1 英雄はへなちょこ教師になりました
辺りには、喧騒と酒の匂いが満ちている。
蒸し暑い日のことだった。酒場には熱気が充満して、薄暗い照明の中、他の客や店員たちの姿を蜃気楼のように見せていた。
「ルディ、もう1杯どうだ?」
テオドールは明るい声で言って、グラスを掲げた。
対面の席には2人の男が座っている。
クールな面持ちでグラスを傾けているのはセザール。
その隣にいるのはリュディヴェーヌだ。彼は酔っているのか、ふにゃふにゃとして、机の上でだれていた。
「うーん……僕はもういいよ」
「そんなこと言わずに! ほら、もっと飲めよ」
「いいってば。君、今日はしつこいなあ」
リュディヴェーヌは目を細めて、テオドールを睨みつける。すると、セザールがしれっと告げた。
「もしかして、ルディを酔い潰したいのですか?」
「うっ……!?」
テオドールは敏感に反応を示した。
『図星』と顔に出る。
セザールはドン引きの目で彼を見ると、
「……うわ……うわあ……もしかして、そういう目的で? 引きますよ……」
「ちがうって! いや、ほんと、ちがうからな!? 誤解するなよ、ルディ!」
テオドールは焦ったように、リュディヴェーヌを見る。しかし、彼はきょとんとしていた。
「えーっと……そういう目的、って何?」
「良かったですね〜。相手が鈍感すぎて、セクハラ事案にならなくて」
「うるせっ! そうじゃなくて、俺は酒の席なら、聞き出せるかなって思ったんだよ」
彼はバツが悪そうに頭をかく。
気まずさを誤魔化そうとしているのか、タバスコを執拗にポテトへとぶっかけた。セザールが嫌そうな顔でそれを眺めている。「ああ、またそんなにかけて……」という恨み言を聞き流しながら、テオドールはもう一度、リュディヴェーヌに向かい合った。
神妙な面持ちに切り替わると、
「俺がルディに初めて会った時、あんた、死のうとしてただろ?」
「うん」
「何があったんだろうって、ずっと気になってたんだけど……。ほら、さすがにそんなこと聞いちゃまずいだろ?」
「聞いてるじゃん」
「言ってるじゃないですか、今まさに」
「セザールが言わせたんだろ!?」
「人のせいにしないでいただきたい」
セザールは、澄ました顔でグラスに口をつけている。彼の顔をテオドールは恨めし気に睨みつけた。
そして、そんな2人を眺めているリュディヴェーヌ。やがて、彼は体を起こすと、静かに息を吐いた。
「僕……実はレルクリア人じゃないんだ。出身は、グリフィリア帝国なんだよ。それで……まあ、いろいろあったんだ。帝国で……」
その声音と、彼の表情だけで十分だった。痛ましげな空気が流れ、2人は気遣うような面持ちをする。
「そっか……」
テオドールはしみじみと言った。
気まずい沈黙がテーブルに満ちる。酒場のざわめきが遠いことのように聞こえた。
気をとり直すように、テオドールは笑顔を浮かべると、
「でも、ルディが帝国でいろいろとあってくれてよかったよ! そのおかげで、レルクリアに来て、こうして俺たちと会えたんだからな! って、あ……」
言ってからハッとして、口をふさいだ。
「今の発言って、不謹慎だったか?」
「ええ。デリカシーがなさすぎますね」
「おお……そうかあ。悪い、ルディ」
テオドールはしょんぼりとしながら、彼の顔を窺う。
まるでお伺いを立てるような態度だ。目が合うと、リュディヴェーヌは、ふふ、と頬を染めて笑った。
「……ばーか」
◇
(…………夢)
起き上がってしばらくの間、レオナルトはぽーっとしていた。
今しがたまで見えていた光景はとても鮮明なものだった。だから、意識がそこからなかなか浮上できない。
酒場の雰囲気、ざわめき、明るい空気。目覚めた後も、今もはっきりと感覚に残っている。
しばらく呆然としてから、レオナルトは起き上がる。
(今日の夢は、初めて見る内容だったな)
三英雄の夢を見るようになって、数年が経っている。
その内容は、日によってまちまちだ。時系列もぐちゃぐちゃだし、断片的であった。
内容を頭の中で反芻してから、
(……新しい情報をゲットした)
レオナルトはうんうんと頷いた。
ベッドから降りて、机に向かう。そして、1冊のノートを開いた。
夢の内容を忘れないように、メモしているのである。
今日の夢では、彼らはこんなことを話していた。
『リュディヴェーヌは実は帝国出身である ←その時に何かあった? テオドールと会った時に死のうとしていたのはそれが原因』
三英雄それぞれについて、ページをわけて記載している。でもなぜか、やたらとリュディヴェーヌのページだけ分厚くなっていた。
他に書くことはあったかな、とレオナルトはもう一度、夢の内容を思い出す。
そういえば、最後にリュディヴェーヌが笑っていた。
『――ばーか』
気安い罵倒。
そこに載せられた信頼と、親密そうな雰囲気。
それを思い出して、レオナルトはむずがゆい感覚に襲われる。衝動のままにペンを走らせた。
『リュディヴェーヌの笑顔は、とても可愛かった』
そのメモに視線を落としてから、彼は赤面する。
(……って、俺は何を書いてる!?)
