第19話 英雄はごはん代をせびられる

 予鈴が鳴り響く。どこか侘しげに聞こえるのは、それが最終下校を告げるチャイムだからだ。

 校舎の外階段にリーベは佇んでいた。思い詰めた顔で、考えにふける。


 今回の任務をセザールから任された時、心の底からどうでもいいと思っていた。適当にこなして、さっさと城に戻って、引きこもり生活を続行したかった。そのためには何でもするつもりだった。

 政府が誰かを殺せと言うのなら、その通りに殺す――。

 そのつもりでだったのに。


(……それはただの逃げだ)


 そのことにリーベは気付いていた。

 もう誰かと関わりたくない。誰かに物を教えたくない。そのためには『暗殺』の道を選んだ方が楽だった。


 ――以前の僕なら。リュディヴェーヌなら、もっと慎重に物事を運んだはずだ。1人の少年の命が関わってくる問題なのだから。


 もう一度、考え直すべきだとリーベは思った。

『レオナルトに勇者の器はない』とリーベが判断したのは、カツアゲのシーンを目撃したからだった。


(でも、あれは僕の勘違いだった)


 実際はエリアスに非があったわけで……。それで暴力に訴えることについての是非はあるにしても。

 だが、レオナルトの問題行動はそれだけではない。彼は教師を辞職させ、1人の少年を自殺に追いこんだという噂がある。しかし、あくまでそれは噂。本来ならその事実確認をとるべきだ。それを怠って、楽な道を選択しようとしたのは、やはり間違っている。


 では、カミーユの遺書はどうか?

 あれは確かな証拠になるだろうか?


 あの遺書には、レオナルトの名が書かれていた。


(……いや、それもまだわからない)


 遺書を見つけた時、そこに書かれていることをリーベは疑いもしなかった。それは『レオナルトが問題児である』という先入観があったからだ。その前提が崩れかかっている今、リーベの心には何かが引っかかっていた。


(あの遺書には違和感がある。だけど、それが何かがわからない)


 どこをおかしいと思うのか。リーベは確信が持てなかった。

 あの遺書をもう一度見たら、わかるかもしれない。ファブリスに頼んで見せてもらおうか、と考える。

 階段を登っていたリーベは、そこで足を止めた。


 外階段と校舎を隔てる扉。そこにレオナルトが立ちふさがっていた。顔に影がかかって、表情が窺えない。


「昨日の話。答え、出した」

「あ、うん」


 リーベは彼を見上げて、ほほ笑む。


「聖剣、見せてくれるって話だったね」


 ぽやぽやとして、隙だらけのリーベ。

 一方で――レオナルトは真逆の雰囲気をまとっていた。

 レオナルトが顔を上げる。夕日の当たる角度が変わり、彼の表情が露わとなった。赤い瞳の奥で、激しい感情が弾ける。


「ああ……お前、これが狙いだったんだな」

「え……?」

「俺は、お前の言いなりになんてならない。いつだって、自分で何とかしてきた。今回だってそうだ」


 据えきった眼差しは、狙いを定めるかのごとく残忍だ。

 リーベが思わず息を呑むほどの眼光だった。

 ――次の瞬間。

 レオナルトはリーベの腹を、ためらいなく蹴った。


(ふわ……!!?)


 リーベは内心で大混乱しながら、倒れる。

 階段の中段に立っていたので、そのまま踊り場まで崩れ落ちた。

 ――ちなみに蹴られそうになった直前で、結界を展開。

 地面に激突する寸前で、飛行術を一瞬だけ使用。ふわりという浮遊感に包まれて、安全に着地を決めた。


 そのおかげで無傷ノーダメージである。

 だが、脳内では大混乱だ。


(えー!? 何……何……!? 何でこの子、こんなに怒ってるの!?)


 レオナルトを見上げる。

 視界に入ったのは、脚――。

 階段の上段から、レオナルトが飛び降りてくるところだった。

 リーベの横に着地を決める。

 おお、運動神経がいいな……。と、リーベはずれた感想を抱いた。


 レオナルトはこちらの胸倉をつかんで、


「――お前が持ってるもの、出せよ」


(あー、お金? お金かな? 僕、カツアゲされてるのかな~!?)


 リーベは降参のポーズで両手を上げる。


「教師って安月給なので!」

「……は?」

「ここは、パンとかで許してください。レオナルトくん、何パンがいい? 僕はミンスパイが好きだよ……って、あ、パイってパンには分類されないのかな?」

「お前、ふざけてんのか!?」


 リーベには危機感がない。

 実際に恐怖をまったく感じていないのだから、当然だ。だから、本人はおちょくっているつもりはないのだが、レオナルトはそうは思わなかったようである。

 怒りを目に宿して、拳を振り上げた。

 その瞬間、リーべのぽやっとした雰囲気が消え去る。細めた目に冷然とした色が宿った。


(えー……もう、よくわかんない子だなあ。ちょっとだけならいいよね?)


