午後5時、その異変に
「あ〜、憂鬱だ」
午前8時、月曜日。
慶彦は学校内を歩いていた。といっても、適当にそこら辺を歩いているわけではない。普通に慶彦は、自分の教室に向かって歩いている。
憂鬱な気分の慶彦。理由としては、休み明けのせいで学校に行くのがいつもの何倍も辛い。………というわけではまったくない。
慶彦は先週、深淵の為に職員室に行くのを直前で断り、部活も途中でやめて学校を出ている。大事な用事を思い出した、という理由で。
その事について確実に今日、ひとみからお説教を喰らう。ついでに顧問からも。
そんなダブルパンチのおかげで、慶彦は絶賛憂鬱タイム突入中だったのだ。
部室にいた直也達には、適当に歯科医院に行くと伝えた。けれど、確実に怪しまれていることに変わりはない。もしかすると、直也や葵からも部活の時に説教を喰らう可能性がある。
本格的にまずいな、これ。
可能性の話、ひとみと直也達が慶彦の帰った理由についての情報共有、もとい考察を共にしたという可能性も捨てきれない。
とりあえず、端的に言えば面倒事確定、ということだ。
「はぁ」
慶彦はますます憂鬱になる。今朝から腹が痛いのは内緒である。
階段を歩く。1段ずつ丁寧に、時間をかけて。
朝の空が眩しい。白いかすみ気味の雲から覗く太陽が、廊下の窓から見える。もし今の気分がこんな落ち込み気味でなければ、どれほどこの太陽が美しく思えただろうか。なんんて、慶彦は感傷気分に浸った。
階段を上り終える。ここを右に曲がると、慶彦の目指す教室が見えてくる。
「………」
一瞬やっぱり家に帰ってしまおうかな、なんて慶彦は現実逃避する。だが、ずっとそんな同じような事を繰り返し繰り返し考えても、何も変わらない。人間、人生における壁というものを遅かれ早かれ突破しなければならないのだ。
よし、行くか。
教室までの直線ルート。そこを堂々と歩いて行く。朝早くから他の教室からは笑い声や話し声が聞こえてくる。皆随分と呑気だ。
慶彦の行くべき教室までは残り15mほど。
なんとか、朝からひとみに説教を喰らうという自体は避けられそうだ。そうだ、よくよく考えみれば、ひとみは風紀委員長。きっと、朝から委員会の仕事で忙しく、慶彦に構っている暇はない。学校の中でTOP3に入るほど重要な組織なのだ。きっと、暇なわけ……
「ちょっといいかしら?」
「………すいません、人違いです」
教室まで残り2m。あと少しだというところで、最も今会いたくない人に会ってしまった。
ひとみ。しかもセコいことに、廊下にある謎の壁にくっついた柱みたいな部分で自分の体を隠していたのだ。気づくわけがない。とんでもない罠だ。
慶彦はきっぱりとひとみに断りを入れ、教室に向かう。人生において、時には嘘も大切なのだ。
「慶彦! あんた、止まりなさい!」
だが教室に入ることは叶わず、慶彦は強引に肩を掴まれ、ひとみに止められる。
「あんた、どういうつもりなのよ」
ひとみからの困惑交じりの質問。
ひとみは感じていた。部活について話をした時から、どこか様子がおかしい、と。急いで帰ったり、どこか落ち着かない様子だったり。今だってそうだ、私を避けるようにして、そそくさと教室に入ろうとした。明らかにおかしいのだ。あの日から、慶彦の様子が。
「隠してること、あるでしょ」
慶彦は案外顔に出る男だ。まさに図星をつかれた、という表情を一瞬したのを、ひとみは見逃さなかった。
「あんたが帰る前、部活でどんな相談してたか私、ちゃんと知ってるのよ。何か隠してるんでしょ、はっきり言いなさい」
しまった、と慶彦は思った。ひとみにとって、情報の1つや2つを集めるのは簡単だ。さらにはクラスのみならず学校内でも信頼されている存在となれば、その情報網は想像に難くない。まぁ、今回の場合だと少々、この表現は違う気もするが。
慶彦は目を逸らし、なんとか話題を変えようと試み、脳をフル回転させる。今この状況で、慶彦よりも優先するべき事。少しの間時間を稼げればいいというものではない。逃げたって、結局は無意味なのだ。時間がたてば………ん?
慶彦は思った。あれ? と。
今ひとみとの会話を避けて、何が得られるのか、慶彦は考えた。得られるものといえば、後々の辛い時間だけ。抗えば抗うほど、それが倍になって帰って来る。それに、学校という同じ学び舎にいる以上、結局は話さなければいけないのだ。それだというのに、わざわざ急に帰ってしまった理由の説明をせずに逃げて、何の意味があるのだろうか?
