【中】 離さないでほしかったのは、彼との距離。
心を預けてくれないセーレンに、人間の心をいまいち理解できていない自分に、プラハトは悲しみと焦りを覚えていた。セーレンはプラハトを見て微笑むだけで、心からの笑顔を見せてくれない。
それがプラハトの考えが間違っているからだと言われているようで、焦燥感を覚えさせる。
「どうすれば、良いんでしょう?」
プラハトはレープハフトの立体映像に向け、話しかける。
「私、セーレンと仲良くなりたいんです。でも、どうすれば良いのか……」
レープハフトは笑顔のまま、何も語らない。
プラハトはそっと目を伏せる。
「あなたは人間として死にたいって言いましたよね。私、ちゃんとそれだけは守りましたよ」
立体映像は、本物に近づけないプラハトが用意した代理である。
プラハトは“コア”と呼んでいるフロイライン本体に用意したレープハフトの部屋で彼の亡骸を保存しており、環境保全の為にその部屋へ立ち入ることを避けている。
理由は簡単である。彼の生きていた証が、プラハトがその空間に入ることで失われていく気がするからだ。実際、わざわざ空調遮断までして封じている“彼がいた時の空気”が入れ替わってしまう。
そういう事情で、プラハトはこうして彼の立体映像を眺めているのだ。
「あなたを埋葬するのはやめちゃいましたけど、それはレープハフトが悪いんです。私のことを、放してしまうんだもの」
プラハトはレープハフトと離れたくなかった。ずっと一緒にいたかった。それなのに、プラハトのマスターという権利を手放してしまった。人間をエネルギーとして受け入れることのできる宇宙船がマスター以外の人間を完全吸収するには同意が必要である。
レープハフトがマスターではなくなってしまったから、プラハトは彼をこの身に取り込むことができなくなってしまったのだった。
仕方がないから、今の状況がある。プラハトはテーブルに伏せ、レープハフトの立体映像を見上げた。
「何で、離れてしまうんですか? 私は……離れたくないのに、みんな……いなくなってしまう」
誰かのせいで去ってしまったり、死んでしまったり。その中でもレープハフトは一番ひどい。死の間際に“魔法の言葉”を使って、プラハトから離れてしまったのだ。
こんなにも、プラハトは人間を愛しているのに。レープハフトを愛しているのに。
「あなたが死ぬ前に、私があなたへの感情に気がついていたら……何かが変わっていましたか?」
永遠に分からない問いかけを口にし、プラハトは小さく笑う。
「私、人間よりも優れた知能をプログラムされているはずなのに、全然分からないんです」
本当は、レープハフトの部屋に閉じこもりたい。そうして、二人っきりで永遠とも言える時間を過ごすのだ。いずれ船内で生活する人間は消え、プラハトの活動限界がやってくる。
その時、ようやくプラハトはレープハフトと一緒になれるのだ。
「レープハフト……物理的な方でも、離さないでほしかったです」
プラハトははぁ、と深いため息を吐き出した。
「――でも、あなたへの気持ちを捨てたいと思わない私が、我慢するしかないんですよね」
闇に堕ちた光の乙女は諦めの笑みを浮かべ、立体映像の台座にそっと口づけた。
セーレンは、どこかに籠ってしまったプラハトを探していた。手放さないでと言ってきたくせに、姿を消してしまった闇の乙女。
清潔で快適な生活は維持できているし、宇宙船も機能し続けている。彼女が無事なのは分かっていたが、突然ひとりぼっちにさせられたセーレンの心は穏やかではなかった。
「プラハト、どこにいるのさ……!」
セーレンなりにプラハトと向き合おうとしていた矢先に、これである。誰とも会話をすることのない寂しさと、プラハトとのコミュニケーションの不完全燃焼に、さすがのセーレンも苛々としていた。
のしのしと通路を歩きながらセーレンは彼女を探す。意外とこの船内は広い。プラハトに招待されるまでセーレンが過ごしていたスペースは当然ながら広かったが、そこまではいかなくとも一人で過ごすには広すぎる。
このエリアは歩いていると、突然見知らぬ場所に出るということも珍しくない。その度にプラハトがどこからともなく現れ、セーレンをコックピットへと連れ戻してくれるのだった。
しかし、今は道に迷っても彼女は現れない。
「しまった。ここ、どこだろう……?」
そもそも宇宙船は、迷いやすい。似たような景色が続くからである。冷静さを失っているせいで、大切な位置サインを見逃してしまったらしい。
ここは、どこだ。真っ白で、無音。セーレンはその異様さに心細さを覚えた。
セーレンは気がつくと、機械音一つしない静かな場所にいた。
