正午 あの新生活で

 午前9時

「あ〜、だりぃ」

「へっ! どうせ今日になって必死に課題やってたんだろ?」

 前の席を拝借し座っている直也が言い当てる。

「そうだ。よく分かったな」

 慶彦はあっさりと認め、机に突っ伏す。

 新学期初日。慶彦は高校2年生となり、新たな教室で自分の席に座り、半分寝ていた。

 変わらぬいつものクラスメートにしばし安堵し、それからこの調子である。

 結局、昨日は寝たら起きれないという理由でオールし、朝から半端ないくらい眠いのだ。

 寝たら叩いてくれと深淵に頼んだ時、深淵の平手打ちが異常に強かったため一気に覚醒したが、それでも時間が経つとこれであった。

 直也はやれやれといった様子である。中学も3年連続同じクラス。目指す高校も同じで腐れ縁の彼は、慶彦が学校初日にこうなることも薄々感づいていた。

「ま、始業式には間に合うように来いよ」

 そう言って直也は始業式の会場、体育館へと向かう。

 現時点で教室に残っているのは一部の雑談組と慶彦のみになった。教室の電気も知らぬ間に消され、取り残されているような状態である。

 慶彦は早く行かないと、と思いながら1人睡魔と戦う。

 夢と現実の狭間。慶彦は深淵に平手打ちされた痛みを思い出そうとする。一撃で目が覚めたあの激痛。今まで感じたことのない地獄の痛覚。

 思い出そうとし、慶彦はじわじわと頬が痛んでくるの感じる。

 まるで引っ張られるような感覚。いや、つねられているような感覚。

 それは徐々に痛みを増していく。

 今度はひねられているような痛み。それが一気に現実味を帯びて、痛覚として慶彦の体に伝達する。

「痛でででで!!」

「いつまで寝てんのよ! 早く起きなさい!」

 痛みによって再び強引に起こされる慶彦。目はすっかり冴え渡り、誰がやったんだと思い、慶彦は顔を上げる。

 と、そこにはある少女の姿があった。クラス長、成瀬ひとみ。とても頭のいい秀才である。

「お前か」

 慶彦は呆れた様子で言葉を放つ。

「お前か、じゃないわよ。始業式遅れたらどうなるか分かってんの?」

「怒られる」

「それだけな訳ないでしょ! いいから早く行くわよ!」

 ひとみは慶彦を椅子からほぼ強引に立たせる。

 春休み明けでもこいつは変わらないな、と慶彦は思いつつ、体育館へと向かうべく、ひとみと共に教室を出る。

 こいつはいつも面倒くさいな。

 すっかり覚醒した脳内で慶彦は呑気に悪態をつく。けれど、ありがたいことに変わりはなかった。

 もしあの場で放置されていたのならば、確実に始業式への遅刻確定だったのである。新学期一発目から悪印象の原因を作るところだった慶彦をひとみは助けてくれたのだ。

 しかも今回だけの話ではない。

 1年前も、他の重要な行事の時も、ひとみは慶彦にこうして手を差し伸べている。

 行動原理は分からない。なぜ慶彦を助けるのか、こんなにも世話を焼いてくれるのか。

 けれど1つだけしっかりと分かることは、誰にでも優しい、そこであった。

 ぼちぼちと歩きながら体育館への階段を降りていく。

 日光が入らず少し怖めの印象を持たれる2階から1階に降りる階段を抜け、外通路へ出る。ここから少し外通路を歩いば、目的地の体育館である。

 黙ってここまで来て、ふいにひとみが口を開く。

「そういえばあんた、なんでいっつもこういう時に限って寝てるの? 私がいなかったら終わってるのよ?」

 唐突な質問。いつも慶彦をギリギリで助けてあげている側の人間として、どうしても気になる率直や疑問。もしも平日の普通の日、授業中も寝ているのであれば分からなくもない。

 しかし、しかしだ。こういう特別な行事のある日、そういう日に限って慶彦は朝から教室で寝ている。客観的に見ればおかしなことだった。

 そのおかしな現象についての慶彦からの返答。それはシンプルかつ明瞭。

「自分でも分からん」

 それだけだった。

「は? それ本気で言ってる? 原因くらい分からないの?」

 原因。慶彦は過去を振り返る。寝る前、前日の過ごし方、気をつけていること。その全てを振り返り、ある結論に辿り着く。

「どうせ早く終わるからって思ってるからかな」

 昨日の場合はただ単にゲームに夢中になっていただけだが、それ以外は比較的にそう考えている。

 おそらくそれが原因だろうと慶彦は推測したのだ。

「はぁ。そんな考え方だから今苦労してるのよ。主に私が」

「はいはい。今度からはちゃんと起きる」

 お説教ルートに発展するのはゴメンだ、と言わんばかりに早々に話を切り上げ、慶彦はひとみよりも先を歩く。

 けれどそれからたった1秒もせず、なぜだか良心を傷める慶彦。

 仮にも危機を救ってくれた友人なのだ。恩知らずにも程があると、慶彦は自分の常識を疑った。

 悪いことをしたと思い少々減速した後、ひとみの隣を再び歩き始める。

「………いつもありがとな。感謝してる」

 ふと、慶彦は感謝を伝える。まだ両手で数えられる程度だが、それでも本来の友人関係ならばもう起こしてもらえなくてもおかしくない回数、慶彦は起こしてもらった。

 ひとみの持つそれほどの優しさに、感謝を忘れたくはなかった。

「………どうしたの。春休み中に嫌なことでもあった?」

「………」

 変な誤解をされただけだった。



「やっと終わったな」

 体育館での長い始業式プラス表彰式を終え、慶彦は教室へと戻っていた。

 校長の「君達の持つ無限の可能性」講座は去年の入学式に聞いたものとほとんど同じ内容だった。

 その後にあった別の教師からの話、「新たな学年になるにあたって」は初めて聞くものだったが、小学の時も中学の時も散々言われてきたあの手の話とまったく一緒だった。

 その間、珍しく眠気に襲われず教師の話を一応しっかりと右から左に流した慶彦。その時に、深淵が家で厄介なことをしてないと欲しいなと思った。

 今日はこの後、ツラかった課題提出を済ませ、面倒くさい大掃除を終わらせれば帰宅出来る。なんだかんだ言って早く帰れるのは非常に嬉しかった。

 家に着いたら何をして午後を過ごそうかと悩んでいると、担任が教室に入ってきた。ちなみに慶彦は担任の名前を未だに覚えていない。

「はい。じゃあ課題集めますね。私の担当教科だけですけど」

 全部集めてくれよと思ったが、どうせ各教科担当の係の奴らが集めてくれるのであまり変わらないかという結論に至った。

 課題を適当に回収してもらい、まずは1教科の課題提出完了である。

 その後心配になり、他の教科の課題を確認する。数学、科学、公共、英語………、全てしっかりと持ってきていた。

 こういう所でやらかさない辺り、変に真面目な奴である。

 慶彦はひとまず今日の心配事は終わったと安堵し、課題を机の上においておく。

 どうせまだ集めてくれないのだ。それならばまだ持っておいていい。そう慶彦は思った。

 担任は課題が全員分提出されていることを確認し、掃除の開始される時間まで雑談を始める。

 春休みはどうだったか、とか。遊んでばかりいなかったか、とか。

 この担任の会話の進め方が上手く、楽しく聞いている内に掃除の時間となった。

 各教科担当の係の奴らに課題を押し付けるを忘れずに、掃除場所を確認する。

 掃除場所、玄関。

 慶彦は内心でYES! と叫び、掃除場所へと赴く。比較的楽な掃除場所である。玄関なぞどんなに掃除をしてもゴミが溜まる。それ故に多少雑でも分からないのだ。いや、そもそも分かる奴なんているのだろうか。もしいるとするならばそれは相当ゴミを毎日見ているのか、よほどの変態かである。

 他の玄関掃除メンバーは慶彦を含め5人。5人ならば真面目に掃除した場合、かかる時間はおよそ10分。しかも始業式で何日も掃除していなかったとなると追加で約5分。

 流石に掃除をサボって帰るのは無理そうである。けれど多少は早く帰れるだろう。それでも嬉しかった。

 階段を降りていき、玄関へと到着する。

 壁に掛けられている箒を手に取り、適当にそこら辺を掃く。

 意外な事に玄関で掃除を始めたのはメンバー内で3番目の慶彦。

 やはりあの2人も慶彦と同じことを考えているのだろうか。ぼんやりとそう考えていると最後の2人がやってくる。

 康太と成海。男女のカップルである。

 ちくしょうと慶彦は思った。慶彦とて、別にカップルで付き合っていて幸せいっぱい青春ストーリーをするは別にいいのである。別にいいのだ。

 しかし、それでも限度というものがある。人が見ている所でたまにイチャつくならまだ許せる。けれど、奴らは違う。そう違うのだ。人前でもずっとイチャついているのだ。学校であの2人が隣同士でいた場合、ほぼ確実にイチャついている。逆にイチャついてなかったら明日の天気ヤバいのか? と心配するレベルでイチャついている。

 それが慶彦には許せなかった。見る専門の方々にとっては楽しい光景だろう。

 だが慶彦にとっては隣にいてくれる女子がいないがために嫉妬してしまい、不快に感じてしまうのだ。

 簡単に言うのならば、彼ら2人が羨ましかった。

 いつも通り手を繋ぎながら歩いてくる2人。

 玄関床に溜まっている砂利を思いっきりぶっかけたい気分になったが、なんとか我慢し、ゴミを収集する。

 その後ろでは、2人で仲良く箒を手に取り掃除を開始するカップルの姿。

 俺もいつかはあんな風になれるのだろうか、と慶彦は心配になりながら掃除をする。

 結局、掃除は15分かかった。



 正午ジャスト

 慶彦はマンションのエントランスを通り、階段を上がる。

 新学期、新生活に合わせ掃除された階段や廊下は多少汚れがあるものの比較的綺麗になっていた。

 そんな階段を上がっていき、慶彦は自分の住んでいる部屋のある4階に着く。

 廊下を渡っていき、315号室の前に着く。

 ポケットから鍵を取り出し、解錠する。

 ………前までは、1人で寂しかったな。

 いつも部屋で1人、寂しく生活していたあの頃を思い出す。

 ご飯の時も1人。TVを見るのも1人。洗濯も料理も勉強も。全て1人でやっていた。

 けれど、今は違う。深淵という存在がそばにいる。彼女のせいで日々の生活は騒がしくなったが、それでもその1つ1つはすごく楽しかった。

 ドアの前で感慨深くなる慶彦。ドアを見てこんなにも嬉しい気分になるのは初めてだった。

 ガチャとドアを開け、帰宅した旨を伝える。

「帰ったぞー」

 すると廊下の先からバタバタと音が聞こえ、深淵が慶彦の前で止まる。

「おかえりっ、慶彦」

 そう言い深淵は微笑む。

 その純粋な微笑みが慶彦にはすごく眩しかった。

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