………意味、ないな。
「………はやく言いなさい」
「………はい」
するどい眼光で圧をかけられる慶彦。こうなったら遅かれ早かれ、結局は説明するしかなかった。
「そういうことだったのね」
「そういうことだ」
結局、事の成り行きを全て説明した慶彦。ちなみに、深淵の正体は……とかの部分は少々ぼかして説明している。
「でも、見直したわ」
「俺のどこに見直す要素があるんだよ」
「ちゃんと人を想う気持ちがあるんだって事よ」
「………」
チャイムが鳴る。やべっ、と言って教室に走っていく生徒が、ちょうど2人の横を通る。先生方も、だんだんと各担任の教室に向かう頃だ。
「じゃあ私行くから。またね」
そう言ってひとみは自分の教室に戻っていく。
「怒られなかったな」
慶彦は1人呟き、自分の行くべき教室に入る。結局、特に深堀りされることもなく恐れていた自体も避けられた慶彦。内心、案外なんとかなるもんだな、と慶彦は思った。
午後4時
部室にて。
「完成したぞぉー!」
「本当か! 良かった〜、これで活動実績を残せる」
部活の活動場所である空き教室のドアを勢い良く開けた葵が、タブレット片手に入室する。
直也が、見せてくれ、と言いタブレットを借りる。そして数秒後
「勝ったな。賞も夢じゃないぞ、これ」
にやりと直也があくどいほほ笑みをする。悪の幹部辺りがやりそうな顔だ。
「慶彦、ほらお前も見てみろよ。すごいぞこれ」
「……本当にすごいな、こりゃ」
片手に持ったニッパーを机に置き、慶彦もタブレットを見る。確かに、凄い出来のイラストだった。
大草原の中に一本だけ立つ、大きな木。何年もかけて立派に育ったであろうと考察出来る木。根元は大きく、その大きさは幹の先端まであり、樹幹は横に大きく育った、まさに言うならば大樹。一応タイトルも書いてあって、『木』と書いてあった。非常に単純で安直だ。
ちなみに慶彦は今日、結局なんだかんだいって嫌な事は何もなく終わった。
ひとみには怒られず、直也や葵には「良いってことよ」と適当に返事をされた。
あんなに、学校嫌だ…、と悩んでいた自分がバカバカしい………。とまで慶彦は思ったくらいだ。自分の思っていた以上に、人情溢れる友人を持ったと、慶彦は内心喜んだ。
そして、葵のイラスト。慶彦がいなくなった後、実績の出せそうなコンテストをパソコンで片っ端から探し出し、なんとか見つけたコンテストに投稿する為のものだ。お題は風景画。葵はあまり好みじゃないからパス、と一度は断ったそうだが、部の解体危機を回避する方法が葵の絵しかないと聞くと、渋々了承した。のだそうだ。
「いや〜、なんとか終わって良かったよぉ〜」
「お疲れさん。それじゃあ早速、コンテストへの応募作業を開始しますか!」
直也は部屋の窓際に設置されているパソコンの元に行き、パソコンを起動させる。真っ黒だったモニターに社名が表示された後、パソコンの起動が完了する。
「絵のデータくれ」
「はいよ。準備するから、応募ページまで移動しといて」
「分かったよ」
テキパキと2人は役目をこなす。慶彦は手持ち無沙汰。とりあえず直也の所に行って、色々と話を聞く事にする。
「このコンテスト、どこ主催なんだ?」
「確か、どっかの会社主催だったな。確かな情報だけいえば、花とかで有名な会社だ」
「花か……」
花。花で有名な会社はどこだったか、慶彦はしばし考えてみたが、全く思いつかない。思いつくのは、近所にある花屋くらいだ。おばさんが経営している小さな花屋。確か今で4代目だったはずである。
「まったく思いつかないな。その会社」
「だろ? 聞けば分かる会社だったんだよ。確かな」
直也がコンテストのHPにアクセスし、応募手続き画面に移動させる。
氏名やら何やらと打ち込んでいき、次へボタンを押す。そして
「うわ、なんだこれ」
と、直也が困惑したような顔をする。慶彦はその原因が気になり、ボケっと外を見ていた視線をパソコンの画面に集中させる。
「なんだこれ」
見てみると、それはAI対策のクイズ的なやつであった。問題文があり、その下にはイラストや写真が数枚載っている。その中から条件に合ったものを選び、自分が人間だと証明するのだ。
本来ならば、苦労することなくこなすことの出来るものだが、彼らには苦労するような要素があった。そう、それは
「なぁ慶彦、ハイビスカスってなんだ?」
「俺も分からん」
花についての知識だった。
