これ撮りたい
梅木百草
第1話 いつもの仕事
久常サトリはカメラマン。今日も今日とて撮りに行く。
冷たい風が頬を撫でる。街路樹の葉も上へ下へ揺れている。太陽は雲に隠れ、その雲は黒くて分厚い。雨は降っていないが昼なのに若干暗い。季節は春なのだが、連日続いた暑さのせいで油断して少し薄着で来てしまった。もちろん外取材もあるだろうなとは思っていた。しかし、一度タンスにしまった防寒具を引っ張り出そうとは思わなかったのだ。
久常サトリは寒さをグッと堪え、目の前に置いた三脚に業務用の大きなカメラをセットする。
プレートのカチャッという小気味いい音がして、テレビカメラが三脚に付く。三脚のバランスを取ると、VE(ビデオエンジニア)のおうむらパピ子(本名:鳥飼由紀)がレンズの前にサッと白い紙を出す。その紙でホワイトを取ると5600Kだった。まあ、曇った日はこんなものだろう。サトリは早速被写体にカメラを向ける。
「わあ、やっぱりみんな厚着してますねえ」
パピ子の鳥のような高音のダミ声がカメラ越しに聞こえてくる。それはそうだろう。だって寒いのだ。寒がりの私は、シャツからパンツまで冷え切って歯がガチガチと言う寸前だ。
少しでも寒さを堪えようと私も声を出す。
「パピ子、真冬みたいな格好している人を見かけたら教えて」
「はーい。どれどれ」
パピ子は横断歩道の向こう側で待つ人々に目を凝らす。もちろん私もレンズをズームして探す。
私とパピ子は、寒の戻りの画を撮ってきてほしいとオーダーを受けて音鳴浜市の街中にやってきた。
今日は特段交通事故も火事もなく、かと言って行政ネタもないので、街中が寒くて大変だったという切り口のニュースを流すのだ。私たちの班は好きなところで撮ってきて良いと言われたので、こうして繁華街へとやってきた。
繁華街と言っても、穂多川県東部のデパートの立ち並ぶライスシティではなく、穂多川県西部の音鳴浜市茄子野町だ。ここは所謂ダウンタウンで、一般の方々が買い物をする商店街の多い地域だ。商店街の周囲には、県内で働く人々の住む住宅街が広がっており、様々な人を撮るのには丁度良い街だ。
「あ、あの人なんてどうです?」
パピ子が横断歩道の右側を指差した。早速レンズを向けると、そこにはでっぷりとしたおばさんがまさに真冬のようなオーバーコートを着て立っていた。まだ何も入っていないエコバッグ片手に、早く信号が変われと言わんばかりに小刻みに屈伸をしている。
「お。いいね」
私は早速そのおばさんを撮る。
全身を撮った後、寒さ凌ぎで小刻みに屈伸している足にズームする。これを10秒ほど撮り、そのままティルトアップする。唇を噛んで寒さを我慢するいい表情が撮れた。
信号が変わるまでまだ少しあるので、並んでいる人々の引き画を撮る。信号が変わり、人々が早歩きで横断歩道を渡り始めた。すかさず人々の歩く姿をパンし、足元なども撮る。
たった一回の信号でまあまあの画が撮れた。映像とは難しいもので、寒そうな人を撮るだけでは良い編集ができない。寒そうな人を数人撮った上で、目線や角度を変えながら歩いている人々の広い画も撮って初めてオンエアに耐えうる素材になるのだ。
パピ子にいい人を見つけてもらいつつ、曇った空、まだ葉のついていない落葉樹の雑感などを撮り、映像に厚みを持たせていく。
厚着の人、薄着で寒がる人、寒さのあまり走る人などが数人撮れた。撮れ高は充分だ。
「よっし。これでいいでしょ。あとは帰って編集だね」
「そうですねー」と言いながらパピ子は腕時計を見た。そして、商店街の方を見て「サトリさん。ちょっと早めに終わったから、お昼買っていきません?」などと言う。
確かにこの時間ならお弁当を出している店もあるだろう。私は編集前にお弁当を食べるのもいいかとパピ子の案に乗ることにした。
「うん。じゃ、そこの商店街で買って行こうか」
「おおー。サトリさん。さすがー。チリチリとは違いますー」
「まあ、あの人はせっかちだからね」
と、天然パーマで太い黒縁メガネの男性の顔を思い浮かべる。チリチリはどんなに余裕がある取材でも速攻で会社に戻って編集をしたいタイプなのだ。昼飯などは二の次なので、一緒に組むVEさんにはあまり評判が良くない。
機材を車に入れ、パピ子と私は商店街に入った。
ここの商店街は、大大森林商店街と言い、アーケードの奥までお店が連なる大きな商店街だ。商店街を挟むようにして大森寺と大林寺があるので大大森林商店街という。商店の数に比例して美味しいお店も多く、サトリはハンバーガショップハンバハンバが大好きだ。なぜハンバーガーと伸ばさないのかは永遠の謎だが、味に影響はないので気にしていない。
「私はハンバハンバに行くけど、パピ子はどうする?」
「うわー。ハンバーガショップかー。私、今日はぎゃぼちゃんにしようと思ってたけど…うわーどうしよ…ハンバーガショップ…うう。迷うー」
そんなに迷うようなことかと思うが、編集作業がなく昼飯をゆっくり食べられるVEには死活問題なのだろう。それに今日は寒いのだから普通にぎゃぼちゃんに行けばいいのにと思う。
結局、パピコも私と同じハンバハンバで、アボカドと見せかけてキウイモリモリバーガーをセットで買った。私はいつものトマトと見せかけてイチジクモリモリバーガーをセットを買った。
