第31話 こうして、英雄は蘇った【終】


 今日の『星空』は、また一段と輝いているように見える。

 セザールは自室の窓際から、夜空を見上げていた。深い藍色のペンキをぶちまけたような空だ。合間には星光石の光が瞬いている。


 かつて、人は大地で暮らしていたという。

 大気にはマナがあふれ、古代魔術によって世界は繁栄を極めていた。その大地がどうして損なわれてしまったのか。

 それには諸説あるのだが。

 世界中に知れ渡るもっとも有名な一説には、下記のようなものがある。


『その日、遠い空に輝く星は落ちた――』


 そして、大地は破壊され、人類は空に居住地を移した。その時降り注いだ星は砕け散って、空に漂うようになる――それが星光石だというのだ。

 さて、真実はいかに。

 セザールは自嘲気味に笑うと、窓辺に歩み寄る。カーテンを引こうと手を伸ばした。

 その時、空から影が落ちた。

 それは人の形となって、ベランダへとふわりと降り立つ。


「こんばんは。この国でもっとも偉い人」


 旧友が窓の外でほほ笑むのを見て、セザールは呆気にとられる。

 それから眉尻を下げた笑顔を浮かべた。


「こんばんは。我が国の英雄よ」


 セザールの自室には、ワインセラーとカウンターがある。リュディヴェーヌはカウンターのスツールに腰かけた。

 セザールはブランデーの封を開ける。グラスに注ぎながら、


「教師、続けることにしたんですね」

「うん。僕が、間違っていたよ」


 そう告げるリュディヴェーヌの横顔は落ち着いている。セザールは安堵した。

 ここ数年のリュディヴェーヌは、見ているだけでも痛々しかった。テオドールのことに敢えて触れずに、表面上は明るく振る舞っている姿を見る度に、その内側に潜む傷がどれだけ深いものなのかと。セザールは想像するだけで、心を痛めていたのだ。

 だが、今のリュディヴェーヌはひどく穏やかな表情を浮かべている。


「テオが死んでから、世界なんてどうでもよくなった。でも、あの子たちを見ていたら……そう思えなくなった」


 話しながら、何かを思い出しているのだろう。リュディヴェーヌは口元を緩める。


「真っすぐで、迷いがなくて、でも視野が狭くて、危なっかしくて……。あんな姿を見ていたら、とても傍観者なんかではいられないよ」


 そう語る彼の面持ちは、すっかりと『先生』らしいもので。


(――案外と様になっているじゃないですか)


 セザールも頬を緩めた。


「彼、見込みがありそうですか」

「誰かのために自身を犠牲にすることをためらわないことを勇気と呼ぶのなら。あの子はもう勇者だよ。僕はあの子をテオドールのような……英雄にしてみせる」


 リュディヴェーヌが掲げたグラスに、セザールは自分の物を打ち合わせた。


「それでは、あなたの人生の再就職を祝して。――リュディヴェーヌ様」


 グラスを煽りながら、リュディヴェーヌはにやりと笑った。


「その呼び方、やめなよ」

「おや、何がです?」

「君、わざとやってるでしょ。――僕が誰なのか、思い出させようとするために」


 彼の笑みにつられて、セザールはほほ笑んだ。


「ええ。そうですね。……ルディ」


 口調を変化させる。よそよそしい呼び方から、親友を呼ぶ時の親密なものへと変わった。

 互いにグラスを傾ける。静かな時間がしばらく流れた。

 リュディヴェーヌがパッと顔を輝かせ、セザールの方を向く。


「あ、そうそう、君が言った通りだったね。あの子……ちょっと、テオに似てるかも」


 その笑顔は、傷を覆い隠そうと必死でとりつくろうものではなく、心からの笑顔だった。

 リュディヴェーヌのこんな顔は久しぶりに見たな、とセザールは思う。


「でも、思考は似ていると思うけど、テオよりも乱暴なんだよね。レオナルトくんは」

「テオも若い頃は似たようなものでしたよ」

「え、うそっ!?」


 リュディヴェーヌが興味を引かれた顔で、身を乗り出してくる。

 その様子にセザールは笑った。心を温かいものが満たしていく。やっと自身の望みを叶えることができそうだからだ。


 本当はずっと、話したかった。

 テオドールとの思い出を誰かと分かち合いたかった。

 だけど、テオドールの死後……あれほど憔悴した様子のリュディヴェーヌを前にしたら、その話題を口にすることはできなかった。

 テオドールの名を耳にしただけで、彼の心が壊れてしまうのではないかと思えて。セザールは口を閉ざしてしまった。


 だけど、今ならその心配はないのだと確信を持てる。

 リュディヴェーヌの碧眼は好奇心を顕に、キラキラと輝いている。学者気質の彼は「未知のもの」にすぐ食いついてくるのだ。知らないことを知る度に、目を輝かせて笑う。


「ねえ、教えてよ。僕の知らないテオの話を」


 ――こんな風に。


「そうですね。それでは、どこから話しましょうか」


 グラスに反射する自分の口元も、緩やかな弧を描いている。




 それは誰もが知っている英雄の、誰も知らない、一面のお話。

 テオドールがまだ、手に負えない乱暴者だった時代――。

 いくつもある伝説のうちから、まずはどの物語を語ってやろうかと。


 セザールは静かに吟味を始めるのだった。



終わり




+ + +


最後まで見ていただきまして、ありがとうございました!

今後のリーベの学園生活は、レオナルトたちと騒がしく楽しいものになると思います。

こちらのお話を気に入っていただけたら、☆評価や感想をいただけると嬉しいです。

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三英雄の魔術師 ~無能教師と思われてるけど、実は最強です!~ 村沢黒音 @kurone629

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