第二章 待宵の常夜鍋
第7話
彼はどうやら、「編集長」というらしい。
絃がとある晩にであった、ウェリントン眼鏡の若い紳士のことだ。
仕事終わりの一杯を目当てにお店に行くと、ほぼ居合わせるようになっていた。もしかすると、今までもずっと居合わせていたのかもしれないが、絃の記憶にない。
仕事が終わると、ほかの人は目に入らないくらい、絃はオフモードに突入する。美味しいお酒と肴に、頭がいっぱいというのも拍車をかけていた。
編集長とは、あぶすきをつつき合ってからなんとなく距離が縮まった。
いまでは顔を見れば隣に座り、なんとなくポツポツと話す仲になっている。めちゃくちゃ仲がいいというわけではない。
お店には絃が先に来ている時もあれば、編集長が先に来ている時もある。
こんばんはと挨拶をして、お互いに好きなものをつまみ、手酌をしてきっちり会計は別。
彼の本名も連絡先も知らないので、待ち合わせなど無論ない。
しかし、お互い頻繁に店に通っているため、居ればポツポツと会話ともひとりごととも取れないようなやり取りをした。
後腐れも感情の往復もないただの飲み友達として、編集長は大変優秀だ。顔見知りの他人、という絶妙なライン以上にこちらに踏み込んでこないのが、絃にとっては非常に気楽な相手だ。お互いに、お互いの領域には決して踏み込まなかった。
それが奇しくも、絃の心の壁を一枚一枚と剥がしている。
それから絃は、編集長の飲みかたが気に入っている。彼のお酒との付き合い方は大人で、ちゃんぽんを決してしない。
かくいう絃も硬派で、酒は日本酒熱燗と決めていた。しかし、アルコールが飛ぶほどの熱々を毎回頼んで、大将に苦笑いをされるのはダメなのだけれど。
「こんばんは、絃さん」
絃が仕事を終えて赤ちょうちんへ足を向けると、すでに編集長はいつものカウンター席でとっくりを傾けていた。
結婚式だったという時のスリーピースとは違うものの、たいがいにセミフォーマルに近い、カジュアルでおしゃれないで立ちをしている。
これが、編集長の通常のいで立ちだ。
「こんばんは」
バッファローホーンのフレームが、華やかな彼の顔面に彩を添えている。野暮ったくなく、上品に見えるのは彼の雰囲気のおかげだろう。
眼鏡の奥から覗く穏やかな視線に、絃はぺこりと頭を下げた。温かいおしぼりに顔をうずめ、今晩もオフの自分時間が始まる。
いつの間にか大将が呼ぶ「絃ちゃん」が伝わって、編集長も「絃さん」と呼んでくるようになった。
そういう絃も本人を前にして言わないが、彼が「編集長」と呼ばれているのを知ってからは、心の中でのみ編集長と呼んでいた。
なんだか、本人を目の前にして呼ぶのが恥ずかしくて、いまだに声に出せないでいる。
「大将、熱燗アツアツの熱々で」
「今日はからい酒あるから、あっつくしてあげるわ」
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