2人からしてみれば全部が全部同じに見える花の画像。もし分かるとすれば、全部で9つある画像の内、左下はチューリップだということくらいだ。それ以外は、全く分からない。
「とりあえず、適当に選んでみるか」
「ネットで調べた方が……」
慶彦が最も確実な解決案を出そうとしたが、その時にはもう画像を選択、決定まで直也は行ってしまっていた。
「あっ……」
「あ〜あ。やっちまった」
結果は勿論、不正解。親切なことに、画面上には今、間違えて選択してしまった花の名前と説明が記載されている。それを見て、慶彦は呆れた。
「お前、なんでよりによってチューリップ選んでんだよ」
「いや、その………な」
弁明しようとあたふたする直也。もしも万が一の話、チューリップを知らないのであれば仕方ないといえたかもしれないが、義務教育の過程には残念ながら、確実にチューリップを知ることになる授業が仕込まれている。
チューリップの存在を忘れていた。などという理由付けは、流石に無理がある。それ程国民的であり、有名な花。それがチューリップだ。
「……お! 次の問題が出てきたぞ!」
「……今度こそ、攻略しよう」
「おうよ!」
直也は強引に話を変え、次の問題に取りかかる。慶彦も、ずっとこの話題を引きずるのもな、と思い、それに賛同した。
次の問題は『この中から、食虫植物を選べ』であった。全部で9枚ある画像の中には、お馴染みの2枚貝のような形をしたハエを食べるクサに、膨らんだ袋を持ち、消化液を有すると有名なあのカズラな植物もいた。
「これは簡単だな」
「ああ、簡単だ」
直也は迷わずに画像を選択していく。ハエトリソウの画像2枚にウツボカズラの画像1枚。途中に混ざっていたチューリップとバラの画像は選択せず、次の画像を選定する。過去の教訓をしっかりと活かしている。最後に写っていたスミレの花も間違えずに選択しない。
直也は慶彦にアイコンタクトを取る。慶彦は首を前に倒し、GOサインを出す。それを見て直也も首を前に倒す。
カチッとマウスを押し、決定ボタンをクリックする。そして
『あなたの間違えた花』
「えっ」
「は?」
そんな表記が表示され、その文字の下に花の画像と説明が続く。
「な、なんだこれ。む、ムシトリスミレ?」
「なんだそりゃ」
慶彦、そして直也が同時に声を出す。その声のトーンたるや、本当にそんな花実在するのかよ、と言っているようであった。
それもそのはず、今画面に写っている画像、それはスミレの花と瓜二つの花だったのだ。
「やってんな」
直也は悪態をつく。別にスミレの花にもムシトリスミレの花にも罪はないのだが、問題の作り方があまりにも姑息で、直也は参ったという様子。
慶彦も同じような反応をした。
「……次、いくか」
「そうだな」
2人の意見が合致。それを確認してから、応募手続きの為、次の問題へと取りかかる。
『この中から、針葉樹を選べ』
「………そんなもん知るかよッ!!」
「やめろバカ!」
「はい、完了」
「ありがとな、葵」
あれから15分後。
突如キレた直也を止め、代わりとして葵に手続きをやってもらった。針葉樹をスラスラと選び、葵は一発で正解。書いたイラストを添付して、応募は完了した。
「まさか絵の才だけでなく、植物にも詳しいなんてな」
「乙女心が分かってないね、慶彦君」
妙に博士のような口調で喋り、ふざける葵。こういうところは、相変わらずだ。
「男心も、分かってないようだな」
慶彦も葵をマネて、博士口調で返す。
「全然似てないよ」
「んなこと言うな」
必死に笑いを堪える葵。慶彦には、一体どこに面白い要素があったのかすら分からなかった。もしあったとしても、流石に笑いのツボが浅すぎる。
慶彦は部室の棚を眺め、お目当ての物を探す。戦闘機『ハイスピード』。作中では、新たな試作機として軍に配備され、戦争終結までに幾つもの空中戦を乗り越えた、異例の戦闘機。その基礎スペックの高さから早急に量産が始まったが、スペックが高い代償として、一般パイロットでは扱えない程の高度な操作技術が必要だった。結果、数多ものパイロットが『ハイスピード』に乗り換えたことを原因として死亡。終戦時には、試作機を含む量産された『ハイスピード』は、全3400機の内、120機程度しか残っていないという、悲惨な数に終わった。
そんなロマン機、『ハイスピード』。慶彦はそれを棚から見つけ、手に取る。
