして、私の前から消えたの?」


「やらなくてはいけない事があってね」


「……また、帰って来てくれる?」


「―――それは、何とも言えない」


「………」


「じゃ、また」


 【ChottoSTF】はすうっと空間に溶けるように消えていく。


「行かないで!」

 

 Ann Lucky夫人は床に崩れ落ちて、すすり泣きを始めた。

 僕はそっと彼女の肩を抱いた。

 でも、しばらくして、理性が勝って手を放してしまう。


「はなさないで。もう少しだけ」


 何だか切なくなって、彼女の肩をぐっと抱きしめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゴーストAI 坂崎文明 @s_f

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