手をはなさないで

だるまかろん

手をはなさないで

「手を離さないで!」

 俺はそう叫ぶべきだった。だが、俺にはできなかった。大津波が押し寄せ、繋いでいた手が少しずつ離れていった。

「捕まれ、捕まれ!」

 俺はとにかく必死に引き上げようとした。しかし、俺の力が足りなかった。友人の手が、離れた。

「………。」

 その手が離れた瞬間、俺は自分を何度も責めても自分を許すことができなかった。

「これ以上はダメだ、上に上がれ!」

 後ろから声がした。俺は上にいる人の手を取り、より上に逃げた。なぜ友人が下にいて津波にのまれ、俺が上にいて津波にのまれないのか。先に行けと道を譲るような優しい友人が、犠牲になってしまったのか。

 俺が日頃からもう少し筋肉を鍛えていれば、友人を引き上げることができたかもしれない。俺の中の後悔は、毎日毎日大きくなっていった。

「一緒に旅に出ようって、約束したじゃないか……。」

 一緒に焼き肉屋に言って語り合った日のことを思い出した。俺は涙が出なかった。ここで泣くことで、友人はもう戻ってはこないからだ。俺は、とても無力な生き物だった。

 その日から、俺は腕立て伏せを毎日行うようになった。そうしなければ、友人の命が報われない気がしたからだ。

「焼き肉屋を、開業しようと思っている。」

 思い切って、彼女に打ち明けた。すると彼女は、どうして開業したいのか理由を詮索しなかった。

「焼き肉、美味しいよね。開業したら、私も焼き肉が食べたいな。私もお店を手伝っていいかな。」

 正直、開業なんてやめて欲しいと言うと思っていた。しかし彼女は俺に寄り添って、手伝いたいと懇願したのだ。彼女の父親も、また津波の被害を受けて亡くなっていた。

「美味しいものを食べて、毎日を楽しく生きることは大切よ。そして何があっても、残された自分の命を無駄にしないで、全力で生きることも大切なのよ。」

 

食べることは、幸せなことなのか?


 俺の頭の中には、そんな考えが浮かび、再び消えていった。

 あれから十年以上経って、俺は、焼き肉屋を開業した。

「よし、やっと開店だ。」

 この日のために、インターネットなど、あらゆる広告媒体から集客をした。開店前から、すでに十人並んでいる。ご予約済みのお客様が、今か今かと待ち構えているようだった。

「開店おめでとう!」

 友人の妹が、花束を持って来店した。一人目のお客様は開店前から決まっていた。

「兄は、焼き肉が好きだったの。念願が叶って本当に良かったです。」

 友人の妹は、涙を流した。そして、大きな声で注文した。

「特上カルビ、二皿ください、それからビールを二杯ください。」

「特上カルビ二皿、ビール二杯、注文ありがとうございます!」

 声にも力が入った。絶対に離さないと誓った、あの日の後悔が、少し解けたような気がした。

「美味しかったです。また来ます!」

 友人の妹は、その後も肉を注文した。しばらくして食べ終え、彼女は会計を済ませた。彼女の涙は消え、笑顔になっていた。

 何も戻ってこない現実が、ただ俺の中にぐるぐるとする。今も、あの手を離さないでいれば……どうなっていたのかと考えると夜も眠れない。

 俺は、過去の後悔を、焼き肉のような臭いで見えない状態にしておくことで、誤魔化そうとしていた。

 しかし、それは許されない。閉店後の店内の臭いは、俺の後悔と同じで、心の中から消えることは無かった。

「ごめんな、救ってやれなかった。だから一生、俺はお店を続けるって約束するさ。食べたくなったら、いつでも帰ってきてくれよ。」

 俺は、友人の写真を飾り、閉店後の店内で一緒に焼き肉を食べた。

「美味しいよ。本物のきみと一緒に食べたかった。」

 その言葉は、話さないで良かったはずだった。俺の目には涙が溢れて止まらなかった。

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