吸音されているような密室特有の耳の不快感はない。少なくとも、セーレンが立っているこの場所は防音室ではない。通路を歩いていただけなのだから当然ではある。
しかしである。音がしない、というのは恐ろしい。宇宙空間に投げ出されたかのような恐怖を感じ、セーレンは身震いした。
セーレンが過ごしていたどの船内とも違うこの場所は、強制インストールされた情報にも載っていない。
「……ここにいたら、いけない気がする」
セーレンの呟きは普通に耳に届く。本当に不思議な場所だった。早く元の場所に戻りたい。そう思うセーレンだったが、どうすれば良いのか分からない。
セーレンは、とりあえずすぐ近くにあるドアを開けた。
プシュッと他のドアと変わらぬ音を立て、開いていく。その先にあったのは、時間の止まった部屋だった。
長年停滞していた空気特有の懐かしい香りを感じたセーレンは、ここが隠された部屋なのだと直感した。プラハトが隠すとしたら、レープハフト関係の何かであろう。
セーレンはおそるおそる室内へ踏み込んだ。
室内はシンプルで飾り気がない。がフォトフレームにはがっちりとした体型の獣人――レープハフトの戦友クリストフの息子であり、レープハフトの義理の息子でもあるシメオン――と肩を組んで笑う壮年のレープハフトが写っている。その隣には乙女の姿のまま、にこにこと幸せそうに笑うプラハトの姿があった。
写真から察するに、ここはレープハフトかシメオンの部屋なのだろう。
何となく澱んだ空気を感じながら、セーレンはデスクに近づいた。うっすらと埃が積もっているが、彼らが居なくなってからの年月を考えればずいぶんと少ない。
もしかしたら、長期保存用に一度消毒が施された上で密閉されている空間だったのかもしれない。セーレンは、プラハトが行ったのであろうことを察し、ここに入るべきではなかったと後悔する。
しかし、セーレンはレープハフトの痕跡が残っていそうなこの部屋から目が離せない。DNAの自然な交雑による奇跡で
どこかちぐはぐな生活を続けている内に、プラハトを元の幸せな乙女に戻したいと考えるようになったセーレンは、彼女の闇の原因となったレープハフトの真意が知りたかった。
なるべく乱さないように気をつけながら、室内を探索する。デスクは必要最低限の実用品があるくらいで、スッキリとしている。それらの配置からも、セーレンはここの部屋の主は効率重視の考え方をしていそうだと思った。
ひと通り室内を見ているとベッドがあった。そこはベッドメイキングがされていて、整理整頓されていながらも、どこか生活感の漂う室内の中で浮いていた。
「ここは、プラハトが整えてしまったのかも」
ベッドから視線を離すと、バスルームの扉が目に入った。まだ当時のシャンプーとかが残っていたりして。
当時の生活を窺わせるようなものが置いてあるかもしれない。そんなことを思いながら扉を開けると、そこには不思議な光景が広がっていた。
「なに……これ……?」
浴槽はなく、その代わりに不思議な機械が置いてある。セーレンがインストールされた知識が正しければ、長期保管用の棺桶である。
心臓がばくばくと異様な速度で暴れ始めた。気になる。でも、見たくない。セーレンはごくりと唾を飲み込んだ。
一度目を閉じ、覚悟を決める。一歩一歩踏み出し、棺に手を添える。それは、機能していた。うっすらと埃の積もったガラスを拭う。
ガラスの向こうには、老人が眠っていた。
「レープハフト……」
見覚えのある姿に、セーレンは泣きたくなった。彼は、ずっとこんな所にいたのか。
「セーレン」
聞き慣れた声に振り返る。
「プラハト」
闇の乙女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「お願い。彼と私を離さないで……」
セーレンは彼女の言葉にそっと首を横に振った。
「プラハト。彼の願いは何だった?」
「……埋葬、してほしい」
「僕は、彼の遺志を尊重してあげたい」
「…………離れたくないの」
プラハトが涙をあふれさせる。セーレンは彼女の涙を拭ってやりながら優しく諭そうとして、やめた。
「今のマスターは誰?」
「セーレンです」
「僕より、レープハフトを取るの?」
プラハトは目を見開いた。意思のある宇宙船に対して、酷なことを言っている自覚はあった。だが、乗り越えなければ、誰も幸せになれない。
逡巡の末、プラハトが出した答えは、NOだった。
「なら、レープハフトとはさようならだ」
新しいマスターからの残酷な宣言に、プラハトは静かに涙を流して頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます