第20話 英雄はパンツをせびられる

 本名を呼ばれた途端、リーベは石と化した。

 内心では大騒ぎで、


(うわああ、ば、バレた――!?)


 ――どうしよう? 誤魔化す? そもそもどこでバレた!?


 どうやって誤魔化せばいいのかもわからず、棒立ちだ。

 リーベは内心でだらだらと汗をかきながら、エリアスを見る。エリアスは雄弁に語り出した。


「今日だけでも、結界と、飛行術。あと、風の魔術で先輩たちを突き飛ばしていたよね?」

「へっ……!?」

「今までもいっぱい感じたよ。マナの匂い。僕にも回復魔術をかけてくれたでしょう? あれ、すごくよかったなァ……」

「何で知ってるの?」

「僕ね、マナの匂いを識別できるんだ。リュディヴェーヌさまのマナはすごくいい匂いだから、すぐわかったよ……」


 誰にもバレてないと思った魔術が、気付かれていた。リーベは恥辱のあまり埋まりたくなった。


(わーっ、これからは誰も見てないからって不用意に魔術使うの、やめよう!)


 その間も、エリアスは一方的に語り続ける。


「クリフォード先輩もね、いい匂いのマナを持っているんだよ。だから、あの匂いをどうしても嗅ぎたくなって、私物を盗んだりしちゃったんだけど……。でも、これからはその必要もないよね。僕には、リュディヴェーヌさまがいてくれるから……ふへ……」


 エリアスはリーベを見つめて、含み笑いをする。リーベはようやく固い声で答えた。


「あの……エリアスくん。僕の正体がリュディヴェーヌであることは、誰にも言わないでほしいんだけど……」

「うん……いいよ……。その代わり、僕のお願いも聞いてくれる?」


 エリアスは笑う。それは粘着質な笑顔だった。

 リーベは冷や汗を流しながら、尋ねる。


「うん……。何かな?」

「僕からの条件は、リュディヴェーヌさまのパン」

「ツ以外でお願いします!」

「そう? それじゃあ……」


 エリアスが口にした『条件』に、リーベは真っ赤になった。


「えー、ううーん……それは……」


 ――そんな恥ずかしいことを!?


 とうろたえるが、この場合、背に腹は変えられない。


「わかった。いいよ、それで……」


 リーベは渋々と頷く。

 すると、エリアスは頬を上気させた。興奮を抑えられないように、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。


「やった、すごい、わああ! う、うれしいな……っ。じゃあ、ね……? リュディヴェーヌさま……」


 熱を帯びた眼差しを向けてくる。

 荒い息を吐き出しながら、リーベに1歩を踏み出した。


「さっそく、シよっかぁ……」


 リーベは後ずさり、片手を前に出した。


「あのっ、学校ではそっちの名前じゃなくて、リーベの方で呼んでもらえると……」

「そうだったね。リーベさん……はあはあ……ああ、ごめんね……。僕、興奮しちゃって……」


 恍惚と頬を染め、エリアスは接近してくる。

 リーベは覚悟を決めて、直立不動の姿勢をとった。エリアスがリーベに触れる寸前、


「あ、そうだ。もう1つ聞きたいことがあったんだ」


 彼はそう言って、手を下ろした。


「ねえ、リーベさんの顔って、幻術で変えてるんだよね? その魔術って他にも提供してる?」

「どういうこと?」

「え? だって、あの人もあなたと同じ顔をしていたよ……。見た目だけなら、区別できないだろうね。僕はマナの匂いでリーベさんじゃないってわかったけど」


 リーベは愕然とする。


(僕の偽物がいるってこと? けど、リュディヴェーヌの方ならまだしも、リーベになりきっているなんて、どういうつもりだろう)


「エリアスくん。君はマナの匂いで、人物を特定できるんだね?」

「うん。この学校にいる人のことならわかるよ」

「じゃあ、僕に化けていたのは誰?」

「……教えられない」


 エリアスは物憂げな面持ちで答える。


「だって、わからないんだ」

「学校の人間じゃないってこと?」

「ううん。そうじゃない。そいつ、まったくマナがないんだよ。そんな人間、いるはずがないのに……」


 彼の言葉に、リーベはハッとした。



 ◇


 レオナルトは憤然と廊下を歩いていた。


(あの教師! 無害な顔して、あんなことを!)


 怒りが次々と噴出してくる。

 血が上りすぎて、まともな思考ができない中、レオナルトは必死に考えていた。


 ――あいつがアレを持っているなら、すぐにとり戻さなくてはいけない。そうしなければ……。


 そう思いながら、階段を下ろうした時。

 レオナルトは絶句した。視線の先――踊り場に、その姿があった。

 夕闇が佇む影を伸ばしている。

 レオナルトの前に立ち塞がっていた相手。

 それは今しがた脳裏に思い浮かべていた男だった。


「ローレンスくん。昨日の話だけど、結論は出たかな?」

「お前……!」


 レオナルトはきつい眼差しで、リーベを見据えるのだった。



 ◇



「グレン、クリフ! レオを見てねえか?」


 グレンがアルバートに声をかけられたのは、学生寮の食堂でのことだった。

 時刻は夕食時。腹を空かせた生徒たちが、列を作って食堂に集まって来ている。

 グレンはクリフォードと顔を見合わせる。そして、2人で首を振った。


「いや、知らないが」

「うん。そういえば、今日の放課後はずっと見てないよね」

「あー……そっか」


 アルバートはがっかりした様子を見せる。

 そこでグレンも妙だなと思った。

 グレンとレオナルトは寮が同室だ。しかし、レオナルトは部屋に戻ってこない。放課後になってから姿を見ていないのだ。

 昨日、レオナルトはリーベと話をしていた。その後、寮室に帰ってきたレオナルトは様子がおかしかった。


「リーベ・バルテ」


 グレンはぽつりと呟いた。

 クリフォードとアルバートが目を丸くしている。


「あいつなら、何か知っているかもしれないな」

「何でだ? あ、そういえば……」


 アルバートがハッとした顔をする。


「レオ、今日は様子がおかしかったんだよ。リーベちゃんにつっかかってたんだ。おれが止めたんだけど、そしたら、『そいつがアレを持っている』って言っててさ」

「何だと!?」


 グレンは目を見張る。


「まずいな……」


 食堂の列から外れて、グレンは歩き出す。

 アルバートとクリフォードが慌てて追ってきた。


「おい、どうしたんだよ、グレン!」


 それには答えず、彼は足早に本校舎へと向かう。

 目指すのはリーベの下だ。

 グレンの考えが正しければ、想像していたよりも、まずい状況になっている。


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