ばーん! と、ノートを乱暴に閉じる。
ちなみに、彼の寮室は個室ではない。ルームメイトがいる。
「レオって、意外とお茶目だよな」
グレンが歯を磨きながら、しみじみと言った。
◇
魔導学校リブレキャリア。
――早朝のこと。
夏が過ぎ、肌寒い風が吹きこむ季節である。朝特有のぴんと張った空気は、肌に突き刺さるような冷気を孕んでいた。
大人が思わず身震いするような寒さも、生徒たちの若さにかかればどうということもない。校舎内は活気にあふれ、明るい雰囲気に満ちていた。
数人の男子生徒が廊下で、1冊の教科書を覗きこむ。
「お前、また史実の教科書見てんのかよ」
「リュディヴェーヌ・ルース、綺麗すぎる……俺、マジ好みなんだよなあ、この顔」
「魔導を作ったのって、この人たちなんだよなあ。こんな人が先生してくれたら、最高なのにな。俺、真面目に授業受けちゃう」
「お、それ、いいじゃん!」
「いいよなあ。リュディヴェーヌ先生とか……最高」
彼らはその光景を想像しているのか、にやけきっていた。
すると、
「おい」
底冷えするほどの声がかけられる。
彼らが顔を上げると、学校一の『危険人物』であるという噂の少年がそこに。
レオナルト・ローレンスが彼らを睨み付けていた。
赤髪に、同色の瞳。その場にいるだけで人目を惹き付ける、整った見目をしている。だが、それはどこか危うさを秘めた魅力だった。剣呑な眼光は、触れるものをすべて傷付けるナイフのような鋭さを持っている。
レオナルトは不快そうに吐き捨てる。
「邪魔だ」
「ひっ、ローレンスくん! ごめんなさい……!」
そんな『札付きの不良』に突然、声をかけられて。
男子生徒たちは震え上がった。レオナルトにそそくさと道をゆずる。
――その時だった。
「わー!? ごめんなさーい!」
降ってきたのは情けない声。
吹き抜けになっている階段から、大量のノートが降り注いだ。ばさばさと開閉をしながら落下。レオナルトの頭に命中した。
上階の踊り場から、1人の教師が顔を覗かせている。そして、「あ、レオ。ごめんね?」と呑気に謝罪をした。
男子生徒たちは絶句している。顔面を蒼白にして、その光景を見た。
「ローレンスくんにあんなこと……殺されるぞ、あの教師……」
階段をバタバタと駆け下りて来たのは、9月に学校に赴任したばかりの新米教師。
リーベ・バルテである。長い銀髪をゆるく結んで、身なりのいい格好をしている。だが、メガネをかけた容姿は何とも地味であった。
レオナルトは頭にかぶっていたノートをどかして、リーベを顧みた。
その動作だけで、周囲の生徒は縮み上がる。
これは間違いなく怒っている……!
きっと怒鳴りつけるのだろう。もしくは突然、殴りかかるか?
固唾を呑んで、周囲が事の成り行きを見守っていると。
「アホ、ちゃんと持て」
意外なことに、レオナルトは廊下に散らばったノートを集め始めた。
「ありがとう……レオ。あ、待って」
レオナルトはノートをすべて回収すると、抱えて歩き出す。それをリーベが慌てて追っている。
怒鳴るどころか、殴りかかるどころか、ノートの運搬を手伝うつもりらしい。
周囲の生徒たちは「どうなってんの?」と、顔を見合わせるのだった。
(つーか、あの教師、ローレンスくんのこと、『レオ』って呼んでなかったか!?)
(幻聴か、幻かな……)
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