 彼が魔術で反撃を試みた、その直前で、


「やめろ、レオ!」


 誰かがレオナルトの拳を受け止めた。

 アルバートだ。


「リーベちゃんに何してんだよ!」

「離せ、アル! そいつがアレを持ってんだよ!」


 2人は揉み合いになり、アルバートがレオナルトを突き飛ばした。

 アルバートの姿を見たことで、リーベは我に返る。冷然としていた瞳には光が戻り、元のふにゃりとした雰囲気になった。


(あぶな……っ。今、レオナルトくんに攻撃魔術をぶつけるところだった)


 その場合、たぶんやりすぎて、レオナルトを瀕死にしかねなかった。

 そうならずに済んで、リーベは安堵する。

 その間も、レオナルトとアルバートは言い合いを続けていた。


「リーベちゃんはおれの恩人だ。リーベちゃんに手を出すなら許さない」

「は? お前には関係ないだろ」

「あるって言ってんだろ。落ち着けよ」

「うるさい、そこどけ」


 両者の視線が険悪に交わる。

 レオナルトが手を振り上げ、それに応えようとアルバートも構えた。

 その間に、


「わ、わ~! ケンカは、ダメ!」


 リーベは割って入った。

 同時に風の魔術をこっそり発動。2人を弾き飛ばした。

 レオナルトとアルバートは尻餅をついて、目を瞬かせている。何が起こったのか、わかっていない様子だった。


(あ……やってしまった)


 リーベは内心で汗を流すと、


「えーっと、ほら、この階段、濡れてる! 君たち、すべっちゃったんだね?」


 苦し紛れで、誤魔化しにかかった。

 リーベは2人に向かって手を差し伸べると、


「大丈夫?」

「え……あ、ああ……? ありがとう、リーベちゃん」


 アルバートは釈然としない様子だが、素直に手を握ってくる。

 一方で、レオナルトはその手をぞんざいに振り払った。


「俺は絶対にあんたを許さねえからな」


 殺気のこもった視線でリーベを射抜く。そして、その場から立ち去った。

 アルバートは怪訝そうにその背を見送っていた。


「どうしちゃったんだよ、レオ……。普段はあんなこと、ないんだけどな」

「レオナルトくん、お腹でも空いていたのかな? だから、僕からごはん代をせびろうと、カツアゲを……」


 リーベが言うと、アルバートが呆れたような目で見てきた。


「ぶちギレたレオを前にすると、おれでさえ、ちょっと怖いぜ? それなのに、リーベちゃんって、すげー天然なのか……」

「うん?」

「それとさ。これだけは誤解されたくないから言っておく」


 アルバートはリーベの肩を叩くと、真面目な顔で告げた。


「レオは、カツアゲなんてしない」

「え? あ、うん……」

「悪いな。リーベちゃん。レオ、何かあったんだと思うよ。おれがレオを宥めておくからさ……」

「うん……」

「怪我してないか? 医務室まで一緒に行くよ」

「えーっと……」


 無傷である。

 だけど、アルバートがどこから様子を見ていたのかもわからない。


(さすがに、無傷って知られたら怪しまれるよね……?)


 リーベはその好意を受けとることにした。




 アルバートに医務室まで送ってもらい、そこで別れる。

 養護教諭に「どうしたんですか?」と聞かれて、リーベは「あー……どこか痛い気がするんです。お腹とか」と適当に答えたところ、「帰ってください」と追い返された。


 廊下から中庭へと出たところで、リーベは首を傾げていた。


 ――それにしても、レオナルトくんは何であんなに怒っていたんだろう?


(昨日、話した時は普通だったはずなんだけどなあ)


 そう考えていると、傍らから「リーベさん」と声をかけられる。

 エリアスだ。植込みの中で膝を抱えこんで、座っている。隈のできた目が、じと……と、リーベを見上げていた。


(なぜそこに!?)


 びっくりして、リーベは後ずさる。

 エリアスは頬を染め、目を輝かせている。期待にあふれたような顔をしている。


「う、うん……? どうしたのかな、エリアスくん」

「ああ、言い間違えちゃった……ごめんなさい」


 エリアスは立ち上がると、リーベのそばに寄ってきた。じりじりと後ずさるリーベ。

 彼はうっとりとした声で続けた。




「ね――リュディヴェーヌさま?」




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