異世界コント④ カルネアデスの板

円 一

異世界コント④ カルネアデスの板

「離しなさいよ! 離せばいいでしょう!」

 と、女魔法使いが喚き声をあげる。


「離さないでよ! 絶対に離さないでよ!」

 それに負けじと、僕も声を張り上げる。


「離さないから! 離さないから暴れるなって!」

 男戦士は苦悶の表情を浮かべながら叫ぶ。


 さて、あまりにカオスな状況なので、ここで俯瞰的に僕たちの現状を描写してみよう。

 僕たちは、赤茶けた大地が広がる峡谷の、切り立った崖の縁で絶体絶命のピンチを迎えていた。


 まず戦士が崖から危うく落ちかけているのを、右手一本で、どうにかぶらさがっている。

 戦士はもう片方の手で女魔法使いの手を掴んでおり、さらに魔法使いの反対の手は僕と結ばれている。


 つまり戦士を一番上にして、崖の縁から、戦士、魔法使い、僕が手を繋ぎ合いながら、数珠つなぎとなって、ぶらさがっている状態なのである。


 なんで、こんなことになったのか。


 さらに時間を遡ると、僕はその日、いつもの学校の帰り道を歩いていた。

 すると、目の前に突然、真黒な闇が広がる扉が現れ、僕はそこに吸い込まれたのだ。異世界転生ものの物語に、よくある展開である。


 しかし、通常の異世界転生と違うのは、気が付くと、いきなり崖からぶらさがった今のこの状況に陥っていたことだ。

 まったく意味が分からない。


 すると、さすがに不憫だと思ったのか、魔法使いが教えてくれた。


「私が魔法であなたを異世界から召還したの!」


「ど、どういうこと!?」


「この男が浮気したのよ!」

 と、魔法使いは怒りに震える声で、戦士を見上げた。


「お、俺は浮気なんかしてない!」


 どうやら状況を整理すると、戦士と魔法使いは付き合っているのだが、戦士の浮気を発端に、痴話喧嘩へ発展したらしい。

 ところが、崖の上で激しく揉み合ったものだから、足を滑らせたはずみで、谷の底へと投げ出されてしまった。戦士はどうにか魔法使いの手を取ると、右手を崖に伸ばし、間一髪、落下だけは免れることができたという。


「で、どうして、それに僕が巻き込まれるんだよ!?」


「知らないの!? カルネアデスの板よ!」


 説明しよう。


 カルネアデスの板とは、古代ギリシャにおける寓話である。

 船が難破して海に投げ出された男が、溺れそうになって、一枚の板きれにすがりついた。するともう一人、別の男が、同じ板につかまろうとしてきたが、板は二人分の体重をかければ沈んでしまう。そこで最初の男は、後からきた男を突き飛ばして水死させた。


 救助された男は、殺人罪で裁判にかけられたが、罪に問われることはなかった。


 いわゆる現実世界の刑法でいうところの緊急避難で、急迫な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害しても法的責任が免除されることをいう。


 しかし、この緊急避難には、濫用されないための厳格な成立要件が定められており、そのひとつが「法益権衡の原則」である。

 「緊急避難行為によって生じた害が、避けようとした害の程度を超えないこと」が必要条件なのだ。


「え、なに? つまり、俺が召喚される前の状況だと、戦士が魔法使いの手を離しても緊急避難が認められて罪に問われないけど、今のこの状況だと、戦士が手を離したら俺と魔法使いの二人が死ぬから、緊急避難が成立しないってこと? そのためだけに、俺は、この世界に呼び出されたの?」


「そうよ!」


「そうよ、じゃねぇよ! なにしてくれてんだよ! 人の命なんだと思ってんだよ!」


「こんな浮気するような最低男、殺人罪に問われて、一生十字架を背負って生きていけばいいのよ!」


「しかも死ぬの前提かよ! マジでふざけんな!」


「なによ文句ばっかり! 少しは私の身にもなってみなさいよ!」


「こっちのセリフだよ! 勝手に異世界に呼び出されたせいで、親兄妹や元の生活とオサラバさせられたのに、ドロドロした出来の悪い昼メロみたいな喧嘩をみせられだだけで命の火が燃え尽きようとしてる僕の身になってみろよ!」


 いくらなんでも理不尽すぎる。

 僕はどうにか助かる方法はないかと思案を巡らせる。

 

「待ってくれ」


 と、戦士が言った。


「俺は本当に浮気なんかしていない。誤解なんだ」


「なによ嘘ばっかり! 私、あなたが町で知らない女と親しそうに歩いているところ見たんだから!」


「あれは妹だよ。実は君にサプライズで指輪をプレゼントしたくて、どんなデザインがいいか、妹にアドバイスを貰っていたんだ」


「え!」


「君に結婚を申し込むつもりだったんだ」


「そ、そんな! どうしてそう言ってくれなかったの?」


「何度も言おうとしてのに、君が話を聞いてくれなかったんじゃないか」


「せ、戦士……」


 ちゃ、茶番過ぎる……。

 もうそんなのどうだっていいから、とにかくこの状況をどうにしかしてくれ。

 腕の筋肉がもう限界だ。


 その気持ちが魔法使いにも伝わったのだろう。


「戦士、それじゃあ早く私たちを引き上げてよ」

 と、初めてまともなことを言った。


「ああ。だが時間が経ち過ぎたせいで、俺の腕もかなりきている。一人だけならまだしも、二人を引き上げるのは厳しい」


 え、どうすんだよ?

 と思った瞬間、僕を見下す戦士と魔法使いと、ばっちり目が合った。


 あっ、2対1……


「おいいいぃぃいぃぃぃ! こんなのぜってぇ、緊急避難と認めねえからなぁあああぁぁ!!!」


 僕の必死の叫びは、重力のスピードで遠ざかっていく青空に、虚しく吸い込まれていった。

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