その手を離さないで!

アキノナツ

その手を離さないで!

オレは、今から、大仕事をする。


気を抜くと大怪我をする事になるだろう。


小さな傷は致し方ないが、無いに越した事はない。

ここは、根性と技量の見せ所である。

ギャラリーもいる。

恥ずかしいところは見せれない。

涙など以ての外。

どんなに苦しくても辛くても頑張らなければならない。


準備が着々と進められている。

ボルトが外され、部品が外され、再びボルトが締められる。


全て整ったようだ。


いざ!

装備をチェックする。

忘れ物は無い。

各装備の締め具合を最終確認。


座席に乗り込む。

足の感覚を確認。


大丈夫だ。


ゆっくり…進む。

動き出す。

ベアリングが滑らかに機能してる。

軽やかな音がする。

イケるッ!


確信した。

大丈夫だ。

イケる。


手に汗が滲む。

背中に汗が流れた。

全身が熱い。

汗吹き出てくる。

緊張がピークに向かっていく。

息が上がってくる。

心臓がバクバクしてる。

耳の中でシュンシュンと血が駆け巡る音が聞こえる。


足に力が入る。

『頑張れッ!』

声援が聴こえる気がする。

したと思われる方を見たいが、今は、前方に集中しなくてはならない。

申し訳ないが無視させてもらおう。


もっと、もっと、パワーが要るッ。

自らを鼓舞する。

パァワぁぁぁあああーーーーーッ!


まっすぐ、まっすぐ、ゆっくり、違うッ、早く、でも、でも、目の前が霞んでくる。


怖い、怖いよ、怖いんだ!


『出来る! 君なら出来る!』


幻聴か?!

後ろから聴こえる?


これ以上速度が増したら、制御が難しいんだ。

オレには無理だったんだ!


ダメだ。

失敗だ。

出来ない。

足に力が入らない。

身体が揺れる。


『もっと足を踏ん張れッ。身体をまっすぐ! イケーーーーッ!』


ムリムリムリぃぃいいいいいいい!!!!!!!!


速度が増してくる。

自分の力以外の力が作用してるようだ。


『顎を引いて、前を見て! 力強く、前へッ』


言葉がオレを押す。

自然と身体が動き出した。

前のめりに動き出す。

全てのベクトルが揃った。

ふわっと全てが軽くなるように感じた。


「離すぞッ!」


「ダメ! 離さないで! 転けるからぁぁああああああ!」


「もう離してるぞ! あはははッ!」


「へ?」


振り返ってしまった。


盛大に転んだ。

ヘルメットに膝当て肘当てが役に立った。

立ったがぁああ!!!


自転車から這い出して、立ち上がると、涙が溢れてくるのをグッと我慢して、仁王立ちで後ろで掴んでくれてたはずの父に向かって叫んだ。


「離さないでっていったのにぃいいい!!!!!」


でも、オレは補助輪無しの自転車に乗れたのだった。


気持ちのいい河川敷の風が吹き、それに乗って、「お兄ちゃん、かっこいい!」と妹の声が聞こえた。

見れば、手を振りながら飛び跳ねてる。隣りでお母さんがニコニコしてる。


オレは、鼻を勢いよくすすって、泣き止む。

大人に一歩近づいたのだ。

だから、今日から『ママ』じゃなくて『お母さん』って呼ぶんだ。


拍手の音も聞こえる。

少し向こうでゲートボールをしていたおじいちゃん、おばあちゃんが、こっちを見て拍手してくれてる。


おじいちゃん、おばあちゃん達にお辞儀をひとつ。


自転車を起こすと跨る。


お父さんが後ろを支えてくれる。


「離さないでね」

「まかせろッ」

信用できないがやるしか無い。


力強く漕ぎ出す。

オレは風になる。

たぶん、お父さんは遥か後ろだ。

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その手を離さないで! アキノナツ @akinonatu

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