スカーレット
ハヤシダノリカズ
第1話
目を覚ますと僕は何もない部屋にいた。窓もない狭い部屋だ。天井にはむき出しの電球がぶら下がっていて、それが室内を照らしている。コンクリート打ちっぱなしの壁が寒々しい。
上体を起こそうとして気が付いた。僕は右手でおもちゃを握っていたのだ。樹脂製のおもちゃだ。手のカタチを模したおもちゃ。……マジックハンド、そんな名前だったっけ。持ち手部分をギュッと握ると先端のおもちゃの手が閉じる子供用のおもちゃ。ほんの数十センチ手を延長する、グーとパーだけ出来るただそれだけのおもちゃ。どうやら僕はそのおもちゃの持ち手を、気を失っている間もずっと握り続けていたらしい。そして、そのおもちゃの手も何かを握っているようだ。
僕の手の先のマジックハンドが握り締めていたモノ、それは銀色に光る音叉だった。
「なにこれ……。どこ、ここ?」
全く意味が分からない。握っていたマジックハンドも、そのマジックハンドが握っていた音叉も、今の僕の置かれた状況も何がなんだかさっぱり分からない。窓のない狭い部屋、気を失っている間も離さないで握り続けていたおもちゃ、そのおもちゃが握っていた音叉。気を失う前、僕はどこで何をしていた?
上体を起こして部屋の中を見回すとドアが目に入った。この狭い部屋と外を繋ぐ唯一の出入り口。僕は尻を床についたまま、そのドアに身体を向ける。体育座りでボーっとドアを見つめる。そして、マジックハンドが握っていた音叉を自分の手に持って軽く床で叩くと、ラの音が部屋の中の空気を小さく揺らす。
『はなさないで』
知らない声が頭の中で僕に語り掛けてきた。いや、これは記憶の一部か。誰かがいつか僕に言った言葉をただ、僕の頭が勝手に反芻しているだけか。どっちだ?
「はなさないで、って、何を?」
僕は疑問を口にする。頭の中の声がリアルタイムに行われている交信なのか、それとも脳内にある記憶の残滓なのかを確かめる為に。もしかすると、これは脳が拵えた別人格との対話という可能性もあるのか?
『あなたが手に持っているもの、それをずっと持っていて』
頭の中の声は僕の問いにそう応える。これは、超常的な誰かとの交信だろうか。それとも脳が作っている仮想人物の反応だろうか。頭の中の声が僕の脳が作ったものじゃないと確信するには、僕の知らない情報を言わせるしかない。音叉とマジックハンドを持っていなさいという指示は、どちらの可能性も否定しない。
「僕の頭の中の声よ、オマエは誰だ?」
ナンセンスでシュールな独り言を僕は言う。
『私はソフィ。私はあなたの力になりたい』
頭の中の声は自らをソフィと名乗ったが、僕にソフィなんて名の知り合いはいない。
「力になりたいって、どういうこと?」
『あなたは自分が誰かを覚えていますか?』
ソフィの問いで僕はハッとする。あれ?僕は誰だ? 名前はなんだっけ。どこでどう生きているどんなヤツだっけ。なんだこれ。音叉やマジックハンドってモノの名前は憶えているのに、僕自身の事は思い出せない。
「……僕は、誰だ?」
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