「ありがとバーガー!!」と良く分からない掛け声を背に店を出る。いつもながら不思議な店だ。きっと後ろでハンバーガを作っているゴリラの提案だろう。あのゴリラはいつ見てもやる気がみなぎっているのだ。私は密かに彼のことをやる気ゴリラと呼んでいる。
車に戻ると、ドライバーのマッコイ氏がドアを開けてくれた。
「マッコイさんありがとう。これ、マッコイさんの分」
私はマッコイさんに頼まれた、チーズと見せかけてバターモリモリバーガーのセットを渡した。マッコイさんは嬉しそうに袋を受け取ると、袋をハンドギアにかけた。
マッコイさんは数人いるドライバーさんの一人で、ゆったり運転をするおっとりした人だ。少し太り気味なのでハンバハンバはどうかと思うが、まあ、今更だから美味しく食べてほしい。
ここから私たちの放送局までは30分くらいだ。
途中海を通るので、その海岸線を見るのが楽しい。片側3車線の国道に出ると、緩やかな坂道を海方向へ向かう。大手スーパーオンリョーの大きな看板が見えてきた。あれが見えたらもう少しで海だ。オンリョーの看板は季節ごとに絵が変わる。今は春なので桜エビの絵だ。なぜ花の絵にしないのかは分からない。
少し黒い海が見えた。
音鳴浜市の海は深い場所が多いので基本的に少し深い藍色だが、今日は曇っているのでさらに色が深い。透き通ったエメラルドグリーンの海もいいが、サトリはこの色の海も好きだ。今日は寒いので人手はほとんどないが、サーファーは結構いて、海の上は盛況だ。ふと目に入った看板に『4月10日は海の雑貨市』と書かれている。これは行きたい。海の生き物たちが海のものを使って様々な雑貨を売りに来るのだ。
「サトリさん、この雑貨市行くんでしょー」
助手席に座るパピ子が後ろを向いて聞いてきた。
「よく分かったね。うん、多分行くよ。去年はマンボウの作った『ぼーっと枕』を買ったんだ。あれを使うとなんだかぼーっとして、嫌なことを忘れられていいよ」
「それは、普通に寝られていいかも。私、眠りが浅いからそれ買おうかなー」
「うん。パピ子にはあれいいかもね」
そんなことを言っていると、海岸線を外れ、ビルの多い街中へと入っていく。
「あれ?今日は混んでいるな」とマッコイさんが言う。確かにどの車もゆっくりと進んでいる。
「事故ですかね?」
サトリはカメラをいつでも回せるように肩に乗せる。助手席のパピ子も目を凝らして渋滞の原因を探してくれる。
「あ、あれ!!」
パピ子が何かを見つけたようだ。
「道の真ん中に大きなクマが寝てますよー。今必死に警察がクマを引っ張ってます。もう昼間っから…あれは完全に酔っていますねえ」
サトリにはまだクマが見えていないが、事故でなくて良かったと思う。サトリはカメラを肩から下ろして座席に置く。少し車が前進したので、サトリにも酔っ払いクマが見えた。クマは仰向けになって大いびきをかいている。カラフルな帽子を被ったシロクマで、アニメのキャラクターの描かれたスタジャンを着ている。私の知っているクマではなかった。
クマの周りには警官が5人ほどいるが、皆困った顔をしている。すると一人の警官が「すみませーん!!このクマ重いので誰か手伝ってくださーい!!」と呼びかけた。
すると、どこからともなく出てきたのか数人の人間と動物が、警察と力を合わせてクマを歩道へと運んでいった。
「うひゃー重そうだあ。あのクマ起きるのかなあ?」
パピ子は能天気なことを言っているが、クマはこの後派出所でコッテリ絞られるのだ。私も酒には気をつけようとサトリは思った。
そのあとは混むことなく順調に進み、車は、穂多川県唯一の放送局へと入って行った。
デスクに戻った連絡をして、私はパピ子と一緒にハンバハンバのバーガーを食べた。コーラと見せかけたコーヒーとポテトと見せかけたいぶりがっこもなかなか美味しい。サトリはすっかりお腹がいっぱいになった。
手を洗い、サトリは編集室へと向かった。撮ってきた素材は、すでにサーバーに取り込んである。あとはノンリニア編集するだけだ。1分原稿なので、10カットくらいあればお釣りがくる。
広い画から寒そうにしている人たちの画、葉の付いていない木から街を歩く人々へのピン送り、走っている親子などを順々に繋いでいく。編集が全て終わり、サトリは編集済みの素材をサーバーに登録した。
こんな感じで、サトリは1日で三本の仕事をこなした。
「お疲れ様でしたー」
無事夕方のニュースのオンエアが終わり、サトリたちは会社を後にした。寒さのニュースもいい感じに寒さを表現できていたと思う。
「ただいまー」と誰もいない家の中に向かってサトリは言った。
サトリの家は最初の仕事で行った音鳴浜市にある。サトリは海が好きなので海岸のマンションを借りて住んでいる。マンションの壁は原色の黄色と赤で彩られ、パプリカのようで気に入っている。サトリの部屋は12階で、海がよく見える。今日は寒いのでやらないが、暖かい日は窓を開けて料理を楽しむのだ。
お風呂に入り、ジャガイモの鍋をつついたあと、この前買った冒険小説『蛸島のいか』を半分くらい読み、サトリは『ぼーっと枕』に頭を乗せた。マンボウの泳ぐ音が聞こえてくるようだ。こうしてぼーっとしたサトリはいつの間にか寝ていた。
明日はどんな取材が待っているのだろうか。
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