聞きたくない

春成 源貴

 

 よく晴れた日の午前に、わたしはご機嫌で駅前を歩いていた。図書館からの帰り道で、わたしの腕の中には、ハードカバーのミステリーが一冊抱かれている。

 学校は休みで、まだ一日は始まったばかり。

 大好きな作家のシリーズ最新作は、三ヶ月待ちの大人気で、わたしはようやくその単行本を手にしている。情報を仕入れないために、ネットの検索ワードに細心の注意を払い、書店の前ではポスターに目が行かないよう不審者のごとく目線をそらしながら通り過ぎる、そんな日々もようやく終わる。

 大どんでん返しのストーリーと、意外性のある真犯人が魅力の作品を、数多生み出してきた作家先生の新作。それを腕に抱いているだけで、わたしは天に駆け上がりそうな勢いで、スキップを踏みながら雑踏を駆け抜ける。

 最高の気分だ。

 つい、今までは。

 いや、最高なのは変わらないが、得もしれない不安が胸の内に渦巻き始める。

 駅前を取り過ぎ、自宅まで後は半分の道のりとなった時、雑踏の中に友達の姿を見つけた。

 これが今でなければ、わたしはいつものように気分よく声をかける。だが、今日は違う。

 向かいから落ち着いたいつもの様子で歩いてきたのは、仲のよいクラスメートの晴海はるみだった。

 わたしたちは普段から趣味が合い、よく誘い合っては出かけたりしていた。読書も共通の趣味で、同じ作家先生の大ファンだ。しかも、たまたま彼女は先にこの本を借り出していた。そのことがとても気にかかる。

 彼女にはひとつだけ悪い癖があったからだ。

 それは、なんでもわたしに話をしてくれることだ。それも普段なら構わない。むしろ、ありがたいぐらいだろう。

 けれども、今日は違う。

 彼女にこの本の内容を、まして、真犯人や結末について話を聞かされてしまっては、わたしの今までの苦労は水の泡だし、素敵な一日は早くも終わってしまう。

 彼女に悪気はないのは知っているが、ついポロリとでもこぼされてしまってはおしまいだ。

 彼女の目線が動いた。わたしに気が付いたのか、笑顔が広がる。

 わたしもつられて笑顔になる。

 二人はよい友達だ。

 それは信じているが、万が一ということもある。

 わたしは先日ネットで購入した新製品のスイッチに手を伸ばした。

 晴海とで会うことを想定したわけでもなく、別の自体を想定していたが、彼女の顔を見つけた瞬間、それが繋がった。小さな四角いキーホルダーのような黒い本体の丸いスイッチを押し込みながら、口の中で小さく呟く。


「この本の中のことを、はなさないで……」


 ブンという雑音が耳の中に響いて、わたしが両耳に付けているイヤホンのような機械が動き始める。

 同時に晴海がわたしに声をかけた。


「あ、アキ!おはよう。こんな時間に珍しいね」

「おはよう晴海。たまには早起きして図書館にね」

「順番回ってきたんだ」

「うん」


 わたしは、晴海の言葉に笑顔で頷く。


「その……の本って……先生の新作でしょ。私も……う借りたよ」


 突然、晴海の声が途切れ途切れになって聞こえ始める。まるで、テレビ番組の放送禁止用語のように、無音で言葉が途切れる。

 ノイズキャンセラーの最新版のようなこの機械は、わたしが命じた事柄に関する言葉を聞こえないようにキャンセルする。なんのためにあるのかはよく分からないが、こんな時に役に立つとは思わなかった。

 間違えてネットでポチッとスイッチを押してしまい、お小遣いを吹っ飛ばしてしまった後悔のことは忘れておこう。

 彼女は言葉をづける。

 わたしは差し障りのないように、適当に言葉を継ぎ足し、彼女の言葉を補填しながら、会話を試みる。


「そうなのよ。やっと読めるの」

「まだ、読んでなかったんだね」

「うん。とっても楽しみなの」

「それ、図書館で借りたんでしょ?その本……よね」

「そうそう、そうなんだよね」

「……たほうが……よ。だってそれ……に犯人が……で……なのよ。驚いちゃった」


 言葉が途切れる。


「やっぱり」


 私は呟いた。

 彼女は表情をくるくる変えながら話す。やっぱり、犯人の名前を漏らしているようだ。

 わたしはこの機械、選択型ノイズキャンセラーを付けていたことに、安堵の吐息を吐く。


「そうなのよ。だから……は……よ」

「あ、ごめん、わたしちょっと急いで帰らなきゃ」

「あら、そう。気をつけてね。じゃあまた」

「うん、またね」


 わたしは取り繕うように言って、雑踏を駆けだした。視界の端で、彼女の顔がびっくりしたような、訝しんでいるような、そんな表情だったのが見えた。

 わたしはそのまま走って家に辿り着くと、そのまま自室まで駆け上がり、それから机に座って息を整えた。

 途中で買ったペットボトルのお茶の栓を開けて一口飲み、クッキーの箱を開ける。

 再び、わくわく感がやってくる。

 机上に丁寧に本を置き、ゆっくりと表紙を開く。美しい装丁と挿絵が目に入り、いやが上にも期待が高まる。

 ページをめくる。目次があって次に人物紹介。さらに本編が始まる。

 わたしのきもちは一気に。思わず本を取り上げ、部屋の壁に投げつけようと思ったが、図書館の公共の本だという一点だけで踏みとどまった。

 わたしの頬を涙が伝った。

 わたし素敵な一日は終わってしまったのだ。しばらくは最悪の一日と位置づけられるだろう。

 その時、ブブッと音がしてスマートフォンが震えた。わたしが荒んだ心のまま、マナーモード中のスマートフォンをチェックすると、SNSのメッセージが入っていた。晴海からだ。

 虚ろな目を画面に向けて、メッセージを開く。

 一読して、さらに自己嫌悪に陥る。

 まったく嫌な日だ。


『私の話聞こえてなかったみたいだけど、なんかあった?まあ、いいけど。一応送っとくけど、その図書館の本、あなたは開かない方がいいよ。


 犯人はひどい目に遭ってしまえ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聞きたくない 春成 源貴 @Yotarou2019

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