結構な重さだ。飛行機系のプラモにしては珍しく、わざわざ骨組みから組み立てる、リアル思考なプラモ。それが意味をなし、箱は結構な重さ、そして大きさになっている。
楽しみだったんだよな、作るの。慶彦は心の中で楽しみという感情を言葉にする。最近慶彦は、言葉にすることの大切さに気がついたのだ。
プラモの箱を開け、まずは説明書を取り出す。分厚い説明書。中をペラペラとめくると、全てカラー印刷だった。なんと優しい説明書なのだろうか。
「そういえばさ」
「ん?」
ランナーの袋を開けながら、慶彦は雑に返事をする。気分はもうプラモ製作だ。雑に返事を返して、プラモに集中しよう。慶彦は無意識の内にそう考え、実行する。これも1種の、本能というやつだ。
「前、顧問に呼ばれてたよね?」
「………」
慶彦は手を止める。否、いうならば、硬直した。
「ひとみに連れて行かれた後、1時間後くらいに名指しで呼ばれてたよ」
「………最悪だ」
慶彦は立ち上がり、嫌々教室を出る。
ひとみに半ば強引に職員室へと連行された時。その時の理由が、顧問からの呼び出し。詳しい呼び出し理由を聞いていなかったが、まさかこういう形で答え合わせをすることになろうとは。
「……はぁ」
反射的にため息が出る。一体何を言われるのだろうか。部活の廃部については確定だ。あとは呼ばれた日に行かなかったこと。それと………
慶彦、ここで気づく。顧問から話をされるようなことなんて、考えてみればほとんどない。それなら楽勝だ。
「頑張るか」
気合を入れ、廊下を歩く速度を早める。とっとと顧問との話にけりを付けて、プラモを作る。ただそれだけだ。怖いことや恐れること等、何もない。
「失礼します」
職員室のドアを開け、慶彦は顧問に呼ばれてきた旨を伝える。
「宮深か。こっちだ」
職員室内の棚にある大きな棚。その棚の方から顧問がやってきて、慶彦の顔を確認するやいなや、手招きで慶彦を誘導する。
出来るだけ早く終わってくれよ……。
慶彦はそう祈りつつ、顧問との会談を始める為、手招きされた方へと歩を進めた。
「あ〜、くそっ」
午後5時30分。
慶彦は家への帰宅ルートを歩いていた。
本当ならば、幸せいっぱい花いっぱい(比喩表現)で今日1日を終われると思っていたが、現実はやはりそう甘いものではなかった。
見事に顧問の怒りを買っており、お説教の嵐をお見舞いされたのだ。それもこれも、嫌な偶然が生み出した結果。しかも、もう何も恐れることはないだろうと油断した結果でもある。顧問に呼び出されて行かなかったのは確かに怒る理由としては真っ当だが、もう少し事情を理解して欲しいと、慶彦は思った。
「しょうがないな。終わったことを嘆いたって」
慶彦はもうこの手のことを考えないようにする。これ以上考えていると負の連鎖に陥りそうだ。
だんだんと暗くなり始める夕暮れ時。
流石にもう今日限りは悪い出来事など起こらないだろう。学校も終わり、あとは家に帰るだけ。
いうならば、今から何か起こることの方が難しい時間帯だ。
軽く数十分程歩き、自宅マンションに到着。
慶彦は自宅のドア前まで行き、鍵で解錠。ガチャリと解錠出来た音を確認してから、慶彦はドアを開ける。
「ただい……」
バリィィン!
部屋に響く、ガラスの割れる音。驚きはしたが、特に焦るような様子のない慶彦。ガラスが割れるのは暗黒が来てからの日常茶飯事みたいなものだ。もう慣れてしまったのかもしれない。
バリィィン!
「………2枚抜きだとっ!?」
再び響くガラスの割れる音。完全なる異変だ。いつもならば暗黒しかガラスは割らない。相対的に考えれば、本来割られるとしたら1枚のみだ。だが、今日は2枚。確実に何か、本来起こることのないことが起こっている。
慶彦はカバンを適当に投げ捨て、リビングに走る。
音のした方向、そして長年住み慣れた我が家だ。直感的にも、ここでガラスが割れたのだと、瞬時に分かった。
リビングに到着。そこには割られた窓ガラスが2枚。
慶彦はその割られた部分をくぐり、ベランダに出る。
辺りの空を見渡し、2人を探す。
夕焼けの空。淡くオレンジ色に染まった街の上空。そこに
「………いた」
彼女らは、飛んでいた。
深淵と慶彦が初めて会った、あの山の方へと……。
深淵と出会い、恋をした おいしいキャベツ(甘藍) @oisiikyabetu-kanran
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